7月22日

空前のディスコブーム「サタデー・ナイト・フィーバー」が若者の風俗を劇的に変えた!

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アングラなカルチャーを表舞台に引き上げた1本の映画


1本の映画が若者の風俗を劇的に変えることがある。

古くは、1956年に公開された映画『太陽の季節』(監督・古川卓巳)がそうだった。ご存知、芥川賞を受賞した石原慎太郎の小説を映画化。当時の無軌道なブルジョアの子弟らの生き様を、逗子・葉山を舞台に赤裸々に描いたところ、彼らの髪型やファッション、遊びを真似る若者たち―― 通称「太陽族」を生み出す社会現象になった。

1987年公開のホイチョイ・プロダクションズの『私をスキーに連れてって』(監督・馬場康夫)もそう。ユーミンの音楽に乗せて、ポップなスキー遊びを全編に散りばめ、空前のスキーブームをけん引した。当時、ゲレンデは劇中で披露された “トレイン”(男女のグループでボーゲンを連結する滑り方)に興じる若者たちであふれた。

そして―― 今回取り上げるアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(監督・ジョン・バダム)も、そんなムーブメントを生んだ作品の1つ。

時に1978年7月22日―― そう、今から44年前の今日、日本で封切られるや否や、瞬く間に若者たちを席捲。それまでアングラなカルチャーだったディスコを一躍、表舞台に押し上げたのである。

ワンレン・ボディコンや高級ディスコも、発端はサーファー・ディスコブーム


映画を機に、街は雨後の筍のようにディスコが誕生。洋楽ヒットチャートはディスコミュージックが台頭し、若者たちは猫も杓子も「ステップ」と呼ばれる世にも奇妙なダンスの習得に励んだ。

今日、メディアがかつてのディスコブームを回顧すると、決まってお立ち台にワンレン・ボディコンの「ジュリアナ旋風」か、バブル時代のマハラジャ、エリア、青山キング&クィーンなどの高級ディスコが取り上げられる(断っておくが、ジュリアナはバブル崩壊後のカルチャーである)。もちろん、それらもブームには違いないが、どちらかと言えば都市の “装置” としての印象が強く、純粋に若者の遊び場として盛り上がったのは、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に端を発する1980年前後の “サーファー・ディスコ” ブームのほうだった。奇しくも、それは、拙著『黄金の6年間 1978-1983 ~素晴らしきエンタメ青春時代』(日経BP)の掲げる “東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代” と符合する。

「黄金の6年間」とは、1978年から83年にかけて、主にエンタメ界に起きた奇跡の6年間を指す。音楽をはじめ、映画や小説、テレビ、広告、雑誌など、メディアを横断して様々な分野のクロスオーバー化が進み、新しい才能が輩出された時代である。アイドル松田聖子はポップス界の財津和夫や大滝詠一、ユーミンらの作った曲を歌ってトップスターとなり、角川映画は小説と広告と音楽と映画の世界を横断して、お茶の間を席捲した。

そんな黄金の6年間を象徴するカルチャーの1つが、先に述べたサーファー・ディスコだった。有名どころでは――六本木の伝説のディスコ、キサナドゥをはじめ、ネペンタにフーフー、新宿はニューヨークニューヨークにゼノン、渋谷ならキャンディキャンディ等々――。なかでも、各階にディスコが入る六本木スクエアビルと新宿東亜会館はディスコの聖地と呼ばれ、週末ともなれば、大学生や高校生、サラリーマンにOL、中には背伸びした中学生らで賑わった。

そんなサーファー・ディスコの特徴は、80年代後半に登場するドレスコードやVIPルームのある高級ディスコと違って、圧倒的にハードルが低いこと。それゆえ、カネのない若者たちの支持を得て、一気にマーケットを広げたのである。

純粋な青春映画「サタデー・ナイト・フィーバー」


当時のサーファー・ディスコは、男子はフィラあたりのポロシャツかアロハ、女子はハマトラなどのカジュアルな服装で訪れる場所だった。料金も男子は2,500円、女子は1,500円程度とリーズナブル。フリードリンク、フリーフードで手軽にお腹を満たすこともできた。

もっとも、メニューと言えば、焼きそばやフライドポテト、唐揚げなど学園祭の模擬店レベル。唐揚げが出る時間は「唐揚げタイム」と呼ばれ、客が皿に群がった。それでも音楽が聴けて、踊れて、異性と出会えるだけで十分だった。お目当ての女子と踊るチークタイムはワン・ナイト・ラブへの夢の扉。夢破れた野郎どもは、始発まで夜通し踊り明かした。

おっと、肝心の映画の話を忘れていた。『サタデー・ナイト・フィーバー』―― ともすれば、ディスコシーンの印象が強すぎて、ある種のキワモノ映画と見られがちだが、純粋な青春映画である。

主演はご存知、ジョン・トラボルタ。劇中で彼が見せるダンスは華麗で、様々な「ステップ」―― バス・ストップ、ドルフィン・ロール、ハッスル―― 等々を披露する。当時の若者たちは、何度も映画館に足を運んでは、それらステップを習得してトラボルタになりきった。

そして、同映画を盛り上げる音楽と言えば、ビー・ジーズである。かつて、映画『小さな恋のメロディ』で美しい旋律の主題歌「メロディ・フェア」を歌った彼らが、6年の時を経てディスコサウンドで帰ってきた。ビー・ジーズが同映画に書き下ろした劇伴は、「愛はきらめきの中に」や「恋のナイト・フィーバー」など5曲。中でもタイトルバックにかかる「ステイン・アライヴ」は大ヒットした。

ジョン・トラボルタ主演、主題歌は「ステイン・アライヴ」




 Well, you can tell by the way I use my walk
 (歩き方で分かるだろ)
 I'm a woman's man: no time to talk
 (女が夢中になる男さ)
 Music loud and women warm
 (音楽が鳴り響き、女のぬくもりを感じる)
 I've been kicked around since I was born
 (虐げられてきたが)
 And now it's all right. It's OK
 (今はもう大丈夫)
 And you may look the other way
 (アンタは違うタイプだろ?)
 We can try, to understand
 (分かり合えるかもしれないな)
 The New York Times' effect on man
 (ニューヨークは俺たちに希望をくれる)

―― 冒頭、その「ステイン・アライヴ」に乗せて、ニューヨークのブルックリンをトラボルタ演じるトニーが颯爽と歩く。その手にはペンキの缶―― そう、彼は普段はペンキ屋で働く、しがない青年。ブルックリンは労働者の街で、トニーは変化のない毎日にうんざりしていた。

だが、そんな彼も週に一度だけ輝く。それが週末に悪友たちと繰り出すディスコだった。フロアーに立ち、次々とステップを決める彼はいつも注目の的。自然と女の子たちから声がかかった。

ある日、いつものようにトニーが週末のディスコで踊っていると、一人の年上の女性に目が止まる。彼女―― ステファニーのダンスは優雅で華麗。一目で彼は恋に落ちる。トニーは思い切ってステファニーをダンスコンテストに誘うが、意外にも断られる。彼女は橋の向こうの都会の街―― マンハッタンで暮らしており、2人は住む世界が違い過ぎたのだ。

ちなみに、橋を挟んで男女が行き交う設定は、後にドラマ『男女7人夏物語』の良介(明石家さんま)と桃子(大竹しのぶ)にオマージュされる。

その後、物語は色々とあって―― やっと、トニーはステファニーをコンテストに誘うことに成功する。大会当日、華麗なハッスルを決める2人。満場の拍手。だが、彼らの次に登場したプエルトリコ人のペアのダンスに、トニーは驚愕する。明らかに自分たちより上手い。

審査発表―― 次々と入賞者の名前が読み上げられるなか、トニーの表情は冴えない。それはプエルトリコ人のペアが2位に入った瞬間、確信に変わった。

「そして1位は―― ステファニーとトニーだ!」

DJの声に、トニーは怒りに震え、思わずステファニーの手を引いて会場を飛び出す。

「プエルトリコ人だからって差別するなんて最低だ!」

映画のラスト。トニーは悪友たちやブルックリンの街と決別し、橋を渡ってマンハッタンの街へ入る。それは、一人の青年が大人の男になる決意だった。彼はステファニーと再会する――。

エンディングはビー・ジーズの名曲「愛はきらめきの中に」


 I know your eyes in the morning sun
 (朝日の中で見る君の瞳)
 I feel you touch me in the pouring rain
 (雨の中で感じる君のぬくもり)
 And the moment that you wander far from me
 (君が僕から離れると)
 I wanna feel you in my arms again
 (もう一度抱き寄せたくなる)

キスをかわす2人を背景に、ビー・ジーズの名曲「愛はきらめきの中に」が流れる―― ハッピーエンドだ。同映画はポスト・アメリカン・ニューシネマであることも確認できる。

一方、日本のディスコブームは、残念ながらハッピーエンドとはならなかった。1982年6月、新宿のディスコで一夜を明かした女子中学生2人組が早朝、何者かに殺傷される事件が起きる。警察は犯罪の温床になりかねないと、1984年8月、風営法を改正してディスコの深夜営業を禁止する。栄華を誇ったサーファー・ディスコは雲散霧消した。

後の高級ディスコブームの走りとなるマハラジャが麻布十番にできるのは、その4ヶ月後である。


※2019年7月22日に掲載された記事をアップデート

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2022.07.22
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カタリベ
1967年生まれ
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