5月9日

【佐橋佳幸の40曲】桐島かれん「Traveling Girl」とプログラマー藤井丈司との出会い

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連載【佐橋佳幸の40曲】vol.2
Traveling Girl / 桐島かれん
作詞:尾上文
作曲:佐橋佳幸
編曲:佐橋佳幸・西平彰・藤井丈司

桐島かれんソロデビュー曲「Traveling Girl」、作曲を手がけたのは佐橋佳幸


モデル、女優、ラジオ・パーソナリティーなど幅広い分野でマルチに活躍し、現在もオトナの女性を中心とするファン層から熱烈な支持を集める桐島かれん。彼女には歌手として活動していた期間もあった。1989年、再結成サディスティック・ミカ・バンドの新ヴォーカリストに抜擢され歌手デビュー。アルバム『天晴』と再結成ツアーに参加した。

その後、1990年にはソロシンガーとしても活動開始。アルバム2枚を発表している。残念ながらその音楽活動はミカ・バンド時代を含めて実質3年あまり。短期間で終わってしまったのだけれど、ミカ・バンドで見せた唯一無二の存在感も、当時の気鋭クリエイターたちとがっちりタッグを組んだソロ作品のクオリティの高さも、時代を超えて評価され続けている。

そんな桐島かれんが1990年、ソロ名義で初めてリリースした記念すべきソロデビュー曲が「Traveling Girl」。作曲を手がけたのは佐橋佳幸だ。プロデュースは藤井丈司。編曲には藤井、佐橋、そして西平彰の3人が連名でクレジットされている。作詞は尾上文。いかにも佐橋らしいフォークロック・テイストが、若き桐島かれんのちょっと鼻にかかった甘くクールな歌声を浮き彫りにしてみせる極上のポップチューンだ。藤井の他、鈴木慶一、高橋幸宏、加藤和彦らがプロデュースを手がけた楽曲を満載したデビューアルバム『かれん』にも収録されている。



シンセサイザー・プログラマーの先駆者、藤井丈司との出会い


桐島かれんと佐橋佳幸という、ちょっと意外な顔合わせによる唯一のコラボレーション作品。が、佐橋にとっては、忘れられない仕事のひとつだという。

「UGUISS時代に知り合った人が多いから当然のこととは言え、当時の僕はわりとEPIC系の人脈との仕事が生活の中心になっていたんだけど。今になって思えば、それとはちょっと違う流れに入っていくきっかけを作ってくれたのがこの曲だったのかな…」

90年代に入ってほどなく、佐橋はUGUISS解散後から所属していたヴァーゴ・ミュージックを離れ、藤井丈司率いる、気鋭のエンジニアやプログラマーを擁する新会社、”TOP” へと移籍している。この「Traveling Girl」での藤井との共同作業も、移籍へのひとつのきっかけになったと佐橋は記憶している。

YMOのアシスタントとして音楽キャリアをスタートさせた藤井はシンセサイザー・プログラマーの先駆者のひとり。その後、プロデューサーとしてもサザンオールスターズや布袋寅泰、玉置浩二、JUDY & MARYらの作品に関わってきたポップミュージック史のキーパーソンだ。佐橋は、鈴木祥子の初期レコーディングで初めて藤井と出会ったという。

「年齢は4つくらいしか違わないんだけど、若くから仕事を始めていた藤井さんはすでに業界の大先輩という感じだった。でも、藤井さんとの出会いはものすごく新鮮だったの。考え方も発想も全然違う。今までに会ったことのないタイプの人でさ。やっぱ、YMOとかの世界にはこういう人がいるんだなぁ… なんて思ってたの。そしたら向こうも “キミ、おもしろいね” って、僕みたいなのが新鮮だったらしくて(笑)。それで、いろんなことを話すようになって。あんなに打ち込みバリバリの人だけど、藤井さん、もともとはブルースロックのバンドをやってた人だからさ。ギターもうまい。作業の待ち時間には “ちょっとギター貸して” って僕のギターをずっと弾いてたりしていたの」

近年では音楽制作のみならず、大学の客員研究員を務めるなど日本のロック・ポップス史研究の第一人者として知られる藤井丈司。小学生時代からバカがつくほどの音楽オタクだった佐橋と意気投合したのも当然のことかもしれない。数えきれないほど音楽的引き出しを持つふたりは、自然と親交を深めてゆく。そんなある日、桐島かれんのソロプロジェクトに携わることになった藤井から「佐橋くんは曲も書くんだよね?」と問われた。「書きますよっ!」と即答した佐橋は、さっそく曲作りを始める。

「60年代のフォーク・ロックっぽい曲がいいな、というアイディアが最初にあって。僕としてはザ・バーズみたいな感じにしたかったの。曲ができて藤井さんに聞かせたら気に入ってくれたんだけど、”ここにもうちょっと何か大サビを入れてみない?” みたいな話になって。それで、藤井さんと一緒に、”TOP” の中にあるプリ・プロダクションができる部屋にこもって一緒に曲を仕上げていった。僕が “こうですか?” ってメロディを作ると、横で藤井さんが “あ、それそれ!” みたいな感じでパタパタパタッてパソコン叩いて。その場で曲を作りながら、簡単なデモを仕上げていく。楽しかったよ。そういうやり方、今でこそ誰もがフツウにやっていることだけど。その頃の僕には思いっきり新鮮だった」

藤井丈司


新たなムーブメントの中に自然と引き込まれてゆく


時代はアナログからデジタルへ。当時まだ裏方仕事的なイメージの強かったシンセサイザー・プログラマーが、以降の音楽制作の現場において重要な役割を担ってゆくことが確信されつつあった頃。藤井との出会いによって、佐橋佳幸も音楽シーンの新たなムーブメントの中に自然と引き込まれてゆくことになる。

「曲ができた後は、藤井さんは打ち込みとか全体のディレクションをやってくれて、あと、ずっと一緒に鈴木祥子ちゃんのプロジェクトをやっていた西平さんにも入ってもらって、3人であーでもないこーでもないと編曲していったの。この曲、もし僕がひとりで考えて作っていたら、ちょっとアメリカンっぽくなりすぎちゃったと思う。僕は60年代のフォークロックを想定していたけど、藤井さんの中にはもう少し新しい要素も入ったイメージがあったんだと思う。それでフォークロックやカントリーロックで使うような楽器と、最新の打ち込みサウンドが融合したサウンドになったの。マンドリンも入ってるけどフェアライトも使われてる、みたいな。ある意味、とっても1990年という時代を象徴する曲だったかもしれない」

ひとりの音楽家としてもう一歩先へと踏み出したい…ひとつの答えになった「Traveling Girl」


この時期の佐橋は多忙を極めていた。ギタリストとして数えきれないほどのセッションに参加。編曲家としても着々と評判をあげていた。自らの才能を必要とされ、頼りにされることへの喜びはあったし、忙しい毎日が自身を成長させてくれているという実感もあった。でも、だからこそ、ひとりの音楽家としてもう一歩先へと踏み出したい… という思いが日に日に強くなっていたという。もっと自分の世界を広げたい。でも、どうやったら広げられるんだろうなぁ…。そんなことを漠然と考え続けていた時期、ひとつの答えになったのが「Traveling Girl」での経験だった。

「渡辺美里のレコーディングでは、エンジニアはずっと伊東俊郎さんだったの。それで、藤井さんも伊東さんはよく知っているし、「Traveling Girl」も伊東さんにお願いしたのね。つまり、この曲、藤井さんがプロデュースと打ち込みをしていることを除けば、ほぼ美里と同じチームで作ってるんだよ。西平さんも、初期の美里作品に参加している人だからね。なのに音が全然違う。びっくりした。歌っている人が違うだけでこんなにも音が違うんだっていうことを、当事者として初めて実感したのがこの時だったな…。それまでの僕はついつい知り合いばかりと仕事している感じになりがちで。いつも一緒にやってる人とやるのは楽だし、現場も楽しいし。それはそれでひとつの考え方ではあると思う。でも、「Traveling Girl」をきっかけに、もっといろんな人とやってみたいと思うようになった」

結果的にこの楽曲は、音楽的にも人脈的にも、ひとつの確かな転機をもたらしてくれることになった。多忙すぎる日々の中で狭まりがちになっていた視界が、ここからまた拓けてゆく。移籍による何よりの大きな変化は、それまで出会う機会がなかった大センパイ世代のミュージシャンたちとも交流が生まれたことだったという。1991年のアルバム『LOVE LIFE』のレコーディングに呼ばれて出会った矢野顕子をはじめ、ティン・パン・アレイ系、ナイアガラ系のようなレジェンド世代からも頻繁に声がかかるようになった。



「70年代から新しいものを切り拓いてきた人たちはみんな、やっぱすごい技術があって。あと、ものすごい音楽オタク。世代的にはちょっとだけ若いけど、藤井さんもその世代の最後のほうに間に合った人。ほんと、いろんなこと知ってるし。教えてくれるし。僕もずっと自分はオタクだと思ってきたけれど、とんでもない。あの世代の人たちにはかなわないよ、絶対」

音楽ファンとして小学生の頃から憧れてきた人たちとの仕事、というだけではない。彼らレジェンドたちの音楽的な奥深さ、引き出しの豊かさに触れ、佐橋佳幸はさらに大きく成長してゆく。失望しかなかったUGUISS解散からここまで5年あまり。時間が解決してくれることもある… のかもしれない。


次回【太田貴子「Long Good-bye」村松邦男とシュガー・ベイブの香り】につづく

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2023.11.11
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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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