3月21日

岸田智史「きみの朝」ハネケンこと羽田健太郎のピアノを堪能出来る逸品!

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クラシックからポップスまで、茶の間への幅広い音楽の伝道師・羽田健太郎


ハネケンさんこと羽田健太郎さんが2007年6月2日に天国にお引越しされて、2021年で14年になる。

クラシックのピアニストとしては遅いスタートだった。中学2年から本格的なピアノの専門教育を受け、桐朋学園高校から桐朋学園大学のピアノ科を首席で卒業。在学中からホテルニューオータニのラウンジでアルバイトでピアノを弾いていたこともあり、クラシック的な楽譜も弾けるしコードネームでアドリブもできるということで、あっという間に超売れっ子スタジオミュージシャンとなったハネケンさんの参加作品は数限りない。当然、様々な曲が思い出される。

1965年生まれのわたしが、“ハネケンさんのピアノ・鍵盤が印象的な曲”として思い当たるものをリリース順に並べてみよう。

■ あなた / 小坂明子(1973年)編曲:宮川泰
■ 哀愁トゥナイト / 桑名正博(1975年)編曲:萩田光雄
■ 勝手にしやがれ / 沢田研二(1977年)編曲:船山基紀
■ 九月の雨 / 太田裕美(1977年)編曲:萩田光雄
■ 秋桜 / 山口百恵(1977年)編曲:萩田光雄
■ 迷い道 / 渡辺真知子(1977年)編曲:船山基紀
■ しあわせ芝居 / 桜田淳子(1977年)編曲:船山基紀
■ かもめが翔んだ日 / 渡辺真知子(1978年)編曲:船山基紀
■ きみの朝 / 岸田智史(1979年)編曲:大村雅朗
■ 青空の翳り / 太田裕美(1979年)編曲:大村雅朗
■ SACHIKO / ばんばひろふみ(1979年)編曲:大村雅朗
■ アンジェリーナ / 佐野元春(1980年)編曲:大村雅朗
■ E気持 / 沖田浩之(1981年)編曲:船山基紀
■ もしもピアノが弾けたなら / 西田敏行(1981年)編曲:坂田晃一
■ 「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ(1990年)

この他、オフコースの中野サンプラザでのコンサート『秋ゆく街へ』(1974年)ではキーボードと指揮にて参加、アリスや渡辺真知子のバンドリーダーも務めている。ハネケンさんご自身の著書『ハネケンの音楽は愉快だ』(プレジデント社 1995年)によると、かぐや姫、憂歌団、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドなどでもレコーディングでピアノを弾いていた、とある。歌もの以外でもアニメやテレビドラマ、映画の劇伴、交響曲に至るまで多数の作品を手掛けている。こちらの印象が強いという方も多いだろう。

ハネケンさんはテレビにも積極的に進出していた。『ロッテ歌のアルバム』『サウンド・イン・“S”』(TBS)でのピアニストとしての参加に加えて、80年代以降は『ピアノでポップスを 』(NHK)『タモリの音楽は世界だ!』(テレビ東京)『ニュースステーション』『題名のない音楽会』(テレビ朝日)等、クラシックからポップスまで “お茶の間への幅広い音楽の伝道師” という印象がある。

音楽の中で確かなキャラクターと表情を持つハネケンのピアノ


ハネケンさんの紹介がやや長くなってしまったが、ここからは、ハネケンさんのピアノがどうして人々の心を掴むか、についてのひとつの例を挙げさせてもらう。

ハネケンさんの弾くピアノは、音楽の中で確かなキャラクターと表情を持つ。

ピアノという楽器は鍵盤楽器と定義されるが、弦を打つ打楽器でもある。鍵盤を押すと、その奥にある羊毛の貼り付けられたハンマーが下から弦を打ち、弦の片方の端は駒で支えられていて、その駒は響板に載っている。弦の振動は駒を介して響板に伝わり、響板が空気を振動させることで大きな音が鳴る。ピアノは、響板を中心に、楽器全体が振動して音を出しているのだ。

この鍵盤の押さえ方ひとつで音は変わる。私事で恐縮だが、わたしは4歳から17歳までピアノを習った。そこで口を酸っぱくして言われたのは「手首を柔らかくして、卵を持っているような手の形で弾きなさい」だった。ベタッと指の腹で弾くと音は鳴らすことはできるが、大雑把な音にしかならず、細かい音色の表現ができないということだ。時々楽器屋さんで自動演奏するピアノが置いてあるが、あれと変わらない。

ハネケンさんはご自身の著書で、ピアノ音楽の神髄とはなにかを当時の学長である井口基成先生がピアノを弾いて見せる現場を見て学んだ、桐朋学園で教えてもらったことが財産になっている、と記している。ハネケンさんが弾くとガラスの破片で手を切った音のように聞こえる音を「もっと甘く弾けないのか」と、同じメロディを木の切り株から蜜がしたたっているような甘い音で弾く。音楽を実際に現役で実践している人が生徒を教えていること、理論だけじゃなく自分でやってみせてくれていたという。

『新・ハネケンの音楽は愉快だ』(プレジデント社 2003年)では「桐朋学園で勉強した基礎があったから、僕はジャズもよく演奏できるんです」とハネケンさんに言われたことがあり、恩師である桐朋学園大学名誉教授・有賀和子さんは「クラシックで土台ができているから、何を演奏しても羽田君のピアノは「音」が違います」と証言している。

超能力ブームの頃にハネケンさんと同じマンションに住んでいたこともある、作曲家の宮川泰さんはハネケンさんを「ケンタロウさんは超天才です。それ以外にケンタロウさんを表現する方法はない」と証言している。ハネケンさんがスタジオミュージシャンとして活動をはじめた頃に、「ケンタロウさんのピアノのなんと素晴らしかったこと、さらに驚かされたのはどんな曲でも自分流にこなしてしまう。原曲のイメージを損なうことなく自分の解釈で楽しく、または艶っぽく、ときには恐ろしげに演奏するとは、なかなかできることではありません。」と驚いたという。

朝のすがすがしい空気を体現するピアノイントロ


プロから「音が違う」「超天才」と称されるハネケンさんが奏でる鍵盤のサウンドは、前述のように多くの曲で力強さ、優しさ、華麗さ… あらゆる魅力をもって、わたしたちを魅了する。

そのハネケンさんのピアノが印象的な一曲が、岸田智史「きみの朝」だ。

朝のすがすがしい空気を体現するイントロのピアノは、数あるハネケンさん参加作品の中で、美しさという観点ではベストに推したい。イントロだけでなく、岸田智史さんのヴォーカルと絡み合い細かく表情を見せるピアノのフレーズがどこをとっても美しい。作曲は岸田智史さん、編曲は大村雅朗さんだ。

『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1976-1999』でのブックレットインタビューで、岸田敏志(旧:岸田智史)さんはこう語っている。

「それまで僕の曲はギター中心が多かったんですけど、この曲に関しては「ピアノ中心にしたい」と話をしたら、大村さんがスタジオで「こんな感じのイントロかな?」と言ってあのイントロをピアノで弾いたんです。」

詞が先に出来ており、岸田さんがTBSドラマ『愛と喝采と』への出演が決まり、その中で使う曲で、ドラマの中でヒットするという設定。詞はドラマの脚本家・岡本克己さんの弟で「襟裳岬」等のヒットで知られる岡本おさみさん。岡本おさみさんは岸田さんのアパートに歌詞を3つ持ってきて、そのうちのひとつが「きみの朝」だったという。この詞に岸田さんが曲をつけ、ギターで歌ったデモがディレクターの小栗俊雄氏、金塚晴子氏経由で編曲の大村雅朗さんに渡り、さきのエピソードにつながる。大村さんは前年の1978年に上京して本格的に編曲家として活動を開始して1年経ったかどうかという時期のことだ。

岸田さんはレコーディングでも大村さんがピアノを弾くものだと思っていたが、実際にレコーディングで弾くのが羽田健太郎さんだということが一番印象に残っているとのことだ。岸田さんは、「あの、「秋桜」の!」と思ったことだろう。

岸田智史の大ヒットシングル「きみの朝」


岡山県出身の岸田智史さんは高校時代からギター弾き語りを始め、大学進学後ビートルズに触れ、作曲に没頭。京都教育大学の4回生だった1975年、作曲家の卵だった従兄弟のところに遊びに上京し、自作曲をカセットテープに吹き込んだ。従兄弟が自分の曲をレコード会社に持ち込み、従兄弟の曲が流れ終わった後に消し残っていた岸田さんの曲が流れた。その曲がディレクターの心をつかみCBSソニーの酒井政利さんにスカウトされる。

1976年1月から渋谷にあるキャパ100名のライブスポット「モナリーゼ」で週1回のライブを半年間続け、女性の人気を得た。ヤングジャパン所属のアリス、バンバンといった先輩と日比谷野音で共演し、1976年11月に谷村新司さん作詞の「蒼い旅」でレコードデビュー。デビュー翌年の1977年はジョイントやゲストを含めると120本のステージを精力的に行った。その一方でCBSソニー所属の山口百恵さんのアルバム『花ざかり』(1977年)にも3曲提供している。大ヒット曲「秋桜」が収録されているアルバムだ。

「きみの朝」は大ヒットした。岸田さん自身が新人歌手役で出演した木曜22時台のドラマ『愛と喝采と』の挿入歌としても使われ、木曜21時の『ザ・ベストテン』でも1979年5月31日から8月23日まで、13週連続でベストテン入りしている。ベストテンに出演した映像がドラマ内でも使われているという入れ子構造で、さながら週2時間を宣伝に使っているようなものだった。

じつは難しい、トリルを効かせたピアノ演奏


大村雅朗さんがつくったと思われるフレーズを、ハネケンさんは端正な岸田智史さんがあたたかく歌う世界に沿って独自の解釈を加え、優しく、美しくお化粧を施してわたしたちに届けた。

残念なのは、テレビ番組での演奏時。「きみの朝」には技巧的なトリル等はあまり入っていないので、ピアノでコピーするのには比較的簡単に聴こえる。しかし、実際に指を動かしてみると意外と難しい部分もある。アウトロの最後のフレーズにしても両手を駆使しないと弾けない。

一例としてはイントロでの左手(低音部)があげられる。現在動画で見れる、『夜のヒットスタジオ』でのバンド演奏では、イントロのピアノソロ部分が完コピできていないうえにアレンジもかなり異なる。他にもベストテンだったと思うが、当時テレビで観ていてそれほどピアノが聴こえないことに気づき、当時中2だったわたしは「あ、違う」と思ったものだった。

夜ヒットでの違和感は、音源で「ソレシファ♯レ」が「ソレソレシ」。後半の三音が違うだけでもだいぶ印象が変わる。この理由は、音源では「Gmaj7」をアルペジオしているのが、「G」になってしまっていることにある。個人的にはちょっと残念に思えるのだ。

萩田光雄さんがご自身の著書でも記しているが、音大ピアノ科主席卒業のハネケンさんの弾くフレーズは、当時のテレビ番組でのバンドのピアニストにとって相当難しかったのだと思われる。ジャズピアノは指を伸ばしてベタっとした形でも弾けるが、トリルをしっかりした音で響かせたり細かい運指を要求されるフレーズはお手上げだったかもしれない。

先日、ラジオ番組『9の音粋』(BayFM)でハネケンさん参加作品が紹介されたが、そのときのタイムラインへのツイートは興味深いものがあった。

「ピアノテクがえろい」
「音色が跳ねる!」
「オクターブでトリルが入ってユニゾンでもずれない高い確実な技術力」etc.

派手なジャカジャカした和音の連続も、高速で嵐のように繰り出される16分音符のアルペジオも、トリルもターンも、抒情的な旋律も、どれもこれもハネケンさんならではの五感に響く音色。電子楽器に席巻される直前の生音中心のオーケストラ最後の時代、ピアノのテクニックを堪能できる作品を多くの人に向けてたくさん残してくださったハネケンさんは、これからもずっと音楽の伝道師であり続けるだろう。



2021.06.02
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