伝説のアイドルグループ、キャンディーズが1978年に解散した時、彼女たちを超える3人組アイドルは今後もう絶対に現れないだろうと思った。 それから40年経った今もその時の確信は残念ながら現実のままである。いや、人によっては「少女隊の方が好き」とか、「ribbon の方が素晴らしい」などという意見はあるかもしれないが、それはあくまでも個人の感想であって、客観的に見た実績や人気でキャンディーズに匹敵する3人組はどう考えても見当たらない。 … などという前置きをしておいて、ここで書かせていただくのはキャンディーズではなく、渡辺プロダクションの直系の後輩にあたるソフトクリームのこと。 それこそ人気も実績も知名度もキャンディーズには遠く及ばなかったのだが、好きな向きには放っておけない、徐々に忘れ去られてしまうのはちょっと惜しいアイドルグループではないだろうか。 ルックスの良さと奇抜な楽曲で個人的にも好きだった3人組だが、キャンディーズよりも短い、僅か3年にも満たない活動期間であった。 ちょうど36年前の今日、1982年12月5日に出されたデビュー曲は「熱帯魚のタキシード」。作詞が島武実、作曲・編曲が佐久間正英という、プラスチックスのふたりが作った楽曲はテレビ東京『テレビほとんど冗談』のテーマソングとジャケットにクレジットされているけれども、番組を観た記憶はまったくない。 同じくテレビ東京の『おはようスタジオ』に出演していた彼女たちは、当初は東京のローカルアイドルともいうべきポジションだったようだ。デビュー盤が東京地区のみ限定発売だったというのは本当なのだろうか? 東京12チャンネルから社名が変わって間もない頃のテレビ東京が売り出しに一役買ったことは間違いない。 ウィキペディア情報によれば、作詞した島武実が「食べ物の名前にしたら売れるかな」と発したのがグループ名の由来だというが、これはかつて、ザ・シュークリームにキャンディーズと、女性グループにスイーツ系の名前を施してきた渡辺プロの伝統に則っている。キャンディーズフォロワーだったトライアングルやフィーバーもその辺はぜひ踏襲して欲しかった。 そしてこれもウィキによると、デビューして1年以上経過した頃の雑誌のインタビューで、メンバーの大塚真美と遠藤由美子はこんなことを語っていたという。 ――(先輩であるキャンディーズと比べて)なんで同じ渡辺プロダクションなのに、私たちは売れないんでしょう! キャンディーズのようにかわいくて、いっぱい有名になりたいでーす。ちゃんとああいう高そうな衣装を私たちも着たいです。私たちは既製品でイヤだァー(『THE SUGAR』1984年3月号より) なんとも悲しい嘆きではないか。このままではないにしても、このような意味の発言はあったのだろう。今なら絶対に事務所チェックで削られるはずだが、当時はなんとも大らかだったのだ。 1982年の結成当初は、遠藤由美子(ユミ)、大塚真美(マミ)、天野千英(チエ)の3人でのスタートだった。このメンバーで「すっぱい失敗」「スキよ! ダイスキ君」「やったね! 春だね!!」と4枚のシングルを出したところで、天野が脱退し、替わりに大橋直美(ナオ)が加入。 「スキよ! ダイスキ君」ではヤクルトスワローズのルーキー、荒木大輔とヤクルトジョアの CM で共演するなど、少しずつ人気も定着しつつあっただけに、正直このメンバーチェンジによってもたらされたダメージ感は否めない。前述の嘆きの声もむなしく、それから一年足らずで惜しいことに解散となってしまった。 しかしながら、彼女たちが遺してくれたレコードは興味深い作品が多く、2枚目以降のシングルはほとんどが森雪之丞の作詞、後藤次利の作曲によるものでアイドルポップスの楽しさに満ちている。 また、どういう経緯だったのか、クラシック畑の福島雄次郎が作曲した「コアラこんにちは」は、オーストラリアから日本へコアラが来日したことを記念してのノヴェルティソングであった。 ―― というか、ソフトクリームの作品はすべてがノヴェルティタイプの楽曲だったと言っても過言ではない。タイトルからして惹かれる「クラスメイト失踪事件」はジャケットも秀逸。 一番人気はなんといっても遠藤由美子だった。彼女はソロでも “ユミ” 名義で「もしもタヌキが世界にいたら」を歌って、フジテレビ『なるほど! ザ・ワールド』のエンディングテーマにも使用された。好評だったようでパート2も続けてリリースされている。 彼女はグループ解散後も昭和の終わり頃までは女優として活動を続け、最後に見たのはフジテレビ月9の初期作品『君が嘘をついた』だったと記憶する。愛らしいタヌキ顔からか、“エンポコ” というニックネームがあった。 一旦引退した後、1993年にはビーイングにて “森下由実子” 名義で歌手活動をするも、ほどなく結婚して再び引退してしまった。 いちばん大人っぽい顔立ちだった大塚真美は子役として劇団ひまわりに所属していたこともあったそうで、解散後は女優デビューし、1986年に大映ドラマ『天使のアッパーカット』の主役に抜擢される。 山口百恵の『赤いシリーズ』が大好きだったという彼女は大映ドラマへの出演、しかもいきなりの主役に嬉し泣きしたという。松居直美が主題歌「TALK TO ME」を歌い、奥田圭子や伊藤つかさが準主役級で出演した。大塚はその後も『月曜ドラマランド』の諸作品など女優業を続けたが、90年代に入ってすぐの頃にやはり引退している。 『月曜ドラマランド』といえば、遠藤由美子も実写版『おそ松くん』にトト子ちゃん役で出演したことがある。 この番組は、当時自分が制作スタッフとして唯一就いたドラマの現場だった。今はもう無くなってしまったが、渋谷ビデオスタジオでの撮影が深夜に及んだ日のこと。いざ宅送の段になったら自分だけ彼女と同じ方向だった。 もともと上司だったマネージャーから「鈴木くん、頼んだよ」と言われ、二人で一台のタクシーに乗って帰ることになった。 「ハイ解りました!」 … などと答えつつも内心は(ラッキー!)そりゃそうだ。 決して短くはなかった帰り道。タクシーの中で何を喋ったかもう忘れてしまったが、自分にとって、まだ20歳だった頃のちょっといい想い出だ。
2018.12.05
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