7月21日

1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その4

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『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その3』からのつづき

鉄壁のフォー・リズム、LAミュージシャンに加え、キーボードは国吉良一


1984年4月下旬にロスに渡った銀次。ドラムスにカルロス・ベガ、ベースにボブ・グローブ、ギターにマーク・ゴールデンバーグという、当時の最先端のLAミュージシャンに加えて、キーボードに日本から参加の国吉良一さんという鉄壁のフォー・リズムがそろったワン・オン・ワン・スタジオで僕の初の海外レコーディング、アルバム『BEAT CITY』のリズム録りがいよいよ始まった。

記念すべき1曲目は、アルバム1曲目におさめられることになる「彼女のミステイク」。このアルバムの曲作りのために新たに購入したシンセザイザー、DX7を使って最初に作った曲からスタートだ。

日本を立つ時からセッションの1曲目はこの曲と決めていた。その頃よく聴いていた英米の最新ポップスの影響に背中を押されて自然にできちゃった曲。これまでのギターでの作曲ではできなかったタイプの曲だ。新たな第一歩をロスで踏み出すのはこの曲しかないと思っていた。

ロスでのレコーディングのやりかたは日本でのこれでのやりかたとまったく同じ。譜面を配ってから日本で作ってきた簡易なデモテープをメンバーに聴かせてからリハーサル。気になるところや、もっとこうしてほしいことなど意見交換してから本番。

スムーズなコミニュケーションは “共通言語” のおかげ!


うれしいことに言葉の壁を乗り越えてコミニュケーションがスムーズに取れていく。なにがうれしいって、本場のミュージシャンたちが僕の曲を何の疑問もなくスムーズに演奏してくれている。特にマークは彼自身が作曲家でもありプロデューサーでもあるので、いろいろなアイデアを忌憚なく提案してくれる。さらに同行してきた国吉良一さんが以前フロリダの音楽学校に留学していたこともあって英語がペラペラ。僕のいい加減なブロークン・イングリッシュで話が通じなくなった時には、見事に通訳してもらえたので、それはそれは大いに助かった。

日本を立つ前には期待と共にいろんな不安を抱えてきたけれど、こうしてじかにロスのミュージシャンたちとレコーディングしてみて、今まで日本にいて見よう見まねで僕が目指してきたポップロックが、そんなに変なものじゃなくて、彼らとの共通言語をちゃんと持っているものだったことを確認できたことがなによりもうれしい収穫だった。むしろ日本でレコーディングしているときより僕のイメージのニュアンスが伝えやすい。

だからといって日本のミュージシャンが彼らより劣っているということではなく、日本のように歌謡曲、演歌などと混在した環境の中でロックやポップスをやってる日本人ミュージシャンと違って、ジャズやロックやブルースなどを自国の “歌謡曲” として演奏してきた伝統を持つミュージシャンたちだからなのだと思う。そういう意味では日本人なのに自国の音楽よりアメリカ起源のロックやポップスに憧れを持って追求してきた僕のほうが変わっている存在なのかもしれない。この体験は、これまでなんとなく僕の中にあった英米音楽に対するコンプレックスを消し去ってくれた。

はじめは僕が何者かわからなかったのか、少し緊張気味だったカルロスとボブも日を追うごとにリラックスしてきて、セッションの合間には、遊びでレッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール(Rock And Roll)」や「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」をプレイしたりするようになってすっかり打ち解けてきた。

アップ・トゥ・デイトな音楽を作り続けるプロフェッショナルたち


思いのほかリズム録りが順調にいくせいか、僕はすっかり彼らが自分のバンドのように感じてきて、浮かれて我を忘れそうになった瞬間があった。それは「INTERVIEW」という、今回の曲たちの中ではかなりロックぽいワイルドな曲のリズムを録っていたとき。

リハーサルが始まるとボブのベースがちょっと大人しい気がした。そこで「ボブ、もっと手数多くてもいいから暴れてほしい」と注文を出すと、「OK! Ginji!」。ところが、その後もやっぱりシンプルなまま。もう一度注文するも「OK! Ginji!」の返事は返ってきてもプレイは変わらない。

「う~ん、まあしょうがないか…」とその時は納得がいかなかったけれど、そういえばセッションが始まったときにカルロスのドラムに「もっとオカズを派手に入れてくれ」とお願いしたら、「銀次、オカズはベーシックのOKが出たあとでダビングにしないか?」と言われたことを思い出した。

そうか! すでに打ち込みが登場してたアメリカの音楽シーンで、70年代のようにリズムが揺れてしまうことがカッコ悪いことを、彼らもすでに意識していたのか! まいった!! カルロスもボブも、ちゃんとその時点での “いま” な演奏をしてくれていたのだ。

日本をたつとき、ロスでレコーディングするからといって70年代的なレイドバックしたノリの音楽にはしたくない… といっておきながら、いつのまにか気持ちの緩んでいた僕は、すんでのところでラフなロックのノリを彼らに求めてしまっていたのだ。アップ・トゥ・デイトな音楽を作り続ける、ほんとのプロ意識みたいなものをこの『BEAT CITY』のセッションで2人から学ぶことができたよ。

To be continued

『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その5』につづく

2020.09.19
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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