3月21日

サザンオールスターズ「タイニイ・バブルス」歌謡曲を制したロックバンド

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サザンオールスターズ / タイニイ・バブルス


サザンオールスターズとアミューズとテレビ


“サザンオールスターズ” はテレビから登場しました。デビュー曲「勝手にシンドバッド」(1978年6月)は、高速ラテンビートに乗せて聞き取れるギリギリの早口でこれでもかと繰り出される言葉の弾丸、意味は半分判らないけど優れて音楽的で独特な言葉遣い、それらを見事に表現しきる歌唱力と演奏力など、いろんな面で従来の日本のポップスの枠を超えた画期的な作品でしたが、お祭り騒ぎのような彼らのパフォーマンスはまさにテレビ的でもありました。

形はロックバンドなのに、そんなにテレビに出まくるなんて、当時はまだ珍しいことでした。吉田拓郎や井上陽水などのフォーク系はどんなに売れてもテレビに出なかったので、ざっくり、テレビに出ないのが音楽志向で、出るのは芸能志向という線引があったものです。それが、サザンのちょっと前の、Charや原田真二やツイストから変わっていきました。

その原田真二のマネージメントをするために、「アミューズ」という会社はつくられたんですね。つくったのは渡辺プロダクションで “キャンディーズ” のマネージャーだった大里洋吉さん。大里さんが渡辺プロを辞めたのは、おそらくアイドルや歌謡曲以外の、ニューミュージック系をもっと自由にやりたかったからだろうと思います。だけど渡辺プロで培ったものがあるから、音楽志向だけじゃなく、テレビでも映えるような、ルックスとかキャラクターなども兼ね備えた「ハイブリッド」なアーティストを求めていたのでしょう。

それにピッタリだと思えたのが原田真二。音楽創作力と歌唱力に恵まれ、キュートなルックスの持ち主でもありました。1977年、18歳でデビューすると、テレビの大きなメディア力でたちまちヒットも連発し、大里さんの思惑は当たったのですが、ほどなく原田自身はそういう「芸能生活」に疲れてしまいました。

そしてわずか半年でアミューズを離れてしまいます。そのタイミングで大里さんが出会ったのがサザンオールスターズです。もし原田真二が去っていなかったら、小さな事務所ですからサザンをやる余裕はなかったと、彼は語っています。歴史のターニングポイントのひとつですね。

桑田佳祐はアイドル的ルックスではないけれど、キャラは強かった。ということで引き続きテレビ中心のプロモーション。功を奏して「勝手にシンドバッド」はオリコン3位のヒット。新人としては充分過ぎる実績でした。柳の下のどじょうを狙わされた次作「気分しだいで責めないで」はイマイチだったけれど、三度目の正直「いとしのエリー」は70万枚超の大ヒット。名曲との評価も高く、音楽性の面でも存在感を示すことができました。

テレビから離れた原田&Char、戻ったサザン


ただやはり彼らにとっても、テレビに出まくる日々は相当に辛かったらしいのは、アルバム『タイニイ・バブルス』に収録された「働けロック・バンド(Workin' for T.V.)」という歌からも察せられます。そこで、1980年の頭から5ヶ月間、テレビには一切出ずに音楽制作に集中し、毎月1枚計5枚のシングルを出すという、「Five Rock Show」と呼ばれる施策が展開されました。「俺たちはアイドルや歌謡曲じゃなくてロックバンドなんだぞ。もっと音楽に集中させてくれ」「じゃあテレビは休んでいいから音をつくれよ」…そんなやり取りがあったのでしょうか? 実際には4月が抜けて毎月とはいかなかったのですが、この間には『タイニイ・バブルス』もリリースされています。テレビ出演がないだけで、働きづめの日々であることには変わりなかったでしょうね。

しかし、シングルを売るのに最も強力な手段はやはりテレビなわけで、『タイニイ・バブルス』はバンド初のオリコン1位を獲得したものの、テレビで披露しない5枚のシングルは、サザンにしては売れませんでした。

結局彼らは、1982年1月のシングル「チャコの海岸物語」から、再びテレビ出まくり路線に復帰します。それによってシングルヒットも連発し、国民的人気バンドの地位を不動のものにしていくことはご存知の通りです。

原田真二やCharがテレビから離れて戻ることはなかったのと対照的ですね。サザンオールスターズは彼らと違って、テレビと相性がよかった。なぜでしょう? 桑田のちょっと芸人向きのキャラクターだけがその要因でしょうか。

サザンオールスターズは歌謡曲


私は、サザンの音楽がロックと言うより歌謡曲に近いからだと考えています。本人が意図しているかどうかは別として、実は「最高の歌謡曲」を追求してきたロックバンドだと思っています。

ロックと歌謡曲の違いを明確に定義するのは難しいですが、音楽性の違いは表面上のことで、そもそも目指すところが違っている、と私は考えています。歌謡曲は「ヒット」が目的であり、ロックはともかく音楽で「自己表現」がしたくて、それが売れればよりうれしい(ほとんどは売れませんが)。

歌謡曲はどのような作品なら売れるかというところに一点集中します。当然シングル中心、シングルをヒットさせることで、歌手の人気を高め、アルバムやコンサートの売上につなげていきます。

一方、ロックはアーティストの自己表現が人を惹きつけるかどうかが勝負。うまくいったら、人はその「自己表現」をより長く味わいたいわけですから、シングルよりはアルバムを求め、コンサートに集まるのです。

そしてテレビは、1分なりとも視聴者を飽きさせず、チャンネルを替えさせないことに命を懸けるというその体質上、どうしてもシングル向き。だから歌謡曲とは相性がよいのですが、ロックとは合わない。以前はあんなにたくさんあった音楽番組がこんなに減ってしまったのは、歌謡曲が衰退したからですし、音楽番組が減ったから歌謡曲が衰退したとも言えるでしょう。

サザンオールスターズの強みと弱点


テレビに出ることにアーティストが疲れてしまうのは、全国から観られているというそのテンションにもよるでしょうが、常にヒットシングルを求められるという無言の圧力が大きいのではないでしょうか。

並のロックアーティストならついていけない。そんなテレビの世界で消耗するよりはマイペースでやっていこうと考えるがふつうです。ところが、サザンオールスターズは、と言うか桑田佳祐はモンスターでした。彼はヒットシングルへの要求に、充分以上に応えることができたのです。

もちろん彼(ら)にも自己表現への欲求はありました。だけど、その自己表現はヒットシングルをつくるということとほぼイコールだったんじゃないでしょうか。ふつうそこのギャップやバランスが、多くのアーティストを悩ませるところなんですが。

ヒットシングルをつくることが目的ならば歌謡曲です。だからサザンオールスターズは歌謡曲なんです。しかも、歌謡曲なら通常、歌手、作詞家、作曲家、編曲家、演奏者と、たくさんの人たち、それもプロの職人たちが集まってつくり上げるところ、サザンは桑田がひとりで、歌、作詞、作曲をこなし、編曲、演奏も、レコーディングでは助っ人もいますが、基本は自分たちでやってしまい、それでコンスタントにチャートの上位を伺うような作品がつくれるのですから、もう、「スーパー歌謡曲バンド」と言うしかない。

弱点は逆にロックの部分。演奏力は充分なんですが、自分たちのサウンドというものがない。アルバムにはいつも、ロックを中心としつつも、ラテン、レゲエ、ジャズなど、バラエティ豊かなアレンジの曲が並んでいて、そういうところもすごく歌謡曲っぽいのですが、演奏はどれもスタジオ・ミュージシャンを呼んだように整然として、でも個性がない。アルバムコンセプトというようなものもないし、アルバムの統一感としては桑田の歌唱と、その曲の作風があるだけです。

「タイニイ・バブルス」3曲だけでも買う価値あり


この『タイニイ・バブルス』もしかり(ようやくこのアルバムの話だ!)。「私はピアノ」、「涙のアベニュー」、「C調言葉に御用心」の3曲はすばらしいけど、あとははっきり言ってどうでもいい。アレンジ、演奏、歌などパフォーマンスはちゃんとしてるんで、楽しく聴くことはできますが、それだけです。言うまでもなくこれは私の個人的感覚なんで、悪しからずですが、サザンのアルバムってだいたいこうなんですよね。

さんざん「歌謡曲」と連呼しましたが、「私はピアノ」は特に曲調も歌謡曲ですね。ルンバのリズムもそれらしい。でも歌謡曲だけど “湿気” はない。こういう “湿気” の少ない歌謡曲メロディって、宮川泰さんや筒美京平さんがさんざんやり尽くしている感があるのですが、そのあとでこんな曲を書けるなんて、天才と言うしかありません。高田みづえが即カバーしましたが、“ザ・ピーナッツ” に歌ってほしかったな。原由子は初のメインボーカルに苦労したそうですが、「松田の子守唄」の松田弘よりは全然いい。あれを褒めてる人も多いけど私は理解できません。桑田が歌えばそれなりの曲なのに、もったいない。

「涙のアベニュー」はオーソドックスなロッカバラードなんですが、こういう、よくあるコード進行で、よくありそうなメロディで、でもちゃんとオリジナル、という曲をつくれるのがすごいと思うのです。「初めて聴いても懐かしい」。ヒット曲のひとつの境地です。

「C調言葉に御用心」は前年に5th シングルとして先行発売されていました。これは初期サザンの最高傑作という声が多いですが、私も異論ありません。特に面白いと思うのは、サビのちょい前にサビのメロディが登場してしまうこと。1コーラス目のサビ前で言えば「純情ハートの」ってところが、サビの「C調言葉に」ってところと同じメロです。ふつうだったらサビのインパクトをだいじに考えて、サビ前に同じメロを持ってくることなんて、まずしないと思うんですが、それを平気でやっていて、しかも違和感まったくなし。あと、サビ前の「あ、ちょいと」がいいですね。最初聴いたとき英語かと思いました。英語のロックだったらたぶん、こういう感じできっかけの言葉を挟むと思いますが、そういう感覚を持ち込みつつ、それが小唄の合いの手みたいな「あ、ちょいと」であることに、私は感心してしまうのです。

桑田佳祐に続け! 分業でもよいから


ということで、上げたり下げたりの妙な評論かもしれませんが、ともかく私は桑田佳祐という人の才能は大尊敬しております。ただ彼が、ほんとは自己表現が目的のシンガーソングライターのくせに、これまでの歌謡曲を凌駕するような作品を乱発してきたがために、「詞曲がつくれて歌える桑田くんがいるのに、分業制の歌謡曲なんて格下」などという風評被害を生じさせ、結果的に歌謡曲の崩壊を招いたとも言えるのではないか?なんて考察もしているのですよ。

日本人の根源的な嗜好はそんなに急変したりしませんから、歌謡曲自体は、姿かたちを変えつつも、当分は求められ続けると思いますし、それを今はロックミュージシャンの顔をした桑田佳祐がしっかり引き受けているわけです。でも、彼ほどの天才が何人も現れることはないだろうから、これからはまた分業制でいいから、いろんな人に次の歌謡曲を担っていってほしいです。

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2021.11.20
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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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