『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その4』からのつづき伊藤銀次ソロ史上初の海外レコーディング、いよいよダビングへ!
1984年リリースの、銀次ソロ史上初の海外レコーディング… 『BEAT CITY』のレコーディングは、トータルでほぼ1ヶ月のロス滞在で仕上げた。
リズム録りから始めてダビングを経て、銀次自身のヴォーカルを録音したらミックスダウン、そしてマスタリングまでの全行程を終え完パケで帰国する予定になってたので、のんびりとはしていられないスケジュール。
そういう意味で、すばらしいリズム隊のおかげで順調にリズム録りが進み、ロスならではの乾いたシャープな音像が録音できたのはよかった。そしていよいよ次の段階の “ダビング” へと突入したのだった。
パーカッションはスティーヴ・フォアマン、なんと “ソロバン” も駆使?
まずはスティーヴ・フォアマン。ロギンス&メッシーナのアルバムでの彼のプレイが好きで「パーカションはぜひ彼で!」という僕からのリクエストで来てくれた。
ダビング当日、なにやら大きなタンス様の箱がいくつもスタジオに運ばれてきて驚いた。全てにスティーヴのパーカッションが収められているという。やがて本人が現れてご挨拶。70年代に、六本木PIT INNでのリー・リトナー・バンドのステージで見たときには気づかなかったけれど、意外と小柄。どことなく『まんが日本昔ばなし』の常田富士男さんを思わせる風貌としぐさに親しみを感じる人だった。
「すごい量の楽器を持ってくるんですね」と訊ねたら「ああ、これで全部さ。なんでもあるよ。そうだ!」と言ってタンスの1つにある引き出しから取り出してきてくれたのは、なんと日本の “ソロバン”。
「日本に行った時に買ったのさ!」
―― と、しゃかしゃかと嬉しそうに振ってくれた。
「ははは! あんたはトニー谷か!」
―― とツッコミそうになったけど、たぶん知らないだろうから黙っていたけれどね。
プレイがはじまると、それはもう楽しそうに演奏してくれる。特に「愛のゆくえ」の転調したギターの間奏から歌に戻るときに、彼のアイデアで一発、チャイム様の楽器を打ったあと、そのまま気持ち良さげに笑顔で両手を天にむけて広げた様には感動したよ! スティーヴ・フォアマンはすばらしいマインドのミュージシャンだった。
コーラスは名うての2人、ブロック・ウォルシュとクリス・モンタン
ビートルズに激しく影響を受けている銀次の音楽に絶対欠かせないのが、バックのコーラス。
そのコーラスのために参加してくれたのは、ポインター・シスターズのヒット曲「オートマチック」の作曲者であり、アンドリュー・ゴールドの名盤『幸福を売る男(All This And Heaven Too)』のプロデューサーであり、1983年にソロアルバム『デイトライン・トキオ(Dateline:Tokyo)』をリリースしているブロック・ウォルシュ、そして1980年の『エニー・ミニット・ナウ』というアルバムで日本のAORファンにもおなじみのシンガーソングライター、クリス・モンタンという名うての2人。
少し甘くマイルドなクリスと、シャープな質感のブロックの声のマッチングが絶妙で、曲がますますポップになった。アメリカ人だからもちろん英語の発音はばっちり。当時憧れていた洋楽にさらに近づいたようで、当時は嬉しかったよ。
「恋の予感」のコーラスが終わって、彼らといっしょにプレイバックを聴いていた時に、クリス・モンタンが、「銀次、この曲はいいね。絶対シングルだよ!」と言ってくれた。結局、シングルカットされることはなかったけれど、本場のミュージシャンから、たとえお世辞とはいえども、こんなふうに言ってもらえるなんて思ってもいなかったので、ますます、ロスにレコーディングに来てよかったと思えた瞬間でした。
打ち込みができない! 消えてしまったテープ信号、国吉良一はどうした?
そして、ダビングの締めは日本から随行してくれてた国吉良一さんのキーボード。国吉さんには「Sugar Boy Blues」あたりからずっとレコーディングに参加してもらっていて、僕のどんな注文にも即座に答えてくれる頼もしい存在だが、
『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その3』にも書いたように、スタジオのエンジニアがうっかりテープ信号を消してしまったので、打ち込みができなくなった分を手弾きで弾かなきゃならない… という大問題が国吉さんの前に立ちはだかっていた。
さて、ダビングが始まってみると、まあ驚いた。
今回の曲の中で、打ち込みのシンセ・パーカッションをもっとも多用する「Summer In The City」の各パターンを、なんといとも簡単に手弾きで演奏してしまったのだ! おまけに、どう聞いても打ち込みにしか聞こえないシンセ・ベースまで!!
もし国吉さんがいなかったら、このアルバムはロスで暗礁に乗り上げた難破船と化していた事でしょう。いまあらためて「国吉さん、ありがとう!」と言わせてくださいね。
キーボード・ダビングが進んでいたある日、そんな完璧な国吉さんが珍しくフレーズを弾き損じた瞬間があった。
その日、ダビングの合間に、ある取材のためにインタビュアーの方がスタジオに入ってきたのだが、なんとそれはシリア・ポールさんだった。彼女のあまりの美しさに気を奪われてしまった国吉さんがまさかのミステイク。いやぁ、ほんとに美しいひとだったなぁ。彼女の登場は、男ばかりのレコーディングにとって一服の清涼剤でした。
そして最後にもう1人! グレイトな真打の登場ですが、それは引っ張って次回です!!
『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その6』につづく
2020.10.22