OSAKA TEENAGE BLUE 1980~vol.7■オフコース『愛の中へ』
作詞:小田和正
作曲:小田和正
編曲:オフコース
発売:1981年12月1日
高校生になった1982年春、真剣に考えたクラブ活動
1982年春、僕は高校生になった。通うことになった高校は、大阪市内、かなりの街なかと言っていい。
大阪の街外れの空気の中で、暗く沈み込んだような中学生活から、大阪市内の街なか、都会的な高校生活へ脱出するチャンスをつかんだと思った。
だから、新しいことを始めなければいけない。新しいことに踏み出さないと、沈んでいた過去の自分は脱ぎ捨てられない。そう思って、クラブ活動について、真剣に考えた。
音楽をやることは決めていた。沈み込んだ中学生活、心の支えとなった音楽を、もっと自分の側に引き寄せたいと思ったのだ。
しかし、残念ながら軽音楽部の類はなく、あるのは、室内楽部、コーラス部、クラシックギター部の3つ。この3つの部の部室が、通称「音楽横丁」と言われる、音楽室横の小部屋に並んでいる。
新人勧誘の演奏会で、3つの部の発表を見て、室内楽部を選んだ。
「室内楽部」とは聞き慣れない名前だった。分かりやすく言えば「オーケストラ部」なのだが、公立高校ということで予算も潤沢に無いからか、この部にはビオラやフレンチホルンが用意されていなかったのだ。だから控えめに「室内楽部」という呼称に落ち着いたと聞く。
家ではギターも弾いている。またコードくらいならピアノも弾けるので、ここで思い切って、新しい音楽世界に踏み出そうという気概で、「室内楽部」を選んだ。
加入したのは室内楽部、そしてトランペッターに
「ところで、楽器は何にする?」
クラブへの加入希望を伝えた部長が、おもむろに聞いてきた。
「ギターやっているんで、弦楽器がいいです。もしくは木管楽器か」
正直なところだった。逆に、金管楽器や打楽器は遠慮したかった。うるさそうだし、重そうだし、だいいち、それらの楽器の担当メンバーに女子が少ない。
「弦楽器なら、余っているのは…… コントラバスか、あとトランペット募集中やねんけど、どう?」
おっと、部長が意表を突いてきた。弦楽器と言っても、自分の背丈よりも大きそうなコントラバスは、面倒くさそうだ。大きいし、かっこよくないし、それに―― コントラバスのメンバーに女子がいない。
完全なる消去法で、今の今まで考えたこともなかったトランペットを吹くことに決まった。まぁ、軽くていいし、自分が日頃聴いているロックやポップスでも、たまに響いてくる楽器だし。
渡されたのは、学校に保管されていた、かなりくたびれたトランペットだ。楽器本体には大きな傷がいくつも。また、俗に「朝顔」と言われる、音を放つ前方部分は、金属のメッキが剥がれている。
いかにも激動の1970年代を超えてきた顔付きだ。噂ではこの高校、70年代前半に、高校にもかかわらず、ちょっとした学生運動が起こったと聞くが、この、くたびれたトランペットも、シュプレヒコールを聞いたり、バリケードを見たりしたのだろうか。
「分かりました。がんばります」
1982年春、僕は、トランペッターとなった。
街外れの僕と街っ子の先輩女子、放置されたわけは?
ラッキーなことに、トランペットには女子の先輩、清水さんがいた。
しかし、これが独特な人で、何というか、人当たりがあまりよくなかった。というか、男子の後輩と接しにくいと感じているようだった。
清水さんは、僕が通っていた中学にはいないタイプの女子だった。街外れと街なか、場所も違うし、空気も違う。しかし、圧倒的に違うのは、生徒だ。分かりやすくいうと、街なかにあるこの高校には、当たり前だが、街っ子が多い。
具体的に言えば、僕とは違う大阪市内の街っ子。おしゃれで垢抜けていて、心なしか、アクセントもちょっと違う感じがする。そして、清水さんも大阪市内出身の街っ子だという。
街っ子はクールだ。僕自身も、ベタベタされるより、クールに突き放されたほうが気分的に楽と思う性質(たち)だけれど、これから楽器を始めようとする身として、クールに扱われても困ってしまう。くたびれたトランペットを前に、そもそも何をどうすればいいかすら分からないのだから。
一応練習ということで、音楽室に2人きりになるのだが、会話もおぼつかなく、雰囲気も良くない。結局、僕は放置されることになって、誰もいない音楽室の中、マウスピースに口を当てて、「プゥゥゥー」という情けない音を出し続ける練習を繰り返した。
「プゥゥゥー」
という情けない音が、音楽室に響き渡る。置いてきぼりとなった僕の心の中にも響き渡る。
音楽室の楕円形の窓から差し込んでくる、春の夕暮れの日差し。
それでも、我慢して練習を続けていたある日、清水さんと、同じくトランペットの3年生男子の先輩との口論が、「音楽横丁」から聞こえてきた。
「ちゃんと教えたらなあかんやないか!」
「私、あかんのです。男子としゃべるの苦手なんです!」
なるほど。要するに、清水さんが僕を放置するのは、彼女がクールな街っ子だからではなく、単に男子が苦手なのであり、つまりは、僕に教えるというのが生理的に嫌だということらしい。
あーあ、困ったことになった。
今から考えれば、クラブ活動という場において、後輩に教えることが出来ない先輩、もしくは、放置されるポジションに僕を置いた部長に責任がある気がするのだが、そのときは逆に、こちらが申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
結局は、清水さんを飛び越えて、3年生男子の先輩が直接教えてくれることになったのだが、僕としては、申し訳ない感じに加えて、清水さんといよいよ気まずくなったこともあり、何となくすっきりしなかった。
そんなあれこれもあり、トランペットはなかなか上手くならなかった。というか、話を急げば、結局、大学含めて7年間吹き続けたのだが、最後まで上手くなることはなかった。
僕がトランペットのソロを?
「オフコースの『愛の中へ』のソロですか……」
時は流れて、音楽室に差し込んでくるのは、大阪の夏特有の強烈な日差しになっていた。夏休みのお盆に行われれる「OB交歓会」という室内楽部内のイベントがあり、そこでオフコースの『心はなれて』と『愛の中へ』という2曲メドレーを演奏することとなったのだ。
前年1981年の暮れに発売された彼らのアルバム『over』のA面の1~2曲目。「室内楽部」と言いながらオフコースをレパートリーとするのは奇妙に思われるかもしれないが、この『心はなれて』が弦楽アンサンブルによるインストゥルメンタルだったので、このメドレーをやろうということになったのだ。
選曲の首謀者は、3年生の男子連中だった。もう短髪の時代だったが、彼らは、なぜかみんな長髪で、メガネをかけていて、そして熱烈なオフコースファンだった。
受験勉強の気分転換もあったのだろう、「音楽横丁」に集まっても、クラブの練習そっちのけで、バンドスコアを広げて、オフコースのコード進行の分析とかをやっていた。
オフコースは、僕も比較的好んで聴いていたし、選曲には文句はないのだが、困ったのは、2曲目『愛の中へ』の中間部にある、トランペットのソロをやれという指令が下ったのだ。
「いやいや。出来ませんって」―― と言いかけたが、「こんな、プレッシャーのない内輪の会はソロデビューの絶好の機会だ」と説得されて、しぶしぶ受けることとなった。
具体的には、「♪ねぇ どうして うつむいているの 冷たい風に ふるえているみたい」の部分。短いメロディなのだが、そのときは、もう、1つのシンフォニーを吹ききるような緊張感を抱いた。
練習した。夏休みを返上して練習した。1982年の夏休み、僕は、『愛の中へ』を吹き続ける音楽室の中へといざなわれた。
『愛の中へ』のソロのメロディを、僕は来る日も来る日も練習した。
オフコースがつないでくれた先輩女子との関係
大阪の夏。それも高層ビルが詰め込まれた大阪市内の夏は、とりわけムシムシする。また音楽室には、冷房装置など無かった。だから、楕円形の窓を開け放ち、ちょっとした風と、ミンミンゼミがフォルテシモで鳴き続ける音が入り込んでくる音楽室の中で繰り返される『愛の中へ』。
暑さのせいなのか、ちょっとした異変が起きた。清水さんが練習を見てくれるようになったのだ。
「あぁ、そこはそんなに力入れなくてええねん」
「そこの音程はちょっと低いなぁ。気を付けて」
生まれ変わったように、清水さんは僕の面倒を見てくれるようになったのだ。どうしたことなのだろう。
いよいよ「OB交歓会」の前日となった。清水さんの態度が変わったのを不思議に思った僕は、思い切って、直接聞いてみた。
「だってな、このオフコースは失敗できへんねん。なんでか言うたらな、この部でこの曲演奏するの、松尾さんの夢やったから」
松尾さんというのは、3年生男子長髪メガネ男子オフコース好き連中の1人だ。
「松尾さん?」
「うん。うちら付き合(お)うてるねん」
何と! そういうことだったのか。
彼氏の夢の実現のためなら、あれほど億劫そうだった後輩男子との会話も、スムーズにこなせるようになるのか。女子というのは謎な生き物だ。そして、愛の力って怖ろしい。
「ほな、明日、頼んだで!」
あのクールな清水さんが別人のようだ。でも、おかげで、僕の緊張感もいくぶんほぐれてきたようだ。
当日がやってきた。
オフコース「愛の中へ」を吹いて学んだこと
「OB交歓会」。タイトルはいかめしいが、20人程度のOB・OGを音楽室に呼んで、軽食とジュースを出しながら、多少の会話とゲーム、そして僕たちの演奏で締める、小規模な内輪の会だ。
会は着々と進行していく。近況報告を発表しながら、結婚や出産の話に驚き、椅子取りゲームに盛り上がりながら、ついに僕たちの演奏のときがやってきた。
指揮は、松尾さんだ。高校生活最後の夏、自分たちでオフコースを演奏できることに感無量のようだ。心なしか瞳が湿っているようにも見える。
1曲目『心はなれて』。ビオラがない分、第2バイオリンが丁寧にアレンジされている。コンサートミストレス=第1バイオリンのリーダーを務める女子が、弦楽器全員に目配せしなから、演奏をリードする。
ブレイク無しで、いよいよ2曲目の『愛の中へ』だ。トランペットは2人。清水さんと僕。
例のソロまでは、簡単なロングトーンが続く。不思議なことに、思ったより緊張していない。隣りに座っている清水さんが、途中途中で、優しく微笑んでくれているからかもしれない。
楽譜の右側に書かれたソロが迫ってくる―― 迫ってきた。
「行く!」
僕は心の中で踏み切り板に飛び乗り、ぴょーんと飛ぶ。左に座っている清水さんが、みんなに見えないよう、右手で小さくOKマークを作って僕に見せた。
清水さんの心の声が聞こえた気がした。
「行け!―― ソロの中へ!」
そして、演奏が終わった。
成功なのか、失敗なのかは分からない。そもそも、ついこの間までズブの素人だった僕が判断することでもない。それでも一応、演奏は終わって、清水さんも、松尾さんも、僕のことをねぎらってくれた。
はたから見ればちっぽけなことかもしれないが、僕にとっての大きな大きな夏のイベントが終わった。
会が終わって、もう薄暗くなった帰り道、僕は、ソロを吹いて自分がちょっとだけ変ったのを感じた。
これまでほとんど経験しなかった、誰かに向かって何かを表現すること―― 楽器を演奏することや、もしかしたらこれから、書いたり、話したり、歌ったりすることって楽しい。そう感じ始めている自分に気が付いたのだ。
この夏に学んだこと、その1―― 表現する力、表現する喜び。
しかしまさか、40年後の僕が、あれこれ書いたり、話したり、たまには歌ったりしているとは、さすがに想像つかなかったが。
など、今日の自分をちょっと満足げに振り返りながら、ターミナル駅までのバス通りをトボトボ歩いていると、電柱の後ろに怪しい物陰が見えた。
物陰は、清水さんと松尾さんが抱き合っている姿だった。濃厚なキスをしている――!
この夏に学んだこと、その2―― 恋愛する力、恋愛する喜び。
―― ♪ 心がことばを超えて 愛の中へ連れてゆくよ
僕もいつか、連れて行かれるのだろうか。愛の中へと。
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2022.01.30