7月25日

クールスRC、リーゼントとバイクのベールに包まれた80年代の音楽的深化

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クールスRC のアルバム「ビック・ディール」がリリースされた日
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80年代の原宿カルチャーを語るにあたって、外すことのできないのが “クールス” の面々だ。

70年代半ば、原宿で舘ひろしを中心としたバイクチーム・クールスが結成される。彼らは矢沢永吉率いるキャロルの日比谷野音解散コンサートで親衛隊として登場し脚光を浴びた。

この日のドキュメント映像が収録された『燃えつきるキャロル・ラストライブ』の中で、コンサート前、矢沢たちキャロルメンバーが乗った白いビュイックのオープンカーを取り囲む黒いバイクの集団(クールス)が、国会議事堂前を流すシーンは、革ジャン、バイク、暴力、青春といったロックンロールのパブリックイメージを最大限に具現化し、強烈なインパクトを放っていた。

そして、75年9月21日――

バイクと音楽で自分たちの居場所を築くという意志のもと、クールスはキングレコードより、『黒のロックン・ロール クールスの世界』でデビュー。キャロルを解散したジョニー大倉をプロデューサーとして迎え、“五大洋光” 名義で矢沢永吉が楽曲を提供。

他にもファッションプロデューサーの四方義朗、当時ハルヲフォンで活躍していた近田春夫、結成当初から、現在にいたるまでクールス不動のギタリストとして活躍するジェームス藤木などがソングライティングを手掛け、映画『アメリカン・グラフィティ』や『ウエスト・サイド物語』の世界に甘く切ないセンチメンタリズムを抽入し、時代の最前衛と言える作品を残した。

70年代のクールスはパンク、ニューウェイヴが台頭しつつある時代に、最前衛という言葉に相応しいスタッフたちと共に、敢えてグッド・オールドなロックンロールを選んだ。そして、その姿は極めてヒップな存在だったのだ。

その後、クールスは77年に舘ひろしが脱退し、クールス・ロカビリー・クラブ、クールスRC とバンド名を変えてゆく――

70年代末から80年代にかけて、ロックンロール、ヤンキーカルチャーの象徴として原宿のロックンローラーたちに絶大な支持を得ながら音楽的深化を深めていった時代のクールスは、これまで話してきた初期のクールスとは全く別物と考えるべきだろう。

アーリー80’s、原宿ホコ天のラジカセから必ず流れていたのが、クールスRC の「T-BIRD CRUSIN’(ティーバード・クルージン)」だ。キャッチ―なこの名曲をバックに一糸乱れぬダンスを披露していた原宿のローラーたちの姿は今も僕の憧れのひとつ。アメリカの広大な景色を想起させるアルバム『ビッグ・ディール』(80年)に収録され、50年代、60年代の R&B の深みがグッと凝縮されている。

ちなみに、同曲は山下達郎プロデュースのもと、ニューヨークでレコーディングされた名盤『NEW YORK CITY, N.Y.』(79年)を踏襲しており、ジェームス藤木氏がソングライティングを手掛けた。

その頃、クールスRC のメンバーは続々とファッションショップの経営に乗り出す。リーダーの佐藤秀光は、ハードなバイカースタイルがウリの「CHOPPER」。ヴォーカルの村山一海はポップなアメリカン・フィティーズ路線の「SHOUT」や「BEAT POPS」。また、ギターのジェームス藤木と、同じくギターのフランクこと飯田和男が経営する「WILD DANCER」はブラックミュージックのエッセンスを取り入れ、どこかニューヨークのハーレムを匂わす独特のセンスを放っていた。

これらのショップは、原宿フィフティーズブームのオリジネイタ―である「クリームソーダ」とは一線を画し、アメリカンカルチャーを全面に打ち出していた。連日、原宿のローラーはもとより、全国の不良少年たちが集まり、その様相は、まさに聖地であった。

こうしてクールスRC は、音楽とファッションを連動させ、ひとつの時代を作り上げた。特に音楽面では、前身であったクールスの存在感に甘んじることなく、ストイックに骨太にロックの根源を追求していった。そして、もちろんギタリスト、シンガー、作曲家として、山下達郎を唸らせたクールスの屋台骨、ジェームス藤木の音楽的才能は日本の音楽界随一の宝だ。

新生クールスRC には、81年より、現在クレイジーケンバンドで活躍中の横山剣がヴォーカルとして加入。翌82年には60年代のアメリカ R&B のマニアックな部分を追求した名作カヴァーアルバム『クールス・オールディーズ・スペシャル』を発表する。

80年代初頭にこれだけ音楽的深化をとげたバンドは他に類を見ない。それなのに、これまで日本の音楽業界で “クールス” を真っ当に評価する人が少数派であったことは実に残念だ。リーゼント、バイクというアイコンに包み隠されたその音楽性を紐解けば、彼らが開拓したロックンロールの一本の太い道が見えてくるはずだ。

―― そして、そこには80年代最も色鮮やかだった原宿カルチャーの存在があることを忘れてはならない。


追記
すべて憧れと敬愛を込めて敬称略。

2018.11.28
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カタリベ
1968年生まれ
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