1月19日

ピンク・フロイドのロックオペラ「ザ・ウォール」今こそ壁を取り壊すとき!

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ピンク・フロイドのアルバム「ザ・ウォール」が全米1位になった日
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全世界で3,000万枚以上の売上げ、1980年全米年間No.1アルバム


40年前の1980年(昭和55年)4月26日付で、前年1979年11月30日にリリースされたピンク・フロイドの2枚組アルバム『ザ・ウォール』が、ビルボード誌のアルバムチャートで15週連続1位を記録した。1月19日付から足かけ4か月。このアルバムはアメリカで1980年の年間No.1にも輝いた。

本国イギリスでこそ最高3位であったが、全世界で3,000万枚以上を売り上げた。しかしこのメガヒット、今振り返ると80年代の幕開けというよりは70年代の終焉という方が相応しいかもしれない。

この『ザ・ウォール』ほど、大ヒットしたことがファンの一部から認められなかったアルバムは恐らく無いのではなかろうか。

ピンク・フロイドが放った2枚組ロックオペラ「ザ・ウォール」


主人公ピンクが、母の過干渉、学校の管理教育、そしてロックスターとしての成功の虚しさに対し心の中に壁を築くことで自身を守ろうとするが、結果として孤立を深め闇に陥り、遂には心の声に従いその壁を取り崩す… という、ロジャー・ウォーターズ(ベース)が紡いだ重厚長大なストーリーが、LP2枚、全24曲、74分に渡って語られている。いわゆるコンセプトアルバムであり、70年代に花開いたプログレッシヴロック、略してプログレの雄、ピンク・フロイドの名に恥じない重みがある。

最後の曲「アウトサイド・ザ・ウォール」と最初の曲「イン・ザ・フレッシュ?」が小さな声の語りで繋がっていて言わば無限ループになっていたり、「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」がパート1から3と3回、「イン・ザ・フレッシュ」も2回登場するなどロックオペラの名に相応しい “旋律の繰り返し” があったり、LPのA面からD面までそれぞれの面の最初と最後にはその位置に相応しい曲が配置されていたりと、その構成はLPの特性も生かした巧みなものであった。

C面の1曲め「ヘイ・ユー」が当時自主映画に多用されるなど、コンセプトだけではなくメロディーも粒揃いだった。こんな名作が、なぜファンの一部には認められなかったのであろう。その理由は『ザ・ウォール』がポップであったことに尽きるだろう。

70年代ロックの終焉、ポップに “転向” したプログレの雄


『原子心母(Atom Heart Mother)』(1970年)『おせっかい(Meddle)』(1971年)といったアルバムでLP片面1曲という大曲を世に出し、前作の『アニマルズ』(1977年)でも10分以上の曲を3曲も並べていたピンク・フロイドにとって、全24曲で74分すなわち平均約3分、最も長いC面最後の曲「コンフォタブリー・ナム」でも6分22秒という曲のサイズはあまりにもポップだった。

そして学校の管理教育への反発をテーマにした先行シングル「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」の大ヒットも、らしくなかった。

サイケロックバンドとしての初期を除き、ピンク・フロイドは重厚長大なアルバムを主戦場とし、シングルは殆どリリースしなかった。アメリカでのトップ100入りはここまで1973年の名作『狂気(The Dark Side Of The Moon)』からの「マネー」(最高13位)1曲しか無かったのである。

ところが「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」はビルボード誌で3月22日付から4週連続で1位を獲得し、なんと年間でも4位に輝いた。本国イギリスでもピンク・フロイド2曲めのトップ10ヒットにして初の1位を獲得している。

このシングルカットを主張したのが、デヴィッド・ギルモア(ギター)とウォーターズと共にプロデュースを務めたボブ・エズリンだった。キッスやアリス・クーパーのプロデュースでも名を馳せたエズリンは、セルフプロデュースが殆どだったピンク・フロイドが久々に招いた外部のプロデューサー。エズリンは当時流行りのディスコビートを導入し、シングルカットにあたって児童のコーラスを乗せることを提案した。

その結果、校内暴力が起こっていた当時の時代の空気もつかみ、見事大ヒット。アルバムのメガヒットにも繋がった。

ピンク・フロイドはプログレファンにとって “過度に” 売れてしまったのだ。正にこの “転向” は重厚長大を旨とした70年代のプログレ、そして売れることより芸術性が尊ばれた70年代のロック界の終焉を告げるものだったのではないか。

後にデヴィッド・ギルモアが取り上げた「コンフォタブリー・ナム」


『ザ・ウォール』の殆どの作曲も手がけたロジャー・ウォーターズはもう1枚アルバムを作り、ピンク・フロイドから脱退した。新しいリーダーにはデヴィッド・ギルモアが就く。

新生ピンク・フロイドが1987年から再開したツアーで『ザ・ウォール』から取り上げたのが「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」と、ギルモアが作曲に絡んだ3曲の内の2曲「コンフォタブリー・ナム」と「ラン・ライク・ヘル」であった。

このうち「コンフォタブリー・ナム」は、割れる巨大なミラーボールの前でギルモアがアウトロの渾身のギターソロを延々と披露し、ライヴ本編の最後を飾った。この時からこの曲は『ザ・ウォール』を代表する1曲となる。ライヴでは必ず終盤に歌われ、今ではギターソロが印象的な曲のリストの常連になった。2005年の『LIVE8』で4人が最後に勢揃いしたピンク・フロイドのラストの曲もこの曲であった。

主人公ピンクの治療の模様を歌った、直訳すると “心地よい麻痺” という『ザ・ウォール』で最も重く、尚且つ最長のこの曲が表に出たことで『ザ・ウォール』の評価も好転したと考えるのは考え過ぎだろうか。2003年にアメリカの『ローリングストーン』誌が選んだ500の偉大なアルバムの中で、『ザ・ウォール』は87位と、ピンク・フロイドのアルバムとしては43位の『狂気』に続く高い評価を得ている。時を経て、この名作はようやくセールスだけではない正当な評価を得たと言えるだろう。

分断の象徴? 今こそ壁を取り壊すとき!


ロジャー・ウォーターズは1990年に、前年壊されたベルリンの壁の跡地で『ザ・ウォール』再現ライヴを行い、ステージ上に実際に壁を作り、最後には壊している。

さらに2017年にはメキシコとの間に壁を作ろうとしたアメリカ、トランプ大統領に抗議してその国境で『ザ・ウォール』再現ライヴを計画したこともあった。個人の心の中から外部へと、壁の意味合いもまた、時を経て変容しているようである。

それならば今、壁を分断の象徴と捉えても強ち無理はないかもしれない。我々も“壁を取り壊す” 時が来ているとは言えないだろうか。そんな想いを抱きながら『ザ・ウォール』と改めて向き合ってみるのもいいかもしれない。

2020.04.27
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カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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