10月25日

【追悼:坂本龍一】アブと呼ばれた荻窪ロフト時代から原点となる「千のナイフ」まで

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ヒッピーのような長髪、坂本龍一との出会い


坂本龍一の功績についてはすでにさまざまな形で語られているし、それに関して付け加えたいことも無い。それに、これからも彼が残してきた作品に触れることができるのだから彼の音との対話は続けられる…。そう思うしかないな、というのが正直な気持ちだ。

坂本龍一は、確かに類まれな才能の持ち主だと思う。しかしそれと同時に、彼のような音楽家が登場したことも、日本の70年代以降の音楽シーンの “空気” を象徴していたのではないかとも感じられるのだ。

坂本龍一を知ったのは1974、5年のこと。当時、僕はオープンしたばかりの荻窪ロフトでブッキングを手伝っていたので、かなりの頻度でロフトに通っていた。そこで客として来ていた坂本龍一と会っているのだ。

ヒッピーのような長髪でいつもラフな黒っぽい服に身を包んでいた彼は、ライブ後のミュージシャンと音楽の話をしたり、一緒に飲んだりしていた。とにかく、常に酔っぱらっていたので、いつも酒を飲んでいる野球選手が主人公の水島新司のマンガ『あぶさん』にちなんで “アブ” というあだ名で呼ばれていた。生涯の友人となった山下達郎との出会いもこの時だった。

彼が現代音楽を志す芸大生だということもロフトで知った。ロフトのオーナー平野悠などと、彼が名編集者である坂本一亀の子息だということを一時話題にしたりもした。

“社会運動” “文化運動” の側面もあったロックやフォークのムーブメント


今思えばロックやフォークのライブハウスだったロフトに芸大生が入り浸るというのも不思議に感じられるかもしれない。けれど、60年代末から70年代の空気感で言えば、もちろん数は少ないけれど、けっしてあり得ないことではなかった。当時のロックやフォークのムーブメントには大きな意味での “社会運動” “文化運動” の側面もあって、ムーブメントにはジャズ、現代音楽、演劇、文学、舞踊、アートなど、さまざまな動きが連動していた。

たとえば小杉武久が1969年に結成したタージ・マハル旅行団など、現代音楽とロックを融合させたグループが海外でも評価されたり、はっぴいえんど、岡林信康、六文銭などが現代演劇の音楽を担当したりという動きもあるなど、かなりのペースでさまざまな分野のフュージョンが行われていた。

だから当時の感覚として、ロックやフォークのフィールドでも未知のジャンルに対する閉鎖性は少なかった、逆に関心はかなり高かったと言っていいだろう。だから、坂本龍一のようなキャラクターもすんなり受け入れられていったのだと思う。

初のレコーディングは友部正人「誰もぼくの絵を描けないだろう」


坂本龍一自身ももともとロックへの関心も高かったというし、民俗音楽学者の小泉文夫に師事していたことで、いわゆるクラシック至上主義ではなく、フラットにさまざまな音楽に向き合う姿勢を持っていた。だから、音楽の形式ではなく、そこに込められた想いや音楽に向き合う姿勢への共感でミュージシャンたちと繋がっていくことができたのだろう。

坂本龍一が初めて他のアーティストとともにレコーディングしたのはフォークシンガー友部正人のアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』(1975年)だった。このアルバムに収録されている「あいてるドアから失礼しますよ」「おしゃべりなカラス」などの名曲で坂本龍一のリリカルなピアノ演奏を聴くことができる。また、このアルバムには当時の坂本龍一の写真も掲載されている。



このすばらしいアルバムが坂本龍一のプロ演奏家としてのスタートになったというのも、素敵だったと思う。

坂本龍一が世間的に知られるようになったのは、やはりYMOのメンバーとしてだと思うけれど、実は彼は細野晴臣との関係よりも先に大瀧詠一と共演している。ロフトで山下達郎と知り合った坂本龍一は、『ナイアガラ・トライアングルVol.1』(1976年)の山下達郎のセットだけでなくほぼ全曲に参加し、続く大瀧詠一のソロアルバム『GO! GO! NIAGARA』でもキーボードを演奏しているのだ。



坂本龍一の大きなターニングポイントとは


さらに1976年には大貫妙子のソロアルバム『Grey Skies』で山下達郎とともに編曲をおこなったり、りりィのアルバム『オーロイラ』で編曲を担当、さらに彼女のバックバンド、バイバイ・セッション・バンドに参加するなど、ミュージシャンとしての活動を一気に開花させている。まさに、どんなタイプの曲でもこなせるサウンドメイカーとして引っ張りだこになっていったのだ。

1970年代は、アマチュアからスタートした日本のフォークやロックがサウンド(音楽性)を獲得していった時代だ。主に感性でつくられたギターの弾き語りで演奏されていた曲に音楽知識と高い演奏技術や編曲能力をもったミュージシャンが深みを加えていく。そんな作業がレコーディングでは一般的になっていく。

そして、こうした動きが、後のシティポップスへとつながっていく流れの端緒でもあった。そんな時代に坂本龍一も確実に足跡を残していったのだ。

しかし、いきなり自分にスポットライトが当てられたこの時期に、いわゆる便利屋ミュージシャンになるのではなく、自らアーティストとして作品を手掛けていったことが、坂本龍一にとって大きなターニングポイントになったのではないかと思う。

本格的なソロアルバム「千のナイフ」


彼は1976年に土取利行と共にインディーズでアルバム『ディスアポイントメント – ハテルマ』を発表しているが、本格的なソロアルバムとして発表したのが『千のナイフ』(1978年)だ。

『千のナイフ』をリリースしたのはコロムビアレコード内に1977年に設立されたBETTER DAYSというレーベルだった。BETTRT DAYSレーベルのファーストリリースは久保田麻琴と夕焼け楽団の『ラッキー・オールド・サン』(1977年)、続くリリースはギタリスト渡辺香津美の『Olive’s Step』(1977年)と、ジャズ、フュージョンなど、いわゆるメジャーレーベルでは扱いにくい個性の強い音楽性をもったアーティストの作品をリリースしていった。

『Olive’s Step』(1977年)には坂本龍一も参加していたこともあったのか、彼自身もBETTER DAYSレーベルでソロアルバムをレコーディングすることとなった。

多忙だった坂本龍一は日中は他のアーティストの仕事をこなし、夜中にこのアルバムのレコーディングを行い、500時間近くかけて完成させたというエピソードもあるこのアルバムは『千のナイフ』というタイトルで1978年10月にリリースされた。

レコーディングは坂本龍一がほぼ一人でシンセサイザー類を駆使して行われ、プログラミングを後にYMOにも参加する松武秀樹が担当。他に渡辺香津美がギター、山下達郎がカスタネットで参加している。

『千のナイフ』は、発表当時は前衛的過ぎるとしてほとんど話題にならなかった。しかし、1979年のYMOのブレイクに伴い、おなじ1978年に発表された細野晴臣の『はらいそ』、高橋幸宏の『サラヴァ!』とともに “YMOを準備した作品” として注目され、セールスを伸ばすこととなった。

YMOのレパートリーにもなった「千のナイフ」、「THE END OF ASIA」


改めて『千のナイフ』を聴き直してみると、初めて聴いた時に感じた “尖っている” という印象はまったく消えていた。それどころか、程よく刺激的な非常に聴きやすいインストゥルメンタルアルバムに感じられた。おそらく、それは “時の効果” なのだと思う。

坂本龍一がこのアルバムで試みたサウンドづくりの手法は、その後国内外の多くのアーティストによって継承、発展していき、見馴染みのあるものになって行った。その結果、このアルバムのサウンドがマイルドに感じられるようになっているのだ。

同時に感じるのは、このアルバムは坂本龍一というアーティストにとって、けっして “習作” ではないということだ。収められている6曲はそれぞれ違う表情をもっているが、楽曲としての完成度はとても高い。

なかでもタイトル曲の「千のナイフ」「THE END OF ASIA」はYMOのレパートリーにもなっており、YMOサウンド構築における坂本龍一の貢献の大きさを示している。

この他にも現代音楽寄りの「Island Of Woods」、日本の現代音楽の巨人・高橋悠治とのピアノデュオ曲「Grasshoppers」、和風味付けのエレクトロニクス・ポップ「新日本電子的民謡 Das Neue Japanische Elektronische Volkslied」、牧歌的パターンミュージックを感じさせる「Plastic Bamboo」と、どの曲も聴きごたえ十分だ。

まさに『千のナイフ』に収められている楽曲たちは、その後に坂本龍一がYMOをも含めて展開していく音楽世界の “原点” なのだと思う。このアルバムの中に蒔かれている多くの “種” が、その後どんな形で成長し、花開いていったのかを追体験していく。そんなふうに彼の音楽と対話していくことは、これからでも十分に可能なのだ。

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2023.04.16
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カタリベ
1948年生まれ
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