1985年夏、私は高校を中退しようと思っていた。 “学校から、家から、世間から逃げ出したい” という気持ちでいっぱいだった。 そして、修道院に入るつもりだった。“修道女として暮らし、もう俗世間の人には誰とも会わず生きていこう” と強く思っていた。 その頃、ティアーズ・フォー・フィアーズ(TFF)のセカンドアルバム『シャウト(Songs from the Big Chair)』が世界中で大成功し、私も彼らの音楽に興味を持っていた。たまたま耳にした彼らの「ペイル・シェルター」という曲の美しさに、私の心はわしづかみにされた。 美しいアコースティックギターの音色と無機質なシンセサイザーのコンビネーションに、みずみずしく、繊細なメロディと歌声… 彼らのファーストアルバム『ザ・ハーティング』が発売されたのは今から35年前の1983年、その当時私はアイドルにしか興味がなかったので、そんなバンドがあることすら知らなかったはずだ。「ペイル・シェルター」が収録されていると知り、早速LPを購入した。 TFF の二人はいずれも両親が離婚しており、彼らのデビューアルバム『ザ・ハーティング』は、愛に飢えている心情を描いた「ペイル・シェルター」を始め、家庭環境に恵まれなかった彼らが幼少期に受けたトラウマをテーマに作られたという。また、彼らは「幼少時の抑制された感情を再現し、表現する」という「原初療法」を提唱する米国の心理学者、故アーサー・ヤノフに傾倒しており、“Tears for Fears” というバンド名も、「シャウト(Shout)」という曲のタイトルも、彼の理論をベースにしたとされている。 そこで、自分が抱えるものが、まさに「トラウマ」だったと気づいた。 “おお、同志よ…!” と、「トラウマ」の存在を肯定する彼らに勝手な仲間意識を持って、私はその作品の中に、自分の精神的な居場所を見つけたのだ。 とはいえ物理的な居場所がないので、高校をやめて修道院に行こうと考えていたのだが、そこには大きな問題が3つ立ちはだかっていた。 1:私はクリスチャンではない。 2:修道院では夜中に『ベストヒットUSA』も『MTV』も見られないだろう。 3:ましてやライブに行くために外出などできないだろう。 今思えば非常にバカバカしいが、当時の自分にとっては非常に重要なことだったのである(特に2と3が)。 目星をつけていた修道院に関する記事を最近読んだのだが、そこで暮らす修道女の皆さんは、神に人生を捧げ、朝早くから晩まで一生懸命働き、祈っているという内容だった。 そのようなところを逃げ場にしようとしていたなんて、そんな考えでいた自分の浅はかさに腹が立つし、恥ずかしくてたまらない。世界中の修道女、修道士の皆さんに土下座して回りたいくらいだ。 とはいえ、TFF に傾倒したことから「自分の好きな音楽」の方向性が定まり、その辺から私は英国の音楽にズブズブとハマっていった。それが高じて英語を勉強したり、渡英したりと、自分の人生が自分の手によってどんどん変わっていくのを感じた。そのきっかけをくれたのは紛れもなく TFF だったのだ。 気づけば季節は冬。「高校中退→修道院」いう私の脳内プランも、気づいたらどこかへ消えていた。何故なら秋口に全校マラソン大会が終わっていたから―― 運動が苦手で足が遅い私は、小学生の頃から体育の時間にはいつも教師に怒られていたので、それが「トラウマ」になっていた。私のトラウマなんてその程度だ。 とにかく、私の修道女願望は、“退学すればマラソン大会を回避できる!” という、至極安易な発想から生まれたものに過ぎなかった。 今でも TFF の音楽を聴くたび、山道をヒィヒィ言いながら走らされていたあの頃がよみがえり、胸が苦しくなる。
2018.03.07
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