3月5日

黄金の6年間:いよいよユーミン再始動!松任谷由実の新しい世界が始まった

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松任谷由実のアルバム「紅雀(べにすずめ)」がリリースされた日
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photo:yuming.co.jp  

生まれは、東京は八王子。甲州街道沿いの老舗の呉服屋「荒井呉服店」である。

6歳からピアノを始め、中学時代には早くも作曲をしていたという。早熟な彼女は、ローティーンにして、飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りする。そこは、時のセレブたちのサロンであり、彼女はオーナーの川添浩史・梶子夫妻を始め、常連客である音楽業界人たちとの人脈を築いた。これが後に、自身のデビューにつながる。

ふと思いついたんだが、地方の旧家に生まれ、子供の頃からおてんばで鳴らし、上京してひょんなことから有名人たちと知り合い、才能を開花。やがて人生の伴侶と出会い、結婚後も仕事を続け―― 遂にはその道の第一人者となる女性の一代記って、まんまNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)になりそうな気がしません?

タイトル『ゆうみん』で。

ファーストアルバム「ひこうき雲」から始まるユーミン物語


そう、今回取り上げる人物は、他ならぬユーミン―― 松任谷由実、その人である。

先にも記した彼女のデビューは、多摩美術大学に入学した年の夏、1972年7月5日だった。「キャンティ」で知り合った音楽業界人の一人、かまやつひろしサンのプロデュースで、シングル「返事はいらない」をアルファレコードからリリース。旧姓の荒井由実名義である。しかし、同盤はわずか数百枚しか売れず、仕切り直して翌73年11月20日に東芝EMIから発売されたのが―― ファーストアルバム『ひこうき雲』だった。今日、僕らが知るユーミン物語はここから始まる。

彼女は、荒井由実時代に4枚のオリジナルアルバムをリリースした。先のデビュー盤に続き、2枚目が『MISSLIM』(74年)、3枚目が『COBALT HOUR』(75年)、4枚目が『14番目の月』(76年)―― いずれ劣らぬ名盤である。ちなみに、『MISSLIM』のジャケットに映るピアノは、先のキャンティの川添夫妻の私物であり、写真も川添邸で撮られたものだった。

当時、彼女のレコーディングに参加したミュージシャンは、細野晴臣サン(ベース)を始め、松任谷正隆サン(キーボード)、林立夫サン(ドラムス)、鈴木茂サン(ギター)ら、ティン・パン・アレーの面々。それに、コーラスでシュガー・ベイブ時代の山下達郎サンや大貫妙子サンらも加わった。今思えば、超豪華な布陣だ。二十歳前後の女子大生に実力派の大人たちが結集したのは、いかに若きユーミンの才能が買われていたかの証左である。

時代は荒井由実に沸いた。世に言う第一次ユーミンブームである。だが、そんな騒ぎをよそに、この天才はデビューからわずか4年で結婚する。お相手は、彼女のバックバンドのキーボーディストで、アレンジャーの松任谷正隆サン。時に1976年11月29日、2人は横浜山手教会にて式を挙げた。そして、“荒井由実” は引退する。

ところが―― そんな天才を世間が放っておくワケがない。何よりご本人が専業主婦に収まるタマでもない。間もなく、彼女は音楽活動を再開する。



驚異的な創作意欲、オリジナルアルバムを年2枚ペースでリリース


1978年3月5日、“松任谷由実” となった新生ユーミンは、5枚目のオリジナルアルバム『紅雀』(べにすずめ)をリリース。そこから83年までの6年間、左の通り、ほぼ毎年オリジナルアルバムを年2枚リリースするという驚異的な創作意欲を見せる。奇しくもその6年間が、本書の掲げる “黄金の6年間” とピタリと合致する。

1978年3月5日『紅雀』
1978年11月5日『流線形 '80』
1979年7月20日『OLIVE』
1979年12月1日『悲しいほどお天気』
1980年6月21日『時のないホテル』
1980年12月1日『SURF&SNOW』
1981年5月21日『水の中のASIAへ』
1981年11月1日『昨晩お会いしましょう』
1982年6月21日『PEARL PIERCE』
1983年2月21日『REINCARNATION』
1983年12月1日『VOYAGER』

この時期、ユーミンは質・量ともに、傑作を多く生み出す。一般に知られるユーミンソングの数々、例えば「埠頭を渡る風」、「ロッヂで待つクリスマス」、「真冬のサーファー」、「入江の午後3時」、「DESTINY」、「恋人がサンタクロース」、「サーフ天国、スキー天国」、「守ってあげたい」、「カンナ8号線」、「グループ」、「A HAPPY NEW YEAR」「真珠のピアス」、「ガールフレンズ」、「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」―― 等々は、この6年間の作品である。



また、彼女のライフワークとなるリゾート地における2つのコンサート、『SURF&SNOW in 逗子マリーナ』と『SURF&SNOW in 苗場』や、クリスマス恒例の『新さくら丸クリスマス・コンサート』等々も、この6年間に生まれたものだ。

それだけじゃない。ユーミン一流の豪華なステージセットや演出も、同時代に始まっている。79年の『OLIVE』ツアーで本物の象を出演させたのを皮切りに、80年から81年にかけては作家の伊集院静サンの演出で大規模なマジックを取り入れたり、セットにエレベータ(!)を設置したり、噴水ショーを催したり、30mの竜に乗ったりと、年々仕掛けがエスカレート。もはやコンサートを超えた一大エンターテイメントショーと化したのは周知の通りである。

アルバムは17枚連続でオリコン1位! 第二次ユーミンブームの到来


一方、この時期、ユーミンは “楽曲提供” の面でも目覚ましい活躍を見せる。下の表が、彼女が他の歌い手に提供したシングル曲の売上ベスト10。うち7曲が黄金の6年間の作品である。

1.『いちご白書』をもう一度 / バンバン(1975年)
2. Rock'n Rouge / 松田聖子(1984年)
3. 瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ / 松田聖子(1983年)
4. 渚のバルコニー / 松田聖子(1982年)
5. 時をかける少女 / 原田知世(1983年)
6. 赤いスイートピー / 制服 / 松田聖子(1982年)
7. 時間の国のアリス / 松田聖子(1984年)
8. 小麦色のマーメイド / 松田聖子(1982年)
9. まちぶせ / 石川ひとみ(1981年)※カバー
10. 秘密の花園 / 松田聖子(1983年)

―― そんななか、ユーミン自身は1981年6月、シングル「守ってあげたい」がオリコン最高位2位となる大ヒット。同年10月8日には生涯唯一となる『ザ・ベストテン』(TBS系)の出演を果たす。さらに同年11月、12枚目のオリジナルアルバム『昨晩お会いしましょう』がオリコン1位に輝き、ここから17作連続アルバム1位を続ける。世に言う、第二次ユーミンブームである。



映画『私をスキーに連れてって』(87年)を監督したホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫サンは、同映画の成り立ちを「映画がスキーブームを作ったんじゃなくて、スキーブームに便乗するカタチで映画を作った」と述べている。事実、日本のスキー人口が伸び始めるのは、ユーミンのアルバム『SURF&SNOW』がリリースされた翌年の81年から。そこからバブルが崩壊する91年まで、ずっと右肩上がりだった。

そう、第二次ユーミンブームの最大の功績は、世にスキーやサーフィンなどの “遊び” を広めたことにある。バブル時代のホイチョイ・ムービー三部作も、元はと言えばユーミンが火を点けたリゾートブームに端を発する。

黄金の6年間とは、松任谷由実のことである


さらに馬場康夫監督は、著書『ホイチョイのリア充王~遊びの千夜一夜物語~』(講談社)のあとがきで、第二次ユーミンブームに至る前史を紐解いている。

「1975年にベトナム戦争が終わると、アメリカ兵は戦地から故郷に戻り、心の傷を癒すために太陽のもとで体を動かし始めます。とくにカリフォルニアでは、スキー、サーフィン、テニスから、新登場のスケートボード、スノーボード、マウンテンバイク、フリスビーに至るまで、様々なアウトドア・スポーツが大流行しました。その流れをいち早く掴んだのが、平凡出版(現マガジンハウス)の編集者・木滑良久さんです」

そして、彼が初代編集長となり、あの歴史的な雑誌が誕生する。

「1976年に平凡出版で雑誌『POPEYE』を創刊し、西海岸のアウトドア・スポーツとその周辺のライフ・スタイルを次々に紹介していきます。この雑誌に、学生運動と距離を置き、『シラケ世代』とも『新人類』とも呼ばれていたボクらの世代が、飛びついたのです」

かくして、その2年後の78年、ユーミンが再始動する。同年11月5日にリリースされたアルバム『流線形 '80』では、いち早く80年代のリゾートブームを予見して「ロッヂで待つクリスマス」に「真冬のサーファー」と歌い、80年の『SURF&SNOW』では、もはや針を振り切って「恋人がサンタクロース」に「サーフ天国、スキー天国」と、派手にぶち上げた。

「黄金の6年間」とは、松任谷由実のことである。





※2019年1月19日、2021年3月5日に掲載された記事をアップデート

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2022.10.03
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