9月24日

大ブレイクしたレッド・ホット・チリ・ペッパーズ!名曲「ギヴ・イット・アウェイ」収録

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レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアルバム「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」発売日
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レッド・ホット・チリ・ペッパーズが90年代に残した3枚のアルバム ①『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』

レッチリ来日記念、コラム3連発! 初回は「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」


2024年5月、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下:レッチリ)が来日する。今回のライブは代表曲を惜しげもなく披露するとアナウンスされている。前回の来日公演でもヒット曲満載だったが、それ以上の大盤振舞が期待できるのだ! チケット代はなかなかの金額だが、間違いなく素晴らしいライブを観せてくれるだろう。

今回の来日公演を記念して、90年代にレッチリがリリースした3枚のアルバムについてコラムを書かせてもらう。記念すべき初回の題材は、彼らがメジャーブレイクしたアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』について語ってみよう!

変態バンド レッチリが土足でメジャーシーンへ乱入


80年代のレッチリは、ファンク、ラップ、ロックをハードコアにミクスチャーするという面白くも破天荒なアイデアを持っていたが、正直、テクニック面が追いついていなかった。こうした状況を打開するための最初のステップになった作品が『母乳』(原題:Mother's Milk)といって良いだろう。音楽的な体裁を整え、ある意味、聴きやすさを備えた『母乳』は、新加入したギタリスト=ジョン・フルシアンテの初お目見えとなった作品だ。



メンバーの出入りが激しかったレッチリが、『母乳』に伴うツアーをこなし、そのメンバーによって制作されたアルバムが『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』である。固定されたメンバーによるレコーディングにより、それまでのジャンルミキシングによる煩雑さが整理整頓され、整合感ある音像を獲得しつつも、バンドの破天荒さを失うことなく提示することに成功している。

このあたりの手腕はプロデューサーのリック・ルービンの功績も大きかったのだろう。アングラ変態バンド扱いされることの多かったレッチリだが、破天荒な振る舞いはそのままに、メインストリームに進出し、好き放題やりながらも、どんどんメジャーな存在になっていくさまは何とも痛快だった。

当時の音楽シーンのメインストリームであったポップミュージックやスタジアムロックに退屈していた音楽ファンも多かったと思う。そんなメジャーなロックシーンのド真ん中に土足どころか、ほぼ全裸でドカドカと乱入していくレッチリの音楽とバンドの佇まいは、最高にカッコよかったし、90年代のオルタナティブロックは、革新性を失うことなく大メジャーにのし上がれるのだと感じさせてくれた。

シリアスな表現から感じる王道ロック


この時期のレッチリは、技巧がレベルアップしただけではなく、シリアスな表現へのアプローチが始まった時期とも重なっている。その代表的な楽曲が、「アンダー・ザ・ブリッジ」や「パワー・オブ・イコーリティ」といえるだろう。

前者は、ドラッグを絶とうとするアンソニーが、孤独感と故郷であるロサンゼルスへの愛をセンチメンタルに歌う名曲だ。また、後者はアメリカに巣食う差別に対するアンチを攻撃的に歌うメッセージソングになっている。こうしたロックバンドの王道である切なさと攻撃性を表現できるようになったことで、バンドがそれまでよりも格段にスケールアップした。

今でこそ切なくシリアスな曲を歌うレッチリに違和感を抱く人はいないだろうが、1991年に本作がリリースされた時は、「アンダー・ザ・ブリッジ」のようなシリアスな楽曲に対し、レッチリらしくないと感じたファンもたくさんいたことだろう。しかし、レッチリはキャリアを積み重ね、切なく泣ける王道ロックを歌えるバンドになったのだ。結果として、本作はビルボード・アルバムチャートで2位を記録し、収録曲の「ギヴ・イット・アウェイ」はグラミー賞(最優秀ハードロック・パフォーマンス・ウィズ・ボーカル賞)を獲得した。のセールスも1,000万枚以上を記録し、世界的な知名度を獲得したのだ。





ジョン・フルシアンテ脱退、次回は「ワン・ホット・ミニット」


順風満帆に思われたレッチリだが、この後、誰も予想しない事態に陥る。レッチリ大躍進の立役者=ジョン・フルシアンテが1992年の来日公演中に脱退してしまうのだ。

そんな苦境にレッチリがどのように対峙していったのか… この続きは、次回のコラムでアルバム『ワン・ホット・ミニット』を題材に語らせて頂こう。


レッチリが90年代に残した3枚のアルバム ②『ワン・ホット・ミニット』は5月13日(月)掲載予定です。お楽しみに!

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2024.05.06
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カタリベ
1972年生まれ
岡田ヒロシ
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