6月21日

歌手・浅香唯インタビュー ① 本日デビュー37周年、念願のサブスク解禁!

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6月21日にハミングバード(現:ワーナー)時代の楽曲が全てサブスク解禁! 9月には横浜、大阪のビルボードライブでもコンサートを控え、浅香唯さんの周辺が慌ただしくなってきた。このタイミングでリマインダーでは、約1年ぶりとなるインタビュー。アイドル時代、そして現在と濃い話がたっぷりと聞けました。

第1回
歌手・浅香唯。念願のサブスク解禁


80年代後半の独特なキラキラ感


― 今回は6月21日のサブスク&ダウンロード配信解禁、そして9月にビルボードライブ横浜、大阪でやられるライブ、この2つを軸にお話をお聞きしていきたいと思います。
ちょうど去年の今頃だったんですよね。リマインダーでインタビューをさせていただいたのが。あの時は、『スケバン刑事』の話など、浅香さんのキャリア全般のお話になったと思うんですが、今回は、“歌手・浅香唯”という部分にスポットを当ててお話をお聞きしていきたいと思います。
まずは、今回が初となる配信解禁について、どのように考えていますか?

浅香唯(以下、唯):私もたくさんの人に聴いてもらう機会があった方がいいな、とずっと願っていました。だから、私もファンの方たちと同じで「待ちに待った、やっとだ!」っていう印象ですね。ちょうどデビュー37周年の記念日に解禁というのも嬉しいです。
今は時代も流れて、昭和歌謡もブームになって、私が現役でやっていた頃を知らない人もたくさんいますよね。今の音楽とは違った魅力があると思います。

― 80年代後半、浅香さんがヒット曲を連発していた頃は、独特なキラキラ感がありますよね。

唯:いかにキラキラ作るか! という感じで、音作りにはこだわっていたので、そういう今とは違う楽曲の魅力を若い人たちが聴いて、どういう風に受け取られるのか分からないですが、世代を超えて親子で楽しんでもらえたら嬉しいですね。

― 親子ですね!

唯:そうそう! 下手すれば三世代ですね(笑)。

― 「昭和エモい!」って言っている若い人たちにとっては、新鮮な音作りだと思います。
今回サブスクが解禁になったハミングバード時代でオリジナルアルバムを14枚も出しているんですね。
アイドルとしてすごく多忙の中で、年に2枚というペースってすごいですよね。

唯:そうですね。当時はシングルも3ヶ月に1回のペースで出すというのがアイドルのお約束というか、みんなそうでした。だから年に2回アルバムを出すというのも私たちの中では当然のことのようで、アルバムを出したら、次のアルバムのレコーディングに入るっていう感覚でした。

― レコーディングの音作りには積極的に参加されているという話を以前のインタビューでもお聞きしたのですが、リリースを重ねるごとにご自身が成長したと感じられる場面はありましたか?

唯:成長かどうか分からないですが、自分にしか出来ない表現の仕方が生まれてきたのかな、というのがありますね。常に等身大の自分だと限界があるので、楽曲の中で理想的な女性像を演じることが出来るようになってきました。自分の中には持っていない強い女の子や、女の子らしい女の子を演じ分けられるようになりました。

大きな転換期になった「セシル」




― それは具体的にシングルだと、どのあたりですか?

唯:大きく変わったのは「セシル」ですね。それまでの「虹のDreamer」にしても「Believe Again」にしても『スケバン刑事』のイメージのまま、“戦う強い女の子” だったんですね。そことは真逆の女の子という意味で、「C-Girl」というガラッとイメージが変わるものにしたので。「C-Girl」で新しい私を知ってもらいながらも、そのままの流れで行かず、また、あえての「セシル」みたいな流れになりました。

― それは浅香さん自身の希望でもあったのですか?

唯:それはなかったです。ある程度、周りの大人の人たちの戦略でもあったと思います。それか「セシル」という素晴らしい楽曲に出会ったので、そっちにシフトチェンジしたのかもしれません。その時に私は意見を一切言わなかったのですが、「セシル」のレコーディングをした時は、歌もかなり難しかったし、時間もすごくかかりました。詞の内容に関しても作詞家の麻生圭子さんとすごく詰めました。
それは、私が書いたとかではなくて、こういう歌詞にしてとかでもないんです。私もあの頃、18歳とか、19歳のこれから大人になろうとする少女の恋の悩みだったり、胸に秘めた思いだったり、子供のような大人のような微妙な年代の心情を歌にするところがあったので、それを歌詞にするために麻生さんとは、すごく色々な話をしました。
その時は、スタッフがいない場所で二人だけで、過去にこんな人を好きになったんだとか、こんな恋をしたんだ、なんて話をいっぱいしました。

― すると、個人的な心情も歌詞に反映されているということですね。

唯:はい。そういう気持ちを麻生さんが全部汲み取って書いてくださいました。

― やはり歌詞は大事ですよね。

唯:もちろん! 自分の中で消化出来ない歌詞とか、納得出来ない言葉は、レコーディングの最中でも作詞家の方に連絡を取って変えてもらったこともあります。私が言葉を乗せて歌うのだから、その責任があると思っていました。

― なるほど。アイドル時代も歌がベースで妥協を許さないという姿勢があったからこそ、多彩な作品を残せたのですね。歌も女優のお仕事と近い部分もありますよね。だから1枚1枚で違う自分を出せたというのも大きかったように思います。

唯:当時、私に曲を提供してくださる作曲家の方も作詞家の方もアレンジャーの方もみんな超一流の方々だったので、私もそこにきちんと乗っかれる存在にならないといけないというプレッシャーは常々ありました。

― その頃、浅香さんって十代ですよね。その若さでそういう考えを持てるというのは、すごいうことだと思います。まさにプロ意識ですよね。

唯:ディレクターさんにしてもミキサーの方にしても、いつも私にそういうことを言ってくれる人が周りにいたからだと思います。「唯、すごい作詞家だからね」とか、「素晴らしい作曲家だからね」とか、その方の作品を事前に聴かせてもらって、教えてもらっていたので、自然とそういう意識が芽生えたんだろうなと思います。

― そういう一流の方々にしっかり返せたということですよね。多くのファンの心の中に今でも残っている作品をたくさん作れたのですから。

唯:そうですね。確かにシングル曲が注目されがちですけど、アルバムの中にも「これシングルで出してもいいよね」っていうくらい素敵な曲がたくさんあるんですよ。それは、作ってくれる作家の方々にしても、実際歌う私にしても、アルバム収録曲だから… という気持ちで作った曲は1曲もなくて、全部シングルのつもりで作っていました。
魂を込めて命を吹き込んだ1曲1曲がたまたまアルバム収録曲になっているという感じでした。「これはアルバムっぽい曲だよね」ではなくて、私としては、どこを切り取っても私らしさがある楽曲だと思っています。

― では、「虹のDreamer」の時も歌詞で描かれた強さに納得出来たということですね。

唯:そうですね。当時、“風間唯” という役をやっていて、あの曲はあくまでも「風間唯が歌う歌」というところがありましたので。

多忙な中での “歌手” というスタンス




― そこまでたどり着いくまでに大変な時期もあったと思います。その時の歌との向き合い方はどうでしたか?

唯:幸か不幸か、私自身、売れようが売れまいがあまり気にしていなくて(笑)。それを気にするのは、レコード会社だったり事務所だったり… 大人は気を揉んでいたんだろうなとは思いますけど、私は「そんなもんだろうな」としか思っていませんでした。
「夏少女」や「ふたりのMoon River」を歌っておきながら、「ヤッパシ…H!」や「コンプレックスBANZAI!!」などの、コミカルな曲に変わっても、ここに描かれているのは全て私自身なんですよ。
というのも、当時のディレクターさんはデビューをする前から私の現場によく来てくれていたので、私の面白いところや、ユニークな面を良く知っている方で、「あの子は可愛らしいアイドルだけど、結構面白いんだよ。実はユニークな子なんだよ」って、私の新たな一面を引き出してくれた人でもあるんです。

― 浅香さんが出てきた頃のアイドルと80年代前半のアイドルとは、ちょっと違いますよね。昔は清楚で、ユニークではいけないみたいな印象があったと思いますが、浅香さんの時代はそんなことはなかったと思います。

唯:本当、色々なタイプのアイドルが出てきている時期でした。ロックっぽいイメージのアイドルだったり、ちょっと天然な感じだったり、いろんな子がいて、楽曲に関しても冒険しながらシングルを出している時代でした。

― アイドルのステレオタイプがなくなった時代に浅香さんが出てきて、その前は、おニャン子クラブがブームになって、「素人でもいいんじゃない?」みたいな風潮もありましたよね。その逆に本田美奈子さんみたいなプロ志向もあったり、色々なタイプがいましたよね。競争が激しく大変な時期でしたよね。

唯:もちろん、忙しさにしても大変でしたが、若さがあったので苦ではなかったです。

― その中で、シングルを3ヶ月に1回コンスタントにリリースして、その間に女優業もあったり、テレビ出演があったりする中で、歌手というスタンスについて、どのように考えていましたか?

唯:私はアイドル歌手としてデビューしたので、基本、歌がベースだなっていう思いがありました。もちろん、撮影の合間にレコーディングということもありましたが、私の中では、歌がメインだと考えていました。だから「時間がないから、これでオッケー」というのは私の中では許されなかったですね。

(取材・構成 / 本田隆)


第2回は、当時のアルバム作りについて、そして、現在の音楽シーンにどのような思いがあるか、浅香唯さんの心情をさらに深掘りしていきます。


■ 浅香唯情報
『浅香唯インスタライブ』
2022年6月21日(火)午後8時開始!
浅香唯[公式]インスタグラム

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1968年生まれ
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