7月21日

スタジオに来てくれたビリー・ジョエル、山下久美子のNYレコーディング

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1983年5月、山下久美子、ニューヨークでのレコーディングの日々が続いていました。初めての海外レコーディング、しかも現地のスタッフ、現地のミュージシャン。あたふた、ドタバタ、すったもんだの毎日でしたが、2週間を過ぎる頃にはなんとか落ち着いて、仕事にも街にも平常心で対峙できるようになりました。

前年初めてこの地に来たときは、英語は聞き取れないわ、どこもかしこも危ない気がするわ、足がまったく地につかないままだったのですが、1週間じゃ、この街に馴染むには(私には)短すぎましたね。

今回はヒュー・マクラッケン(Hugh McCracken)を初め、彼の奥さんホリー(Holly)、エンジニアのラリー・アレクサンダー(Larry Alexander)など知り合いがたくさんできましたし、ヒューのゆっくり英語を入門編として、ネイティブな発音にもしだいに慣れ、何を言っているのか大体判るようになっていったことが、気持ちをすごく楽にしてくれました。

英語について言えば、滞在1ヶ月目くらいのある晩、なんと英語で夢を見ました。夢の中でみんなが英語で話していて自分も普通に受け答えしているのです。あれはたぶん私の人生の中で、いちばん英語力があった何日かだと思います。悲しいことに帰国後あっという間に衰えてしまいましたが……。

ともかく、このニューヨークレコーディングをきっかけに、「二度と海外なんて行くもんか」と思っていた自分から、180度変心して、以降は海外大好き人間になる私なのですが、それにはこの長期滞在と、ヒューたちと出会えたことが不可欠です。

もしたとえば1週間だけ、ミックスダウンだけ、というようなスケジュールだったら、やはり馴染めないまま、海外嫌いなままだったかもしれず、人生えらい違いです。その意味では、このコラムに何度か登場している、このニューヨーク録音を強引に決めた、渡辺プロのちょっと乱暴な先輩、渡部洋二郎氏に(今更)大きな感謝です。

さて、親切なヒューさんは久美子や私を喜ばせようと、ほんとに細やかに面倒を見てくれました。中でも想い出深いのはいろんな著名アーティストに会わせてもらったこと。

カーリー・サイモン、ビリー・ジョエル、ジェームス・テイラー……、スティーリー・ダンがレコーディングをしているというスタジオにも連れて行ってもらったんですが、たまたま居なくて会えなかった……。

で、ヒューがいっしょだと、みなさんこちらにも、なんだか友達のように接してくれるんですね。単にスターを近くで見たっていうだけじゃなくて、それがとてもうれしかったです。

ビリー・ジョエルは足を骨折してギプスをしていて、松葉杖でスタジオに遊びに来てくれました。「ギプスにサインをしてくれ」と頼まれて、久美子はマジックでサインをしました。代わりに(?)私はノートに彼のサインをいただきました。ヒューが「なんかちょっと弾いてよ」と言うと、「気持ちいいじゃないTonight」という曲にほんのちょっと、シンセでベルの音を入れてくれました。

カーリー・サイモンはコーラスをやってくれました。同じ「気持ちいいじゃない…」と、「LOVERステッカー」という曲には日本語でも。これはさすがにギャラを払わないとまずいかもしれないけど、こんなワールドクラスのシンガーにいったいいくら払えばいいんだ?!しかも予算外だしなぁ、なんてドキドキしながらヒューに相談したら、「お花でもプレゼントすればいいよ」ってことで、そのへんの店で買ってきた花束を差し上げて、「ありがとう」でおしまい。恐るべし、ヒュー人脈!

印象的だったのは、彼ら、超ポップスターなのに、そうしてスタジオにやってくるとき、マネージャーとか付き人とか居ないんです。たった一人。日本だったらこういうケースで有名人が一人で来ることはまずないでしょうね。大人なんだから一人で行動してあたりまえなんだけど、そうじゃないことに慣れていた私の目には、彼らの振る舞いは新鮮でした。

カーリーなんか夜中までスタジオに居て、自分でタクシーを手配して、サッと帰っていきました。かっこよかったです。

2017.11.20
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  YouTube / tomorobin
 

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福岡さんいつも楽しい音楽のお話をありがとうございます。
このエピソード、この前久美子さんがラジオでお話していたんですがビリージョエルが参加してくれたのはどの曲か忘れてしまった。とおっしゃっていたので、すっごく気になっていました。分かって嬉しくスッキリ♪
夢のような素敵なエピソードですね。
2021/01/11 17:16
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返信
カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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