12月27日

黄金の6年間:映画「男はつらいよ」変化の時代に繰り返される黄金の様式美

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ゴッホ、ヒッチコック、志村けん… 死後に評価が高まるレジェンド


フィンセント・ファン・ゴッホじゃないが、死後に評価が高まる人がいる。

例えば、今年3月に新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎で亡くなられた志村けんさんもそうだ。生前は、かつてのお笑いスターも、その一貫して変わらない芸風から、すっかりシニア枠のような扱いだったが、突然の訃報は全世界を駆け巡り、追悼番組は軒並み高視聴率。先日は、日本テレビ系の『24時間テレビ 愛は地球を救う』で追悼ドラマが放映され、こちらも22.6%と大きくハネた。いつしか、変わらない芸風は “生涯一芸人” の証しとなり、シニア枠はレジェンドへと呼び名を変えた。

サスペンス映画の神様、アルフレッド・ヒッチコックもそう。今でこそ、その芸術的な映画技法は高く評価され、映画史に大きな爪あとを残した名監督と称えられるが、生前は、そのサスペンスタッチの作風から、娯楽映画監督として格下に見られがちだった。アカデミー賞の監督賞も、再三ノミネートされたものの、一度も受賞せず。皮肉にも、リアルタイムでヒッチコックを高く評価したのは、その前衛的な映画技法で一大旋風を巻き起こした、フランス・ヌーヴェルヴァーグの若き監督たちだった。中でもフランソワ・トリュフォーは、ヒッチコックを崇拝するあまり、ロングインタビューを敢行。その記録は『映画術』なるタイトルで出版され、今や世の映画好きのバイブルになっている。

映画「男はつらいよ」でお馴染み、渥美清もその一人


そして―― 映画『男はつらいよ』でお馴染みの渥美清サンもまた、生前よりも死後、その評価が高まった役者の一人である。いや、その評価は年を経る毎に上昇を続け、昨年暮れには通算第50作目の『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開されるなど、もはや留まる気配がない。

今では信じられないが、晩年の寅さん―― 病気がちになり、事実上、満男(吉岡秀隆)がメインとなった80年代末以降の作品は、併映の『釣りバカ日誌』シリーズが終わると、寅さんを見ずに映画館の席を立つ観客も少なくなかった。ある意味、1995年の第48作が遺作となったことで、寅さんと渥美サン双方が救われたようにも思う。

さて、今日8月27日は、今から51年前の1969年に、映画『男はつらいよ』の記念すべき第1作が封切られた日である。それに由来して「寅さんの日」と呼ばれる。そこで―― 今回のリマインダーでは、同映画にまつわる話をしたいと思う。そうそう、面白いことに、寅さんもまた、「黄金の6年間」が重要な鍵を握るのである。

舞台は葛飾柴又、そして山田洋次が選んだ地方の町並み


 私、生まれも育ちも葛飾柴又です
 帝釈天でうぶ湯をつかい
 姓は車、名は寅次郎
 人呼んでフーテンの寅と発します

映画『男はつらいよ』と言うと、古き良き東京の下町を舞台に、寅さんが風光明媚な昭和の地方都市を旅してまわる―― という印象を持つ人が多いだろう。だが、少しばかり誤解があって、寅さんの生まれ故郷の葛飾柴又は、東京の東端の江戸川沿いの辺境。いわゆる “東京の下町” とは違う。ぶっちゃけ、京成文化圏だ。

そして、同映画に登場する地方の風情のある古い町並み――。これも厳密には、あの時代のど真ん中の風景じゃない。山田洋次監督が全国をロケハンして回り、開発されずに残った町並みを「これはフィルムに残すべき」と、わざわざ選んだロケ地なのだ。考えてみれば、第1作が封切られた翌年は、あの大阪万博が開かれた年。さらに、70年代前半にはマクドナルドもセブンイレブンも日本に上陸し、街の風景は一変する。

そう、寅さんが撮られた時代は、意外と新しいのだ。同映画というと、寅さんはSLで移動し、駅舎は木造で古く、旅先では小さな商人宿に泊まり、朝市をちょいと覗いて、縁日でテキヤの商売をする―― そんな印象だが、既に第1作が封切られた1969年は、消えゆくSLを追って全国でSLブームが沸き起こった年なんですね。

寅さんシリーズ未見の方、まずは第1作を見ておけば間違いなし!


 どうせおいらはヤクザな兄貴
 わかっちゃいるんだ妹よ
 いつかお前の喜ぶような
 偉い兄貴になりたくて

映画『男はつらいよ』の主題歌は、全部で4番まである。作詞:星野哲郎、作曲:山本直純、歌:渥美清。このうち、僕らに最も馴染みのあるこの歌詞―― 実は3番なのだ。1番は冒頭1行だけが異なり、「俺がいたんじゃお嫁にゃ行けぬ」で始まる。ところが、第1作で倍賞千恵子サン演じる “さくら” が博(前田吟)と結婚したものだから、5作目から、この3番が歌われるようになった。ちなみに、2作目は2番が歌われ、3作目はなぜか1番が復活、4作目は4番が披露され、5作目以降、3番が定番に――。

要するに、寅さんは、当初は映画1作のみで終わる予定だったんです(その前にテレビドラマがあったが、それを話すと長くなるので、割愛)。その1作目が爆発的にヒットしたものだから、以後シリーズ化されたというワケ。だから、寅さんを未見の方なら、まずはこの第1作を見ておけば間違いない。伝説のお見合いシーンなんて、抱腹絶倒。渥美清サンの魅力が満載の91分です。

最も評価の高い「寅次郎夕焼け小焼け」マドンナは太地喜和子


 奮闘努力の甲斐も無く
 今日も涙の 今日も涙の陽が落ちる
 陽が落ちる

ちなみに、寅さんフリークの間で最も評価が高いのが、第17作の『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』である。ゲストスターは宇野重吉サンで、マドンナは太地喜和子サン。1976年のキネマ旬報年間ベストテン第2位で、これは同シリーズ最高順位。Yahoo!映画の採点も4.31で、同シリーズトップ。僕も文句なしにシリーズ最高傑作だと思う。

ストーリーは割愛するけど、宇野重吉サンの使い方はベタだけどハマり役だし、太地喜和子サンの気風のいい芸者も痛快。ストーリーも抜群に面白く、オチもいい。もし、寅さんを1作だけリメイクするなら、この作品を大泉洋サンと寺尾聡サン、それに尾野真千子サンで撮るのはどうだろう。

まさに確信犯! 変化の時代に “変わらない” 選択


え?「黄金の6年間」の話はどうしたかって?
おっと、本題を忘れていた。同シリーズは70年代中盤までは、寅さんも勢いがあって、おいちゃん役も「バカだね~」が口癖の森川信サンや、コメディ芝居が板についた松村達雄サンなど個性的で、どの作品も安定して面白い。だが、真の意味で同シリーズがレジェンドになるのは、その次の “中期寅さん” の時代――「黄金の6年間」なのだ。

 どぶに落ちても根のある奴は
 いつかは蓮の花と咲く
 意地は張っても心の中じゃ
 泣いているんだ兄ちゃんは

まず、印象的なのが、1978年公開の第21作『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』。マドンナは木の実ナナ サンで、彼女は松竹歌劇団(SKD)の花形スターの役だ。同作品は、今はなき浅草国際劇場でSKDの踊り子たちが華麗なラインダンスを披露するのが見せ場だが、昭和の古き良きエンタメと思わせておいて―― その実、この時点で既にSKDは斜陽になっていたんですね。浅草国際劇場もこの4年後に閉館する。

考えたら、1978年って街にサーファーディスコが雨後の筍のようにできた時代で、若者たちはアース・ウィンド・アンド・ファイアーやシェリル・リンの曲に乗せて華麗に踊り、ステップを踏んだ。街は華やぎ、ファッションが時代を先導し、広告がカルチャーになろうとしていた。

そう、そんな変化の時代に、山田洋次監督は、あえて確信犯的に、昭和の古き良きエンタメを、ど真ん中のカルチャーに据えたんです。つまり―― “変わらない” という選択。その傾向は、次の第22作『男はつらいよ 噂の寅次郎』で、いよいよ鮮明になる。

王道のオンパレード「噂の寅次郎」マドンナは大原麗子


『噂の寅次郎』の封切りは、1978年12月。マドンナは大原麗子サンである。当時32歳。これが色っぽく、品があり、いい感じにもっさりしており、寅さんがホレる相手にピッタリ。そう、この回は王道のオンパレードなのだ。

序盤から面白い。タコ社長(太宰久雄)の帰りが遅いのを心配した寅さんは、借金苦による自殺と睨み、手際よく通夜の準備を始める。これはシリーズ定番のパターンで、そこへほろ酔いのタコ社長が帰って来て、2人はお決まりの喧嘩を始める。

次に、旅先の木曽路で、寅次郎は博の父親の飈一郎(ひょういちろう、志村喬)と偶然出会う。どういうワケか、寅さんはこの種のインテリのご年配層とウマが合う。これも同シリーズの定番パターン。

再び “とらや” に戻った寅次郎。一泊しただけで、翌朝出発しようとするが、そこで、店先で掃除する早苗(大原麗子)と出くわす。寅さん、いつもの一目惚れ。一旦出発するも、早苗が気になり、仮病を装い、とらやに舞い戻る展開に。ここで早苗が機転を利かせて救急車を呼び、寅次郎は搬送される。

夕方、病院から戻った寅さん。「誰が救急車を呼んだ?」と犯人探しを始めるが、早苗と知るや態度を一変。「俺、前から一度乗ってみたいと思ったの、救急車」。この時の呆れるおいちゃん(下條正巳)の顔が実にいい。

寅さん、饒舌になる。「赤だって、青だって、信号止まらないでさぁ、どんどん突っ走っちゃって」。ここで博に自慢する。「葛飾病院まで、5分だぞ!」

「あぁ、速いですね」―― これだ。この博の “普通の返し” が『男はつらいよ』最大の醍醐味。こんな感じで、同回はどこかで見たような既視感のシーンが続き、最後は寅さんが早苗に思いを寄せる青年に助け舟を出し、自らは身を引く王道展開。

あぁ、泣ける。笑いと涙と、繰り返される様式美


かくして、今回もフラれ、ラストで旅に出る寅次郎。一方、引き止めるさくら。「何もこんな時間に出ていかなくたって――」。そう、さくらはいつも寅次郎が旅に出るのを引き留める。これもパターン。実は、この行動、兄が不憫で引き留めるのではなく、幼いころに寅次郎が家出した際、親戚の家に自分だけ置いてけぼりにされた、寂しい記憶が甦るから―― だとか。

あぁ、泣ける。
笑いと涙と、繰り返される様式美。

 目方で男が売れるなら
 こんな苦労も こんな苦労もかけまいに
 かけまいに

この後、同シリーズは1983年12月公開の竹下景子マドンナ回『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』まで、この笑いと涙の様式美が続く。「黄金の6年間」の、黄金の様式美である。


※ 指南役の連載「黄金の6年間」
1978年から1983年までの「東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代」に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、その理由を紐解いていく大好評シリーズ。

■ 黄金の6年間:編曲家 大村雅朗と松田聖子の「SWEET MEMORIES」
■ 大滝詠一と松本隆の黄金の6年間「A LONG VACATION」が開けた新しい扉
■ 松本隆の時代、黄金の6年間の幕開けは原田真二「タイム・トラベル」
etc…


2020.08.27
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カタリベ
1967年生まれ
指南役
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