9月26日

【佐橋佳幸の40曲】SUPER CHIMPANZEE「クリといつまでも」桑田佳祐が結成した幻のバンド

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連載【佐橋佳幸の40曲】vol.4
クリといつまでも / SUPER CHIMPANZEE
作詞:桑田佳祐
作曲:桑田佳祐
編曲:SUPER CHIMPANZEE

マボロシのバンド、SUPER CHIMPANZEEとは?


SUPER CHIMPANZEE。桑田佳祐が1991年に結成し、たった1枚のシングル「クリといつまでも」だけを残して消えてしまったマボロシのバンドだ。メンバーは桑田の他、小林武史、角田仁宣、小倉博和、そして佐橋佳幸。やがて “山弦” なる最強ギターデュオを結成することになるふたりの新進気鋭ギタリスト、小倉と佐橋の名前が初めてバンドメイトとして共にクレジットされたバンドでもある。

「もともとオグちゃんの “音” だけは知っていたの。安藤秀樹くんのレコーディングにダビングで呼ばれてトラックを聞かせてもらったら、ものすごくいいリズムギターが入っていて。思わずプロデューサーの木﨑賢治 さんに “これ、誰ですか?” って聞いたら、“最近出てきたギタリストで、小倉くんっていうんだ” って。へーっと思って名前だけはずっと覚えていたの。それが最初。その後、小林武史さんと仕事をするようになって。彼のセカンド・ソロアルバムのレコーディングに呼ばれて行ったら、小林さんがふたつのスタジオで同時進行のレコーディングしていたのね。僕は片方のスタジオで「Water Color」(1989年7月21日)って曲を録ってて、もうひとつのスタジオの方でオグちゃんがやってた。その時が初対面だったと思う」

小林武史といえば、当時佐橋が所属していた事務所のボスでもあった藤井丈司ともども桑田佳祐が絶大な信頼を寄せていたプログラマー / アレンジャー。そんな流れで佐橋は桑田周辺の人脈との縁を深め、やはり桑田がよく起用していた小倉博和とも顔を合わせる機会が増えていった。桑田が小林と共同プロデュースを手がけた原由子のソロアルバム『MOTHER』(1991年6月1日)のレコーディングや、1991年3月、東京・日清パワーステーションで桑田が開催した伝説の3デイズ・セッション “アコースティック・レボリューション” にもふたり揃って参加している。



パワステでのカバー曲ライブでの共演から、アルバム「MOTHER」への参加


「ある日、桑田さんから “オレが若い頃に聞いてた洋楽のカバーばっかりのライブをやるんだけど手伝ってくんない?” って言われて。そんなの、まさに僕の大好物の企画じゃないですか(笑)。断る理由がない。で、僕とオグちゃんと、ツインギターで参加したのがパワステでの “アコースティック・レボリューション” だったわけです。でね、このライブのリハーサルがちょうど『MOTHER』のミックス作業と同時進行。

桑田さんはビクター・スタジオで原さんのミックス作業をやりながら隣のスタジオでパワステのリハをやってた。だから、両方に関わっていた桑田さんと小林さんはふたつのスタジオを行ったり来たりしていて。そうすると、リハのスタジオに桑田さんと小林さんがふたりともいなくなっちゃったりするでしょ。僕とオグちゃんは時間が空くよね。それで、その時間ずっとふたりでギター弾いて遊んでいたの。そのうちだんだん、“これ、なんかよくね?” みたいな感じになっていって。それが、後の山弦へとつながっていくんです」

パワステでのカバー曲ライブでの共演から、アルバム『MOTHER』への参加、そしてレコ発ツアーへ。この時期の小倉と佐橋は年がら年中、行動をともにしていたという。そう。ここが山弦の “夜明け” 時代だ。

「仕事も一緒だし、仕事が終わったら一緒に桑田さんちに飲みに行く(笑)。桑田さんの家には小さいスタジオがあってね。みんなで飲んだり食べたり、くだらない話をしたり、桑田さんが作った曲とかデモテープなんかも聴かせてもらったり…。夜な夜なワイワイやってたの。まだインターネットもない時代だったからね、お酒飲みながら桑田さんとかみんなが “あの曲、なんだっけ?” みたいなことを言いだすと、オタク担当の僕が Google 代わりになって答えたり、桑田さんに言われた曲をオグちゃんと一緒に弾いたり(笑)。そんな感じだった。あの頃、仕事が終わると桑田さんちか小林さんちかどっちかにいたなぁ。まだ独り者だったし、まず家には帰ってなかったねー(笑)」

まるで1970年代、ジョニ・ミッチェルやCSNY、ザ・バーズ、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタットら錚々たる顔ぶれが集い、新時代のポップミュージックを作り出した米西海岸ロックの聖地、ローレル・キャニオンのミニチュア版のよう。そんな中で自然発生的に誕生したバンドがSUPER CHIMPANZEEだった。

「まあ、ローレル・キャニオンなのかトキワ荘なのかわからないけど(笑)。ほんと、いっつも面白い人たちが集まっててさ。そこで「クリといつまでも」ができちゃったんですよ。そこらに転がっていたウクレレを弾いた記憶があるな。ただ、桑田さんのソロ名義でもサザンオールスターズ名義でも出せる感じの曲ではなかったからね(笑)。じゃ、このメンバーでバンド名つけて出しちゃおうってことだったんだと思う。ただ、このバンドが結成された背景には、もともと桑田さんの中に、このメンバーと一緒に中国に行ってライブをやりたいという想いがあったんです」



変わりつつある世界に向けての桑田佳祐の想い


ホームスタジオでのレコーディングならではの、自由で、ほのぼのしていて、しかも日本の芸能における伝統でもある “ほのかにエッチな小唄” の系譜も受け継ぐ「クリといつまでも」。しかしその楽しい1曲の裏側には、変わりつつある世界に向けての桑田佳祐の想いが潜んでいたわけだ。前述の “アコースティック・レボリューション” の後、6月には桑田の “いてもたってもいられない衝動” から実現したといわれる、中国・北京でのゲリラ的ライブも行なわれた。残念なことに佐橋は別ツアーのスケジュールがすでに入っていたため不参加だったが、このニュースとともにSUPER CHIMPANZEEという新バンドの名前もシーンに広がっていった。そして同年9月、ソリッドなエレキギターが咆哮する王道ロックチューン「北京のお嬢さん」とのカップリングでいよいよ「クリといつまでも」がシングル発売…。

「この曲がヒットしたおかげで、SUPER CHIMPANZEEとしてけっこう歌番組にも出ました。レパートリーが2曲しかないバンドなのにNHKで特番までやった。“アコースティック・レボリューション” の続編というか。あっちは洋楽カバー企画だったけど、NHKの特番では邦楽のカバーばかり。古い昭和歌謡とかね。司会の古舘伊知郎さんがあの名調子で曲紹介をしてくれて、僕らは1曲ごとに全員コスプレさせられて。僕もクレージーキャッツとか歌ったなぁ。「クリといつまでも」ではクリの着ぐるみまで着た(笑)。こんな経験、SUPER CHIMPANZEEがなければ一生やらなかったことですよ。超おもしろかったー」

すべてにおいて真剣。本気出して全力でふざけている「クリといつまでも」


「クリといつまでも」は、いわゆるノベルティ・ソングに分類される、ちょっとコミカルな楽曲だ。が、そんな中にも桑田佳祐の真摯な音楽へのこだわりが詰まっている。そうした面で佐橋が桑田から学んだことは大きかったようだ。

「後になって気づいたことなんだけど、お客さんはやっぱりまともじゃないもの… というか、日常生活と乖離したところへ連れて行ってくれるものを聴きたいし、観たいんだよね。それこそ “かぶき者” ですよね。そういう、ある種の狂気をはらんだものっていうのは、どんな時でも無条件に笑えるし、楽しめる。それも桑田さんから教わった大切なことのひとつ。このバンドをやっている頃はまだあまり自覚できていなかったけれど、後々いろんな場面で “あ、桑田さんがやっていたのはこういうことだったのか” と。「クリといつまでも」みたいにめちゃめちゃ面白くて楽しい曲をやっている時も、桑田さん自身はいたって真面目なの。すべてにおいて真剣。本気出して全力でふざけてる。だからこそ面白い。人を楽しませるには中途半端じゃ駄目だってことを、たぶん桑田さんは若い頃にどこかで気づいたんだろうな。毎晩のように飲んでいる時、若い頃の昔話もいっぱい聞かせてもらってそんなことを感じました」

日本を代表する究極のエンターテイナーだからこそ、自身がパフォーマーとして臨むステージで共演するプレイヤーたちにも究極を要求する。そんな桑田佳祐がまだ若かった佐橋と小倉に見出したのは、きっと単なるテクニックを超えたところにある、幅広い知識ととびきりの遊び心に裏付けられた豊かな音楽性だったのだろう。さすがの慧眼だ。

「桑田さんの場合、サザン以外だとそれまでわりとバンド系の人とやることが多かったでしょ。僕らのようないわゆる “専門の裏方” は少なかった。でも、小林さんが入ってきたあたりからいわゆるスタジオミュージシャン的な人材も参加してきて。で、これはあくまでも僕の想像なんだけど、桑田さんの中にはタモリさんがやってた『今夜は最高!』みたいなイメージがちょっとあったんじゃないかと思うの。あの番組ではハウスバンドのメンバーだった松木恒秀さんや岡沢章さんたちもコントに加わったりイジられたりしてたでしょ。同じスタジオミュージシャンとして小倉・佐橋ならあれができる… と思われたのかもしれない。だって僕ら、ハタかれそうになるとこっちから頭を出すタイプだからね(笑)。あとはスパイク・ジョーンズとか、『サタデー・ナイト・ライブ』とか、ああいうミュージシャン的なエンタテインメントを日本でやれないだろうか… と」

ちなみに、あまりにも自然発生的に、いつの間にか結成されていたバンドゆえ佐橋自身まったく気づいていないかもしれないのだが。実は「クリといつまでも」は、佐橋にとってUGUISSを解散して以来、初のバンド名義でのリリースでもあった…。


次回【槇原敬之「もう恋なんてしない」イントロの魔術師が奏でるスライドギター】につづく

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2023.11.25
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カタリベ
1964年生まれ
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