7月25日

7月22日はディスコの日!今日は筒美京平が手がけた “ディスコ歌謡” を聴いてみよう!

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“ディスコの日” いわれは映画「サタデー・ナイト・フィーバー」


わりと最近知ったのだが、7月22日は「ディスコの日」なんだそうだ。なぜこの日かというと、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の日本公開日だから。ジョン・トラボルタが右手の人差し指を立て、天に突き上げる決めポーズでもおなじみのあの映画だ。

1977年というと昭和52年。私は小5でディスコには行けない年齢だったが、映画は観に行った。ビージーズの音楽もそのとき初めて聴いた…… と思ったら、『小さな恋のメロディ』の主題歌「メロディ・フェア」を歌っていた人たちと同一グループと後で知り、メチャクチャ驚いた覚えがある。仕事を選ばないにも程があるだろう。

この『サタデー・ナイト・フィーバー』公開がきっかけになり、日本でも「ディスコブーム」が巻き起こった。当時かかっていた曲は、アラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」とか、D.D.サウンドの「1234ギミー・サム・モア」とか、グループ名がそのまま曲名になった「ジンギスカン」、あと忘れちゃいけない、アバだ。また「フィーバー」という言葉は、何かに熱狂するときの喩えとして一般化。後にパチンコの大当たりを指す言葉にもなった。



ディスコとクラブの違いとは?


私がディスコに行くようになったのは、大学生になり上京してからで、1986年のこと。そのとき流れていたのは「ユーロビート」だった。デッド・オア・アライヴとか、バナナラマとか、カイリー・ミノーグとかそのあたり。総本山は六本木スクエアビル。ここは10階建て+地下2階で、上から下まで全フロアがほぼディスコという「踊るビルディング」だった。「ネペンタ」とか「チャクラ・マンダラ」とかナツカシー。ロアビルにもよく行ったなぁ。

クラブシーンしか知らない平成生まれ世代によく「ディスコって、クラブと何が違うんですか?」とよく聞かれるけれど、私の答えは「んー、ディスコはね、メシ食うとこだった」。フリードリンク・フリーフード制だったと言うと、みんな決まって驚くんだよね。正直フードはピラフとか、唐揚げとか、冷めたピザとか全然美味いモノじゃなかったけれど、食いしんぼの私は、踊りはそこそこにメシばっかり食っていた。だってユーロビートって、踊ってると疲れるんだよね。…… ジジイか!

少なくとも私にとってディスコは、女のコをナンパするところでは全然なかった。カッコ良く言うと、80年代後半、日本がバブルという狂乱の世界に向かっていく、そんな異様な空気を吸いに行っていたというのかな。あの頃、ワンレン・ボディコン姿で踊っていたコたちは、いま50代〜60代になっているはず。もう孫がいる年だ。ディスコ通いをしていたおばあちゃんは、自分の青春時代を孫にどう説明しているんだろうか?

洋楽すら超える!? 筒美京平が注入したディスコソングのエキス


ちと前置きが長くなった。今回「ディスコ歌謡」というテーマで依頼を頂いたが、何度か波状攻撃でやって来たディスコブームに合わせて、洋楽のディスコヒットに寄せた(中にはもろパクった)歌謡曲がたくさん作られたのは世の常だ。でもそういう商売っ気丸出しの曲って、音楽的に深みがなく、作り手も魂を入れていないので、40〜50年経つと古色蒼然。ネタにしかならなかったりする。今回はそういうネタ曲ではなく「ディスコに行かなくても、ディスコソングの神髄を教えてくれる曲」を取り上げてみたい。日本にはその道の手練れがいる。そう、筒美京平である。

私はこの人が作った歌謡曲を、子どもの頃からそれこそ何百曲と、誰が書いたかは気に留めないで聴いて育ってきた。私と同世代の読者の方は、みんなそうだろう。で、自然と耳にしてきたヒット曲の何割かは、「ディスコ要素」がさりげなく散りばめられていた。筒美は最新の洋楽のオイシイところを抽出して、歌謡曲に落とし込む天才だが、この人が書く国産ディスコソングはおしなべてレベルが高く、洋楽を超えた曲も多い。われわれの世代は筒美京平によって間接的に、ディスコソングのエキスを脳髄に注入されていたのだ。

浅野ゆう子も歌った “京平ディスコ” の原点「セクシー・バス・ストップ」


「京平ディスコ」の原点というと、1976年にリリースされたインスト曲「セクシー・バス・ストップ」だ。この「バス・ストップ」は「バス停」ではなく、当時アメリカのディスコで流行っていた新しいステップの名称で、平浩二とはまったく関係がない。列になって同じステップを踏む様子が、バス停に並んでいる姿に似ているのでこの名前が付いた。

この曲、筒美は自分の名前を出さず「Jack Diamond」という外国人名を名乗り、「Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス」という覆面グループの「洋楽」として世に送り出した。このユニットの正体は、鈴木茂(G)・後藤次利(B)・矢野顕子(Key)・林立夫(D)である。なに、この豪華なメンツ? そのクオリティの高さから、洋楽だと信じ込んでいた人も多い。痛快なのはこの曲、1976年のオリコン洋楽チャート2位に輝いたのだ。

これに喜んだレコード会社は「いい曲だから、歌詞付きのも作っちゃおうよ」と強引に日本語盤を製作。浅野ゆう子が歌った「セクシー・バス・ストップ」で、こちらもスマッシュヒットした。高身長の浅野が男性ダンサー2人を従えて歌う様は、踊りも含めてけっこうインパクトがあった。



岩崎宏美が歌ったディスコ歌謡「シンデレラ・ハネムーン」


「ディスコ歌謡」をもっと自然な形で世に送り出し、若い世代を “洗脳” していくには、それを自然に歌いこなせる若い歌手が必要だ。筒美は幸運にも、その逸材に出逢うことができた。岩崎宏美である。デビュー曲「二重唱(デュエット)」(1975)から第8弾「想い出の樹の下で」(1977)まで、作曲は筒美が担当(作詞もずっと阿久悠)。筒美は「この子なら好きなように曲を書いても、しっかり歌いこなしてくれるゾ!」と狂喜乱舞したのではないか?

当時はまったく意識せず聴いていたが、大ヒットした「ロマンス」(1975)しかり「センチメンタル」(1975)しかり、ディスコソングのオンパレードである。私がとりわけ好きなのが、第5弾シングル「未来」(1976)だ。イントロと間奏部分にチャイニーズ要素が入った遊び心満載のディスコ歌謡で、この曲がヒットしてほくそ笑む筒美の顔が目に浮かぶ。



岩崎はディレクター交代に伴い、筒美の手をいったん離れるが、1978年、久々に復帰する。筒美は岩崎がデビューする前に「あなたはこれから、高音を褒められるかもしれない。でも、あなたの本当の良さは中低音にあるから、それを忘れないように」と告げたそうで、岩崎の成長を見計らって、頃は良しと中低音が映える曲を書いた。イントロはドナ・サマー風で、中間部はヴィレッジ・ピープルの「サンフランシスコ」風と、当時のディスコソングの粋が詰まった傑作「シンデレラ・ハネムーン」は岩崎の力量を前提にしてこそ書けた曲だ。

桜田淳子「リップスティック」、中原理恵「東京ららばい」も立派なディスコ歌謡


同じ年、松本隆と組んで、桜田淳子に「リップスティック」を書き、中原理恵には「東京ららばい」を書いた筒美。都会の恋愛を描いたこの2曲はシティポップに数えられたりもするが、いやいや、その前に紛れもなく「ディスコ歌謡」だろう。

「リップスティック」なんて、イントロはスローなのに、「♪フッフ〜」というコーラスから急転直下テンポアップしていくジェットコースターソング。これも歌手に力量がないと歌えない曲だ。桜田が超ミニで片ひざを持ち上げる振り付けは、いまだに脳裏に焼き付いている。

アイドル石野真子が歌った「日曜日はストレンジャー」


まだまだ紹介したい「京平ディスコ歌謡」はたくさんあるが、こうして振りかえってみると、自分は女性アイドルを通じて、まんまと京平氏にディスコ要素を注入されたんだなぁと思う。最後に、個人的に忘れられない「アイドル系京平ディスコ歌謡」を紹介しよう。石野真子「日曜日はストレンジャー」(1979)だ。



この曲、イントロはもろフォー・トップスなんだけれど、細かいことは気にしない。「日曜日、特に月の夜は、私じゃない私になれる。悪魔になりたい、悪魔になりたい……」 って、なんて歌を真子ちゃんに歌わせるんだ、阿久悠!

だけど、いろんな名曲から引っ張ってきた要素をコラージュして、明るく “オッシャレー” に仕立てた京平マジックのおかげで、この曲はヤらしくなく聴けてしまうから不思議だ。京平先生いわく、

「アイドル系の曲は、できるだけ歌のスキ間を面白い音で埋めて、ファンの耳を飽きさせないようにすることが大切」

―― 確かに、この曲はその典型だ。

筒美流のそんなサービス精神のおかげで、私は70年代、一度もディスコに足を運んでいないにもかかわらず、ディスコソング大好き人間になってしまった。アラベスクとかいまだに大好きだもんなぁ。でも、もしいまタイムマシンがあって当時のディスコに行けたとしても、やっぱ踊らずにメシ食ってると思う(笑)。

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2023.07.22
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カタリベ
1967年生まれ
チャッピー加藤
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