7月21日

1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 〜 その1

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photo:SonyMusic  

やり切った感でいっぱい、60年代サウンドの銀次流リメイク


1982~1983年の2年間に「BABY BLUE」「SUGAR BOY BLUES」「STARDUST SYMPHONY」「WINTER WONDER LAND」の4枚のアルバムを、まるで不遇だった70年代にリベンジするかのような勢いで立て続けにリリースした銀次。

その中身はいずれも、当時の欧米のロック / ポップスの動きにシンクロした、まさにマージービートやモータウンサウンドなど、僕がティーンエイジャーの頃に多大な影響を受けた、1960年代サウンドの銀次流リメイクの色彩が強いものだった。

スタッフが考えてくれた「初めてなのに、懐かしい。」や「ADULT-KIDS」というキャッチコピーはまさに言い得て妙で、僕の頭に描いていた世界観を見事に表してくれていた。

おかげでアルバムの評判も上々、ラジオ番組やライヴもやれるようになり、ファンも増えてきた。それはそれで嬉しかったのだけど、あっというまの2年、怒涛の勢いでその路線でやってきて、「WINTER WONDER LAND」までたどり着いたとき、この形をこれ以上続けていっても結局セルフカバーみたいになってしまう。このスタイルでは、この4枚のアルバムでやり切った感がいっぱいだった。

80年代の欧米ロックシーン、そして佐野元春「VISITORS」に受けた刺激


この頃の佐野元春や大沢誉志幸、原田真二などのポップ / ロックミュージシャンたちが皆そうだったように、僕も常にポップ / ロックに関しては、和と洋の2本の軸で物を考えていた。それほど80年代に入ってから、欧米ロックシーンの変化の速さと凄さは無視できない刺激的なものだった。4枚のアルバムを作り終えた後の僕は、もう次のステップを踏み出したがっていた。新しいアプローチへと心が動いていたのだ。そしてそれが次のアルバムを “L.A.レコーディング” へ走らせた最大の原因なのだ。

もちろん、盟友佐野元春が単身ニューヨークに渡り、むこうのミュージシャンたちとアルバム『VISITORS』をレコーディングしたことに強く刺激されたことは間違いない。元春がニューヨークなら僕はどこへ行こう? やっぱりロンドンか? それともビートルズに刺激されて音楽を始めた僕だからリバプール?

確かに僕のスタートはイギリスだったけれど、これまでの僕の音楽は、まさにビートルズと同じ、イギリス人が憧れて作るアメリカンサウンドに近い。ならば僕がその後に憧れたバッファロー・スプリングフィールドやポコやイーグルス、ジェームス・テイラーなどを生んだロサンゼルスで、むこうのミュージシャンとレコーディングするのがおもしろいんじゃないか。

よっし! 銀次はロスへ行くぜ!!

ミュージシャン選びのヒントは、リンダ・ロンシュタット「激愛」にあり


当初、スタッフからは、ラス・カンケル、リーランド・スクラー、ダニー・コーチマー、クレイグ・ダーギーといった70年代から活躍しているロスの代表的なスタジオミュージシャンでいくのはどう? という意見もあったけれど、それにはなぜか僕は素直にOKとは言えなかった。

というのも、僕は東京のミュージシャンで、すでに80年代型の音楽を作り上げていたから、いまさらロスで70年代っぽい音楽を作りたいとは思わなかったからなのだ。やっぱり、“今” のロスで、“今” の空気感がするプレイをしてくれるミュージシャンと仕事がしたかった。そこでミュージシャン選びの大きなきっかけとヒントになったのが、リンダ・ロンシュタットのアルバム『激愛(MAD LOVE)』だった。

このアルバムは、それまでのリンダの作品とはうって変わった、UKニューウェイブシーンに影響されたロックアルバム。僕の目に留まったのは、そのアルバムに曲提供しギターもプレイしていたマーク・ゴールデンバーグという男だった。気になってその彼が結成したクリトーンズというバンドのレコードを聴いてみたら、なんと60年代のザ・バーズを今にリメイクしたようなごきげんなサウンド!! マークが来日した折にはライヴまで観に行き、おまけに音楽専誌の取材でインタビューまでさせてもらってすっかりファンになっていた。L.A.レコーディングと決まった瞬間から、ギターは彼!! と、まっ先に決まっていたのだった。

大当たり!「フィジカル」で叩いていたドラマー、カルロス・ベガ


そしてドラマー。スタッフはジェフ・ポーカロが… というんだけど、いまいち気乗りがしなくて、いろいろ聴いて選んだのがカルロス・ベガ。彼はポーカロほど知られてなかったけれど、オリビア・ニュートン・ジョンの『虹色の扉(Physical)』で叩いてた人。打ち込みに対抗できるくらいステディで、しかもいいノリを出せるドラマーとにらんで決めた。これが大当たりで、そのことについてはまた次の機会に…。そしてベーシストは手堅いところでジャクソン・ブラウンとのセッションでおなじみのボブ・グローブ。…と決まったところで、最後にキーボードときて、これはちょっと決めにくかった。

というのも、当時のキーボードはほとんどシンセを多用していたので、奏者と「ああでもない、こうでもない」… と音決めをしなければならなかった。たとえ間に通訳を入れてもコミニュケーションをとるのが大変だろうと、手堅いところでこれまでの僕のアルバムでキーボードを担当してくれた国吉良一さんに来ていただくことになって、ようやくL.A.レコーディングの、いわゆるフォーリズムが決まった。

まだ日本にいるときから、もうそのサウンドは間違いなく目指している “今” な洋楽になるはず!あとはすべて僕の作る曲次第!…と、わくわくしながら購入したばかりの TR-909 と DX-7 で、新しいひらめきを求めて曲作りに励んだ銀次なのでした。

『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その2』につづく

2020.06.10
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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