3月5日

黄金の6年間:いよいよユーミン再始動!松任谷由実の新しい世界が始まった

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松任谷由実のアルバム「紅雀(べにすずめ)」がリリースされた日
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photo:yuming.co.jp  

今年、僕はこの Re:minder で「黄金の6年間」と題したコラムを連載的に書くことにしている。既に1月1日に沢田研二サンの「TOKIO」をテーマに、『東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代』と題したコラムを書いたところだ。今回が2回目になる。

黄金の6年間とは、1978年から83年までの6年間の東京を指す。先に書いた通り、東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代である。本連載では、その理由を主に音楽面に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、紐解きたいと思う。そう、神はディテールに宿る―― なんてね。

で、今回扱うテーマはユーミン、松任谷由実その人である。いきなりの大御所だ。というのも今日、1月19日は、今から65年前の1954年に、御大・ユーミンが生まれた日。まぁ、女性のお歳に触れるのはあまりよくないだろうが、それにしても、そのイメージとのギャップに改めて驚く。つい、この間も『NHK 紅白歌合戦』で、オーラスで歌うサザンの「勝手にシンドバッド」に飛び入りして、桑田佳祐サンの頬にキス(!)した上に、腰をくねらせて踊っていたくらいだ。もう、僕らが抱く昔の60代じゃない。その辺の20代よりも全然若い。

生まれは、東京・八王子の老舗の呉服店「荒井呉服店」である。6歳からピアノを始め、中学時代には既に作曲をしていたという。当時、中学生ながら飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていたのは有名な話だ。時のセレブたちのサロンと化していたその店で、彼女はオーナーの川添浩史・梶子夫妻を始め、常連客である音楽業界の人たちとの人脈を築く。これが後に、彼女のデビューに繋がる。

関係ないが、地方の旧家に生まれ、ヤンチャな少女期を過ごすも、上京してひょんなことから有名人たちと知り合い、やがて才能を開花させ、自身の “天職” を通じて人生の伴侶とも出会い、結婚後も仕事を続け、遂にはその道の第一人者となる女性の一代記って―― まんま朝ドラの主人公になりそうな気がしません? タイトル「ゆうみん」で。


閑話休題。

彼女の最初のデビューは、多摩美術大学に入学した年、1972年の7月だった。先の「キャンティ」で知り合った、かまやつひろしサンのプロデュースで、シングル「返事はいらない」(当時は荒井由実名義)がアルファレコードからリリースされる。しかし、同盤は数百枚しか売れず、改めて仕切り直す形で、1年後の73年11月、東芝 EMI からリリースされたのが、ファーストアルバム『ひこうき雲』である。そして、今日の僕らが知るユーミン物語が始まる。

彼女は、結婚前の荒井由実時代に、4枚のオリジナルアルバムをリリースしている。先のデビューアルバムに続いて、2枚目が『MISSLIM』、3枚目が『COBALT HOUR』、4枚目が『14番目の月』―― いずれ劣らぬ名盤である。ちなみに、『MISSLIM』のジャケットに映るピアノは、先のキャンティの川添夫妻のもの。この写真も川添邸で撮られたものである。

当時のレコーディングに参加したミュージシャンは、先の紅白でも彼女のバックバンドを務めた松任谷正隆サン(キーボード)、林立夫サン(ドラムス)、鈴木茂サン(ギター)を始め、あの細野晴臣サン(ベース)を加えたティン・パン・アレーの面々。それに、コーラスで山下達郎サンや大貫妙子サンらも参加した超豪華なもの。二十歳前後の女子大生に、実力派の大人たちが協力したのは、いかに若きユーミンの才能が買われていたかを示す。

時代は、荒井由実に沸いた。世に言う第一次ユーミンブームである。だが、この天才はあろうことか、デビューからわずか3年で結婚する。お相手は彼女のバックバンドのキーボーディストで、アレンジャーの松任谷正隆サン。時に1976年11月29日、横浜山手教会にて2人は式を挙げ、“荒井由実” は引退する。

ところが―― そんな天才を世の中が放っておくワケがない。何よりご本人が専業主婦に収まるタマでもない。間もなく彼女は、“松任谷由実” 名義で音楽活動を再開する。

少々前置きが長くなったが、ここからが今回の本題である。

時に1978年3月5日、新生・ユーミンは5枚目のオリジナルアルバム『紅雀(べにすずめ)』をリリースする。そして、この年から83年までの6年間、毎年オリジナルアルバムを年2枚リリースするという驚異的な創作意欲を見せる。奇しくも、この6年間が、本議題の “黄金の6年間” とピタリと合致する。

1978年3月5日『紅雀(べにすずめ)』
1978年11月5日『流線形 '80』
1979年7月20日『OLIVE』
1979年12月1日『悲しいほどお天気』
1980年6月21日『時のないホテル』
1980年12月1日『SURF&SNOW』
1981年5月21日『水の中の ASIA へ』
1981年11月1日『昨晩お会いしましょう』
1982年6月21日『PEARL PIERCE』
1983年2月21日『REINCARNATION』
1983年12月1日『VOYAGER』

この時期、彼女は質・量ともに、傑作を多く生み出す。一般に知られるユーミンソングの数々、例えば「埠頭を渡る風」、「ロッヂで待つクリスマス」、「真冬のサーファー」、「入江の午後3時」、「DESTINY」、「恋人がサンタクロース」、「サーフ天国、スキー天国」、「守ってあげたい」、「カンナ8号線」、「A HAPPY NEW YEAR」「真珠のピアス」、「ガールフレンズ」、「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」―― 等々は、この6年間の作品である。

また、彼女のライフワークとなるリゾート地における2つのコンサート、『SURF&SNOW in 逗子マリーナ』と『SURF&SNOW in 苗場』や、クリスマス恒例の『新さくら丸クリスマス・コンサート』などは、この6年間に生まれている。

それだけじゃない。ユーミン一流の豪華なコンサート演出も、この時代から始まっている。1979年の『OLIVE』ツアーで本物の象を出演させたのを皮切りに、80年から81年にかけては、作家の伊集院静サンの演出で大規模なマジックを取り入れたり、セットにエレベータを設置したり、噴水ショーを催したり、30mの竜に乗ったりと、年々演出はエスカレート。もはやコンサートを超えた、一大エンターテイメントショーになったのは承知の通りである。


一方――。

この時期、彼女は “楽曲提供” の面でも、目覚ましい活躍を見せている。ちなみに、彼女が他のミュージシャンに楽曲提供したシングル曲の売上げ枚数ベスト10のうち、7枚(※1曲はカバー)が、黄金の6年間の作品である。

1.『いちご白書』をもう一度
  バンバン(75年)

2. Rock'n Rouge
  松田聖子(84年)

3. 瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ
  松田聖子(83年)

4. 渚のバルコニー
  松田聖子(82年)

5. 時をかける少女
  原田知世(83年)

6. 赤いスイートピー / 制服
  松田聖子(82年)

7. 時間の国のアリス
  松田聖子(84年)

8. 小麦色のマーメイド
  松田聖子(82年)

9. まちぶせ
  石川ひとみ(81年)※カバー

10. 秘密の花園
  松田聖子(83年)

1981年、シングル「守ってあげたい」がオリコン最高位2位となる大ヒット。ユーミンは最初で最後となる『ザ・ベストテン』(TBS系)に出演する。更に同年、12枚目のオリジナルアルバム『昨晩お会いしましょう』がオリコン1位に――。これ以降、オリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得する。俗に言う第二次ユーミンブームの到来である。

映画『私をスキーに連れてって』の馬場康夫監督は、あるインタビューで同映画の成り立ちについて語っている。「映画がスキーブームを作ったんじゃなくて、スキーブームに便乗するような感じで、映画を作ったんです。僕たちの頭の中には最初からユーミンの曲があったわけです。“つれてゆこうかこれからスキー天国へ”とか歌いながら、雪道でスキーバスを、スタッドレス履いたクルマで追い抜いていく―― そんな絵を思い浮かべてましたから」。

そう、第二次ユーミンブームの最大の功績は、世にスキーやサーフィンなどの “遊び” を広めたことにある。バブル時代のホイチョイ映画の三部作も、元はと言えば、ユーミンが火を点けたリゾートブームに端を発する。

更に馬場監督は、近著『ホイチョイのリア充王~遊びの千夜一夜物語~』(講談社)のあとがきで、第二次ユーミンブームに至る前史を紐解いている。

「1975年にベトナム戦争が終わり、アメリカに戻った元軍人たちは、心の傷を癒すために太陽のもとで体を動かします。そうしてカリフォルニアを中心に、スキーやサーフィン、テニス、フリスビーなどの様々なアウトドアスポーツが流行します。その流れを日本人でいち早くつかんだのが、当時の平凡出版(現・マガジンハウス)の編集者の木滑良久サンだったんです」

そして、あの歴史的な雑誌が誕生する。

「1976年に木滑良久サンが初代編集長となって、POPEYE を創刊します。日本で初めて、西海岸のアウトドアスポーツや、その周辺のライフスタイルを紹介する雑誌です。それを機に、日本の若者の目がヨーロッパから西海岸へと変わりました」

POPEYE の創刊から2年後、ユーミンが再始動する。78年のアルバム『流線形 '80』では、いち早く80年代のリゾートブームを見越して「ロッヂで待つクリスマス」や「真冬のサーファー」を歌い、その2年後80年の『SURF&SNOW』では、もはや振り切って「恋人がサンタクロース」に、「サーフ天国、スキー天国」と歌い上げた。

黄金の6年間とは、松任谷由実のことである。
あらかじめ断っておくが、まだこの話は序章に過ぎない。

2019.01.19
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