フォークシンガー井上陽水の音楽
日本でいうフォークは、音楽的定義よりも人脈的定義が優先されている。
たしかに、多くはアコースティックギターを主体にした小編成で、歌詞に重きがあるという特徴を有すが。一度フォークシンガーの肩書きが付けば、演奏にエレキやホーンがけたたましく併用されても、その人の作品はフォークなのである。そういういいかげんな中に出現した歴史上 “最も疑わしいフォークシンガー” といえば、やはり井上陽水だろう。
陽水の場合、ろくすっぽアメリカンフォークに感化されていないのに、医大入学をあきらめて世に出て行く便宜上、とりあえず当時隆盛したフォークシーンに身を寄せていたもよう。ブレイク前のアルバム『断絶』『陽水Ⅱセンチメンタル』(1972年)を聴いて思うのが、元来のメロディセンスは瀧廉太郎やその時代の歌曲の流れを継承したものだということ。西洋音楽受容史の黎明期、すなわち唱歌と括られて教科書に載る類の薫りがする。
ビートルズからの影響は絶対的なものだけれど、弾き語りではうまく踏襲できない、ならば原体験をさらに遡って唱歌を踏襲してやれ… というプロセスが、彼の潜在意識にあって生まれたのが最初期作品群ではないだろうか。
とはいえ「東へ西へ」にしても「かんかん照り」にしても、演奏総体としては唱歌の風上にも置けない変態音楽である。諸般の条件が合わずロックをやれないロック原理主義者だったからこそ、あんな異様なグルーヴをあみだし、異様な歌詞を乗せたのだ。延いてはその作風に、吉田正や宮川泰らが戦後に確立した和製のラテンやブルース、さらには欧米の黄金期ポップスの要素も加わると、現在に至る井上陽水が出来上がる。
ロックに準ずる音楽と本格的に戯れるターニングポイント
80年代には弾き語りの型から抜け出し、ロックに準ずる音楽と本格的に戯れるようになるが、そのターニングポイントに挙げられるのがアルバム『white』(1978年)である。スティーリー・ダンを彷彿とさせるAOR系のリズムセクションの上に、同時代性を映すフォークとは無縁のシュールな歌が漂っている。中でも表題曲が凄い。
嘘をつく子は日暮れの
別れの時の居場所がわからない
遊びつかれた言葉と
空気の抜けたゴムマリ抱えて
ミルクを飲んでも同じでしょうか?
甘いミルクを飲んでも白いだけです
歌詞を深読みしてみると。汚れのない(白い)心をもって生まれてきたはずの人の子が、何か些細なきっかけで道に迷い孤独に病んでいくという、犯罪社会の原子のような光景がうっすら見えてくる。
アルバム「white」から感じる井上陽水の“超人なりかけ”の魅力
実際当時の陽水はとある事情で社会復帰の途上にあったから、少なからず心境が反映したのだろう。ともあれ簡単な言葉の組み合わせで、これほど深遠な世界観をつくる詩人はそういない。且つめっぽう歌もうまいのだから、活字だけで闘うしかない文壇の詩人にとって彼の存在は目の上のタンコブだ。
また、歌唱面の変遷においても『white』はターニングポイントだと思う。最初期の陽水は、ボーイソプラノ並みに澄んだ声を泣き叫ぶ寸前の情念で押し出していた。いわば、浮世離れと人間くささがぶつかって出来た歌手だった。やがて浮世離れだけが残り “倍音の超人” と化したのは周知の通りで、奇妙な言葉を歌っても意味の違和感が喉の奥底で溶けるから、聴いていてあまり気にならなくなる(“川沿いリバーサイド” などと歌われても聴き流せる)。
対して本作の陽水はまだ声の輪郭がやや硬く、奇妙な言葉の響きに生々しさが残っている。違和感が違和感のままだ。そういう “超人なりかけ” の稀少さも、聴くにつれ魅力になっていく1枚である。
※2018年2月19日に掲載された記事をアップデート
2021.08.31