リ・リ・リリッスン・エイティーズ ~ 80年代を聴き返す ~ Vol.1 The Age of Plastic / The Buggles トレヴァー・ホーンのキャリアのスタート、ザ・バグルス
1980年代のスタート直後に登場した『The Age of Plastic』というアルバムについて振り返りたいと思います。アーティストはバグルス(The Buggles)。バンドのデビューアルバムであり(と言っても2枚で解散してしまいますが)、さらにはそのメンバーにして、いずれもこの後ポップミュージック界のキーパーソンとなっていく、トレヴァー・ホーン(Trevor Horn)とジェフ・ダウンズ(Geoff Downes)にとっての、これがキャリアのスタートでもあります。
ファーストアルバムの邦題は「プラスチックの中の未来」だった
「Age」という単語に「80年代」という “新時代” への意気込みを感じます。それを汲み取ったのでしょう。当初の邦題は『プラスチックの中の未来』というものでした。なかなかよい邦題ではないですか。直訳して『プラスチックの時代』ではちょっと味気ないし。「廃プラ」が大きな社会問題となっている現代とは違い、この頃はまだ、“プラスチック=万能の素材” というような期待感もありました。ただやはり反面、“無機質” や “均質化” の象徴でもあり、このタイトルにはその両方のイメージが込められていると思います。
ところが、この中の「Video Killed the Radio Star」が大ヒットすると、その邦題「ラジオ・スターの悲劇」をアルバムの邦題にも使うことになり、『プラスチックの中の未来』は捨ててしまいました。レコード会社のアホな “商売人” の仕業でしょうね。音楽業界はいつの世も、クリエイターと “商売人” のせめぎ合いです。で、もちろん商売ですから、よりたくさん売る人が褒められ、出世をし、発言権をにぎる。“商売人” のほうが強いんです。ここで “商売人” になぜ “ ” をつけているかと言うと、目先のことしか考えないエセ商売人が多いからです。だからやることがセコい。ホンモノの商売人ならもっと先まで見通して大胆なことをやるでしょう(2015年のリイシューで邦題は元の「プラスチックの中の未来」に戻したようです。もうとっくにほとぼりは冷めていますからね)。
… 話がズレました。もちろんタイトルだけでなく、肝心の音楽にも、これまでになかったような新しいポップミュージックを作るんだという意志が溢れています。
インスパイアされた音楽はクラフトワーク「人間解体」など
とは言え、どんな芸術であれ、先人の功績や世の中の動向の影響を受けないものはありません。ホーン自らも、クラフトワーク(Kraftwerk)の1978年5月発表のアルバム『人間解体(The Man-Machine)』にインスパイアされたと語っているようですが、7月にはディーヴォ(DEVO)の『頽廃的美学論(Q:Are We Not Men? A:We Are Devo!)』さらに11月には YMO の1st アルバムもリリースされており、にわかにシンセサイザーによる人工的な音色とシーケンサーによる機械的ビートが、音楽スタイルの最先端として注目を集めていました。
そしてそのちょっと以前から、当時は世界的な大ディスコブーム。YMO も、細野晴臣の結成時のコンセプトは、「シンセサイザーをフィーチャーしたエレクトリック・アジアン・ディスコ」という、ディスコの発展形という発想でした。またそもそも、ホーンとダウンズが出会ったのは、ティナ・チャールズ(Tina Charles)というディスコ系シンガーのバックバンドのメンバーとしてです。デビューシングル「ラジオ・スターの悲劇(Video Killed The Radio Star)」のデモはティナがボーカルを引き受けましたし、彼女はアルバムにもコーラスで参加しています。当時のディスコの “4つ打ちビート” はシーケンサーの正確なビートと親和性が高く、両者の融合は音楽を創る人、楽しむ人双方にとって、もっとも魅惑的なサウンドだったのです。
制作費6万ポンド! バグルスが目指したその先をいくポップミュージック
ただバグルスが目指したのはその先をいくポップミュージック。彼らはシンセサイザーとシーケンサーを多用しながらも、クラフトワークや YMO のような、人間性をあえて無くす方向でのおもしろさではなく、そこに親しみやすいメロディとシニカルな詩の世界を組み合わせました。ヒューマンなものとマシーンライクなものの対峙あるいは融和ということを、彼らはサウンドにおいても表現しようとしました。アルバムは全曲歌モノですが、ホーンのボーカルは極力抑揚や表情を抑え、ロボットぽくなるように加工されています。
ドラムの録音方法もユニークでした。レコーディングエンジニアのゲイリー・ランガン(Gary Langan)の話によると、生ドラムを叩いての録音なんだけど、まずキックだけ、それもドラマーがやりやすいように全体を叩きながらキック以外をタオルなどでミュートして録り、それからハイハットだけ、スネアだけというぐあいに録っていったそうです。そうやってどこかふつうとは違うドラムサウンドを作ろうしたのです。「リンドラム」などのリアルなドラムマシーンがまだない時(82年に登場)だったから編み出した方法かもしれませんが、“人間と機械の間” というこの感覚はリンドラムでは出せません。
とにかく、ホーンの音へのこだわりようはものすごかったらしく、ランガン曰く、「彼とのレコーディングはフルマラソンを走るようだった」そうです。でもそれが刺激的でたまらなく楽しかったらしい。納得いくまでとことん追求しながら、しかも楽しんで創ったレコードが面白くないわけがありませんね。ただおかげでアルバムの制作費は6万ポンドもかかってしまったとか。現在の日本円だと3,240万円です。これはかなりの金額で、当時の平均の3倍以上じゃないかな。こんなにかけられたのはシングルがヒットしたおかげですね、きっと。
新時代の到来、MTVの記念すべき1曲目「ラジオ・スターの悲劇」
実はシングルの「ラジオ・スターの悲劇」は前年79年9月7日に発売されています。前述のデモをアイランド・レコードの社長、クリス・ブラックウェル(Chris Blackwell)が気に入って契約、まずシングルを発売すると、10月には全英1位を獲得するというトントン拍子。「それっ、急いでアルバムを」ということになりましたが、まだ曲が足らなかったので、シングルのプロモーションに忙しく駆けずり回りながら、合間を見ては曲作りやレコーディング作業を進めたそうです。
アルバム全8曲、いずれもポップな詞曲、工夫され洗練されたサウンドで粒揃いなのですが、いかんせん「ラジオ・スターの悲劇」があるせいで、それ以外の曲がやや見劣りしてしまうという “うれしい悲鳴”(?)が上がるほどに、やはりこの曲の完成度は高いと思います。
1981年8月1日午前0時、その後の音楽マーケットをガラッと変える役割を果たした「MTV」が米国でスタートしましたが、その記念すべき第1曲目にオンエアされたのが、この「ラジオ・スターの悲劇」でした。古きよきラジオ時代の音楽や文化をテレビが駆逐してしまったことを嘆く歌。音楽に映像時代をもたらしたMTVとは真逆の思想です。それをあえて幕開けの曲として選んだことは、なかなか気の利いたウィットだったと思いますし、そんなエピソードも含めて、まさにこの曲このアルバムは、新時代の到来を象徴する傑作だったと言えるのではないでしょうか。
2020.04.14