7月6日

本田美奈子 “魂” の軌跡、凝縮された20年間のエンタテインメント

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MINAKO with WILD CATSのファーストシングル「あなたと、熱帯」がリリースされた日
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一貫してプロフェッショナル、本田美奈子の華麗なキャリア


2005年11月6日、本田美奈子. 逝去。38歳の若さだった。同年の1月に急性骨髄性白血病と診断され緊急入院。翌日にはワイドショーなどで病状が公表されたため、彼女の病魔との戦いを多くの国民は固唾を飲んで見守っていたはずである。

1985年のデビューから20年に及ぶキャリアの中で、多くの人が本田美奈子. という人物からイメージするものは慈愛に満ちた“ミュージカルのディーバ” だろう。彼女の決して平坦ではない人生の道のりと華麗なキャリアを考えてみると、その印象に寸分の狂いはなかった。

1990年にミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約15,000人の中からヒロイン役を射止めた時、本田美奈子の人生は大きく変わった。ミュージカル女優に転身するやいなや、アイドル時代に培ってきた歌唱力と表現力、そしてデビュー当時から一貫したプロフェッショナルなアーティスト志向に基づく類まれな努力も相俟って、翌1992年度の第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞した。

ミュージカルだけは語れない! 貪欲に様々なジャンルの音楽に挑戦


『ミス・サイゴン』以降も本田美奈子は『屋根の上のバイオリン弾き』『王様と私』『レ・ミゼラブル』などの大舞台を踏み、2003年には初めて全編がクラシックの楽曲で彩られた意欲作『AVE MARIA』をリリース。また、逝去する約3週間前にリリースされたアルバム『アメイジング・グレイス』は日本人が歌うクラシックアルバムとして初のオリコンTOP10入りを果たしている。

ディーバが歌う賛美歌は、自ら信じた道を駆け抜けてきた短い人生を象徴しているかのように清らかで美しく、聴くものを普遍的な愛に導くような心地良さと感動があった。

前置きが長くなってしまったが、ジョン・レノンが白いピアノの前で愛と平和を説く「イマジン」の世界だけではなかったように、本田美奈子もまたミュージカル・ディーバといった側面だけは語ることはできない。この20年間の軌跡に凝縮されたキャリアと貪欲に様々なジャンルの音楽に挑戦した姿は、邦楽シーンにおいても特筆すべきものだと思う。

秋元康 × 筒美京平「1986年のマリリン」で一気にブレイク


本田美奈子がデビューした1985年には、同期におニャン子クラブ(レコードデビューは1986年1月)、前年のホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝した井森美幸、浅香唯、南野陽子、斉藤由貴、中山美穂などがいた。とりわけこの年を象徴しているのがおニャン子クラブの隆盛で、まさに「クラスメイトの気になる女の子」といった素人感覚に当時の中高生は熱狂した。

それは、元々演歌歌手志望で、地道なトレーニングを積み、聴かせる歌手としてのデビューを目論んでいた本田美奈子とは真逆の時流だった。中山美穂や斉藤由貴にしてみても、テレビドラマやグラビアに重きを置いた活動だったことからも、当時のアイドルの歌手デビューというのは、副産物的な捉え方だったと思う。そんな中で彼女の本物志向は、1986年2月5日にリリースされた5枚目のシングル「1986年のマリリン」(作詞:秋元康、作曲:筒美京平)で一気に開花することになる。

1986、つまり現代を象徴する数字に “マリリン” という古めかしくも普遍的な女性を象徴するワードを組み合わせた秋元マジックと、シェイプされたウエストが露わになった挑発的な衣装でスターダムにのし上がり、この曲はザ・ベストテンで2位を記録する。

このチャートアクションは偶然の産物ではなかった。1985年4月20日にリリースされたデビューシングル「殺意のバカンス」から、本田美奈子はずっと筒美京平作品を歌い続けている。そして、おそらく筒美京平自身も、彼女の声域(最終的には3オクターブの粋まで達したと言われる)や、試行錯誤しつつも従来のアイドルとは一線を画したプロ志向に応えるよう繊細かつメロディアスな優れた楽曲を提供し続けていた。そんな下地があってこその悲願のヒットと言えるだろう。

決して偶像(アイドル)ではないエンターテイナー


本田美奈子はデビューに際して、当時のキャッチフレーズでもあったセカンドシングル「好きと言いなさい」がデビュー曲になる予定だったが、本人の強い希望で、「殺意のバカンス」をデビューシングルとしてリリースしたという経緯がある。

セカンドシングル「好きと言いなさい」や、サードシングル「青い週末」のタイトルから推察できるように、正統派のアイドル志向だったセカンド&サードシングルに対し、デビューシングルは、セクシーかつアダルト。危険な香りを振りまきながら、魅せて聴かせるといった極めてエンタテインメント性が高い。

この「殺意のバカンス」こそが本田美奈子の本領であり、これを系譜し一念発起した「Temptation(誘惑)」からの「1986年のマリリン」がアイドル時代にあった彼女のイメージを決定づけた。つまり、そこにあるのはクリエイターたちとの強い信頼関係や、本人の自らを奮い立たせる強い意志。ここに、決して偶像(アイドル)ではないエンターテイナー、本田美奈子が誕生したのだ。

ゲイリー・ムーア、ブライアン・メイとのコラボを経て、MINAKO with WILD CATS 結成


その後の本田美奈子は洋楽に傾倒し、ゲイリー・ムーアからの楽曲提供「the Cross -愛の十字架-」やブライアン・メイのプロデュースによるシングル「CRAZY NIGHTS / GOLDEN DAYS」をリリース。他にも、ジャクソン・ファミリーとの交流など、ロックに関連する経歴は枚挙にいとまがない。

ここで特筆すべきは、1988年のMINAKO with WILD CATSの結成である。それは、海外のロックスターたちとコラボレートした経験を軸にして、どのようにロックを土壌に自らの本領を発揮していくか… という戦いでもあった。

MINAKO with WILD CATS名義のファーストシングルは、作詞:松本隆、作曲:忌野清志郎という布陣の「あなたと、熱帯」だった。「♪ 私の名前は 密林の女王~」という出だしで始まる、当時の彼女の本領を十分に知り尽くした歌詞は「あなたと熱帯」つまり「あなたと寝たい」を想起させる、ロックアーティストとして一歩踏み込んだ過激なリリックだった。

このリリックに絡まっていく清志郎の紡いだメロディは、RCサクセションの名曲「SUMMER TOUR」と同じように腰にくるうねりと言葉を際立たせ、聴くものを挑発するような不思議な魔力があった。

キーボードが主体のアレンジセンスも秀逸だった。数ある忌野清志郎提供楽曲の中でもヒルビリー・バップスの「バカンス」やTEAR DROPSの「谷間のうた」に並ぶ名曲だと個人的には思っている。

変化を厭わない飽くなき挑戦、語り継ぐべき魂の軌跡


1988年から1989年にわたり3枚のシングルを残したMINAKO with WILD CATS。その活動は残念ながら成功とは言えなかったが、ここでの悔しさがミュージカル女優としての道を切り拓くモチベーションになるとはなんとも皮肉な話だ。

その後ミュージカルを主軸に活動していった本田美奈子だったが、2001年にTVドラマの中でジャズ・シンガー役を演じた経緯から、40代になったらジャズを歌いたいという夢を語ったことがあったという。

演歌からキャリアをスタートさせ、歌謡曲、ロック、クラシック、オペラ、ゴスペル、ジャズと変幻自在に多くのジャンルの自分のものにしていった本田美奈子。その根底にあるエンタテインメント性を再評価すべきではないかと僕は思っている。

彼女にとって歌はジャンルではなかった。その主体は魂だったと思う。いかにして人々の琴線に触れる楽曲を残していくか。どのように多くの人々を楽しませ、感動させるか。そのために変化は厭わないという飽くなき挑戦。そんな魂の軌跡は語り継ぐべきものだと思う。



2020.11.06
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カタリベ
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