来たる7月25日夜、渋谷の東京カルチャーカルチャーにて、このサイト「リマインダー」が主催する、
『80年代イントロ十番勝負 vol.2~Best Hit 80’s!』というイベントが開催され、その中で私は「爆音・大村雅朗」というコーナーを担当します。ぜひお越しください。
伝説の編曲家として、最近リスペクトの機運が高まっている大村雅朗。そのキッカケとなった本としては、不肖私の著作『1979年の歌謡曲』(彩流社)や『1984の歌謡曲』(イースト新書)もありましょうが、やはり決定版としては、梶田昌史・田渕浩久『作編曲家 大村雅朗の軌跡1951-1997』(DU BOOKS)でしょう。
大村雅朗の功績を体系的に書くことについては、この本が一級品ですので、対してここで私は、大村雅朗にまつわる個人的な経験や、個人的な捉え方を書いてみたいと思います。題して『スージー鈴木の極私的大村雅朗ヒストリー』。今回はその1回目として、「1970年代の大村雅朗」を考えてみます。
大村雅朗と言えば、やはり80年代中盤がピークだったと思います。何といっても渡辺美里「My Revolution」(86年)と、その導火線とも言える大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」(84年)のアレンジ。しかし、そんな大村雅朗が頭角を現すのは、さかのぼって1970年代の後半です。
先の『作編曲家 大村雅朗の軌跡1951-1997』の巻末にある作品リスト(貴重)を眺めてみると、たった2ページで終わっている78年のリストに対して、79年には一挙に5ページにわたっており、この時期に一気にブレイクしたことが分かります。
ちなみに78年の作品で、個人的に思い出深いのは、当時私自身がシングルを買った榊原郁恵「Do It BANG BANG」なのですが、この年の大村雅朗と言えば、やはり中村雅俊「時代遅れの恋人たち」でしょう。
日本テレビ系のテレビドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』のテーマ曲と言えば、思い出す方も多いはずです。作詞:山川啓介、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗。この曲は、何といってもイントロ。やたらと切羽詰まった、16ビートのサスペンス風イントロの後に、妙に牧歌的な中村雅俊のボーカルが繋がれているのが、なかなかに面白い。
そしてブレイクの年、1979年を迎えます。この年の大村雅朗編曲作品で、個人的に思い出深いものと言えば、岸田智史「きみの朝」、ばんばひろふみ「SACHIKO」、永井龍雲「道標(しるべ)ない旅」の3曲です。
この3曲には、アレンジ上、ある特徴があります。それは拙著『1979年の歌謡曲』で「ザ・79年サウンド」と命名したもので、具体的には「ニューミュージックと歌謡曲の融合」とでも言えるアプローチです。
少しばかり抽象的な話なので図示させてください。「ザ・79年サウンド」の構造は、歌を中心としながら、次にアコースティックギターや、ピアノがそれを取り巻く、そしてさらにそれをドラムやベース、ひいてはストリングスやホーンが取り巻いている。という感じで私には聴こえるのです。

言いたいことは、歌+アコギ・ピアノという、フォーク / ニューミュージック・サウンドがまずサウンドの根幹にあって、それにリズムセクションやストリングスなどがまぶされているというイメージです(アコースティックユニットの2人に、後からドラムス、ベース、エレキギターが加入したオフコースの構造に似ています)。
岸田智史「きみの朝」、ばんばひろふみ「SACHIKO」、永井龍雲「道標(しるべ)ない旅」は、一般的な歌謡曲と同程度に、様々な楽器が入っているのですが、それでもどこかフォーク / ニューミュージックの素朴な香りがするのは、アコギやピアノへの力点の置き方に、そのヒントがあると思っています。
しかし、単なる(「素朴」ではなく「貧相」な)フォーク / ニューミュージックの音になっていないのは、大村雅朗一流のハイセンスなアレンジが、その力点を置いたアコギやピアノを取り巻いているからこそなのです。だから時代の音=「ザ・79年サウンド」となった。だから「歌謡曲として」売れたのだと思います。
さて、続く1980年は、大村雅朗にとってエポックな年となります。やせっぽちの、でもやたらと声量のある、大村と同じく福岡県出身のあの少女との出会いです。
というわけで次回は、その少女に提供した大村雅朗作品の魅力に迫りたいと思います。
2018.07.15