5月21日

ドゥーワップをメインストリームに打ち出したシャネルズとブラックフェイスの問題

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photo:SonyMusic  

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シャネルズ / Mr.ブラック


日本におけるドゥーワップの歴史、シャネルズが登場するまで


“プラターズ(The Platters)” や “ドリフターズ(The Drifters)” らの「Doo-wop」や、その白人版とも言えるニール・セダカやコニー・フランシスらの「Teenage Pops」は、50年代半ばから60年代初めにかけて米国音楽市場を席巻しました。日本でも弘田三枝子や坂本九が、それらのカバーやモロにその影響下にある曲で次々とヒットを放ちました。

ただ、それは音楽性云々というよりは、歌謡曲の、“ヒット狙ってどこまでも” 式の貪欲な営みの一環と考えていいでしょう。例外は “ザ・キング・トーンズ” で、彼らははっきりとDoo-wopを意識していましたが、ヒットしたのは1968年の「グッド・ナイト・ベイビー」のみで、そのジャンルが盛り上がるというまでの動きはありませんでした。

70年代になると、FENラジオから流れるアメリカンポップスを聴きながら育った大瀧詠一さんや山下達郎さんが、Doo-wopなどをきちんと踏まえたポップ音楽への取り組みを始めます。だけどやはりその時点では、彼らの音楽を支持する人はまだまだ少数派でした。

Doo-wopというジャンルを自分たちの音楽とはっきり打ち出しながら、日本の音楽市場のメインストリームで活躍したのは “シャネルズ”、のちの “ラッツ&スター” が最初でしょう。

彼らの年齢(鈴木雅之が1956年生まれ)からすると、よほど早熟でないかぎり、Doo-wopの最盛期をリアルタイムで享受してはいないと思いますが、なんとなく70年代末の日本では、片やシンセやコンピュータのサウンドが新感覚としてもてはやされた一方、その反動で、オールディーズの人間くさい温かみを懐かしむムードというのもありました。ことにDoo-wopは、米国の “シャ・ナ・ナ(Sha Na Na)” や英国の “ダーツ(Darts)” などの活躍で、改めてその魅力を多くの人が再認識していました。シャネルズもシャ・ナ・ナのコピーから入ったようです。アーティスト名の由来のひとつにもなっているようですね。

時代の空気はオールディーズ? シャネルズと山下久美子の微妙な関係


私が関わっていた山下久美子のデビューアルバムも、当初はブルースっぽいものを目指しつつ、やはり時代の空気感から、オールディーズポップスの現代版という路線に傾いていきました。デビュー曲の「バスルームから愛をこめて」はプロデューサーの木﨑賢治さんが、ニール・セダカの「Crying My Heart Out for You」という曲を参考にディレクションした楽曲で、オールディーズ風コーラスを入れようということになり、デビュー前ながら既にウワサになっていたシャネルズがいいのでは、と(たぶん)私が提案しました。

「じゃあ当たってみて」と言われ、(これは確かに)私が、なんと直接鈴木雅之さんに電話をしたのです。どうやって電話番号を調べたのかは忘れましたが、まだマネージメント事務所もなかったのでしょう、仕事の窓口も鈴木さん自らやっていたのだと思います。

結果から言うと、断られました。「オレら、譜面とか読めないし、そういうスタジオ仕事やったことないんで…」というのがその理由でした。もし「譜面は読めないけど、いい?」だったら、喜んでやってもらっていたのですが、拒否感ありありだったので諦めました。代わりに歌ってもらったのは、まったく黒っぽくない “タイム・ファイブ” というコーラスグループです。

やがてシャネルズはシングル「ランナウェイ」で1980年2月にデビュー、前評判が高かったこともあり、あれよあれよという間に、ヒットチャートを登りつめました。

シャネルズにコーラス参加を打診したという話は制作チームの中だけに留めておいたのですが、山下久美子のプロモーションでラジオ局廻りをやった時、コロムビアの宣伝部のYさんが、「新人の山下久美子です。“女シャネルズ” と言われてます」なんて説明をするので、ガクッとなりました。“女シャネルズ” というそのなんとも安っぽい響きが今も忘れられません。

シャネルズのスタイルと “ブラックフェイス” 問題


さて、シャネルズを語るのに避けて通れないのが、ジャケットを含む、彼らのヴィジュアル上のスタイルのことです。そう、「ブラックフェイス」。彼らはデビュー前から、1987年にほぼ活動を休止するまで、一貫して、フロントの4人が顔を “黒塗り” し、黒人に扮することを公式スタイルとしていました。これは “問題あり” です。黒人への差別行為なのです。

なぜ差別行為なのか? 時代は遡って19世紀中頃。米国の白人、特に労働者階級において、「ミンストレル・ショウ」という娯楽イベントが大流行しました。当時は奴隷制のもと、綿花プランテーションなどで重労働を強制されていたアフリカ系アメリカ人は、白人から同じ人間としてすら見られていませんでした。学校など行かせてもらえませんから当然知識は乏しい。失敗したり逆らうと酷い目に合わせられるからいつもビクビクしている。

ミンストレル・ショウとは、顔を黒く塗った白人の役者が “マヌケで臆病な黒人” に扮していわゆるボケをやり、白人観客はそれを観て大笑いという、黒人をバカにした非常に差別的な見世物でした。

いや、彼らはそれを悪いことだとは全く思っていませんでした。実はそこが差別というものの困った点なのですが、黒人を人間以下=動物並みと考え、というより “信じ”、それに従って行動していただけということです。たまに「黒人がかわいそう」と思う白人がいたとしても、それは犬や猫がいじめられたらかわいそう、という気持ちと大差なかったのです。それは “ふつうの” 差別よりもっと悲惨ですね。

そういう黒人にとっての屈辱の歴史、その象徴が「ブラックフェイス」なのですから、それをすることは黒人全体への大きな侮辱となります。

2つの反論が出てくると思います。

① 当時、1980年代は「ブラックフェイス」自体が差別だなんて(日本では)誰も言ってなかったということ。たしかにそうです。シャネルズはブラックフェイスでテレビにも頻繁に登場したし、レコードは大ヒットして、ジャケットには必ずブラックフェイススタイルの彼らが強調されていましたが、それを問題にする人は誰もいなかった…… 私も何の疑問も持ちませんでした。

② シャネルズは黒人音楽が大好きで、黒人ミュージシャンを敬愛していた。「ブラックフェイス」はエンタテインメント精神によるもので、差別意識などまったくなかった…… 私もそう思います。

今なお “Black Lives Matter” と叫ばざるを得ない、根深い差別意識


①に対して。当時はまだまだ黒人の発言力が抑圧されていたのです。1863年にリンカーンによって奴隷制は廃止されましたが、差別はむしろ酷くなり(動物から人間になったから…)、人種差別を禁ずる「公民権法」が制定されたのはそれから100年も経った1964年。しかしそれはあくまでも法律上のこと。1986年のアメリカ映画「ミスター・ソウルマン」は、白人が肌を黒くし縮れ毛のカツラを被って黒人になりすますという内容で、黒人社会で “物議をかもし” ましたが、映画自体はヒットしました。80年代の米国ですらその程度だったのですから、日本で問題意識がなかったのはいたしかたないでしょう。

そして今なお、「Black Lives Matter」と叫ばなければならないほど、差別意識は根深く生き続けているのですが、少なくとも抗議や批判の声は確実に大きくなりました。たとえば2015年2月、“ももいろクローバーZ” と “ラッツ&スター” が「ブラックフェイス」でフジテレビ『ミュージックフェア』で共演した折の写真をツイッターに上げたところ、海外から大きな批判の声が上がり、結局彼らのシーンは放映されませんでした。2019年2月には、バージニア州知事のラルフ・ノータム氏らが、学生時代に「ブラックフェイス」をしたことがあると認め、非難を浴び、謝罪をしました。「ももクロ事件」では批判に対する反論も多くありましたが、もはやそれは認識不足でしかありません。

②に対して。差別とは受ける側になって初めてその真の痛みが分かるものです。誰しも、自分の身体的特徴をからかわれたりすると非常にイヤな気分になりますよね。でもたいてい相手は悪気なく軽い気持ちで言ったにすぎません。差別の原点はそこにあると思います。大坂なおみや八村塁が頭角を現してきた時、「日本人じゃないじゃん」などとのたまう輩が少なからずいました。それもたぶん悪気があったわけじゃないと思いますが、彼らにはどんなにイヤな言葉であることか。おそらく幼い頃からさんざん言われ、傷ついてきたと思うのです。なにくそという気持ちが、彼らをスポーツ界での強者にしたのかもしれませんが、だからと言って、そういう言葉も平気になったかと言うと、そんなことは全然ないと思います。

「差別意識はないんだ」は通りません。人は無意識に差別をしてしまう。だから「差別をしない意識」を常に持たなければいけないんです。

まだまだ足りない、差別に対する理解・認識


黒人ミュージシャンを敬愛しているなら、逆に「ブラックフェイス」はやるべきではなかった。でも当時は、特に日本では「ブラックフェイス」にまつわる非道の歴史が認識されていなかった。だからしょうがなかった…… として、問題は現在もなお、本アルバムを含む、シャネルズおよびラッツ&スターのカタログが、「ブラックフェイス」をフィーチュアしたジャケットのまま、流通していることでしょう。

ソニー・ミュージックに19年、しかもエピックに9年間も在籍し、ラッツ&スターたちが稼いでくれたお金から給料をいただいていた私が、えらそうに言える立場ではないことは重々認識しつつ、やはり、早くあのジャケットは改訂してもらいたいものだと思っています。

基本、コンプライアンスにはうるさ過ぎるくらいの会社、ソニーミュージックなんですが、いわゆる差別用語には非常に敏感に反応する「レコード制作基準倫理委員会」、通称「レコ倫」も、この件には何の対応もしていないようですので、やはり日本においては、黒人差別―― いや差別全般かな―― に対する理解・認識がまだまだ足りない、とつくづく思います。



2020.10.19
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  Apple Music
 

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カタリベ
1954年生まれ
福岡智彦
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