小川美潮さんが在籍したニューウェイブ・バンド ”チャクラ”。あんな、いわゆるとんがったバンドが芸能王国・渡辺プロにいたというのは、後から思うとかなり不思議です。
契約の経緯はよく知らないのですが、ヤマハの『East West』というアマチュア・ロックコンテストで、優勝ではないけれど注目を浴び、1979年の夏に渡辺プロの「NON STOP」というニューミュージックに特化した部署と契約しました。
ライブを観て大いに興味をそそられ、「担当したい!」と手を挙げたのですが、新米に好きなことばかりやらせるわけにはいかないと却下され、別のディレクターで、1980年7月に1st アルバム『CHAKRA』をリリース。矢野誠さんのプロデュースでした。
当時の渡辺プロ、新しいジャンルも育てていかなくては、という思いでNON STOPセクションを作ったのですが、芸能タレントのマネージメントしか知らなかったものですから、新人バンドでも全員に給料を払い、シンセサイザーなど必要な器材は買い与え(高かった!)、というようなことをやっていたようです。
ライブも、アイドルならカラオケでスーパーの店頭でもやっちゃうんだけど、バンドだとライブハウスに器材を運ぶためにクルマも人手も必要になります。しかも収入はせいぜい数十人のお客さんからのチャージバックのみ。
これではお金が出ていくばかりなので、やがて会社からは問題視されるのですが、ともかく1981年、2nd アルバムを作ろうという時点で、ようやく私にお鉢が回ってきました。
YMOの大成功により、「テクノポップ」が脚光を浴びていました。機械のビートによる音楽は革命的で、刺激的で、可能性に満ちていました。
今や音楽のバリエーションには出尽くした感があって、もう長いこと、新しい音楽スタイルにワクワクするなんてことがありませんね。でも50〜80年代には何度もありました。テクノポップもそのひとつ。ああ、あのワクワクよ、もう一度……
当然、チャクラもその影響を大きく受けていました。打合せの中で、メンバーから「MC-8を使いたい」という発言があって、それはなんだ?と聞き返しました。
「MC-8」は「MIDI規格」が登場する前のシーケンサー、つまりシンセサイザーを演奏させるマシンで、ローランドが1977年に発表したものです。1981年により安く使いやすい後継機「MC-4」が出て取って代わりますが、多少遅れが出るMIDIに比べ、CV/GATE(電圧とON/OFFでコントロール)のMCは、シンプルなだけにキビキビ発音させていた感があります。
音の高さ・大きさ・長さなどを数値にして、MCではテンキーのみで入力していきます。第4のYMOと呼ばれ、このアルバムにも参加いただいた松武秀樹さんは、左手に譜面、右手をテンキーに構え、目にも留まらぬような速さでカタカタ打ち込んでいきました。音楽でのプログラミングのことを「打ち込み」と言いますが、それはこの様子から生まれたのです。
さて、チャクラのギタリスト、板倉文くんは、なんと細野晴臣さんに直接電話して、新しいアルバムへの協力を依頼しました。YMOで超多忙だったはずの細野さんですが、「とにかくいっしょにやってみよう」と快諾してくれました。
全面プロデュースはさすがに無理だったのですが、時々ふっと現れては、ちょいちょいとアドバイスしていくという、なんとも細野さんらしい佇まい。ただし、「You Need Me」という曲だけは、サウンドを根本的に変えたかったようで、一から、シンセで音作りを始めました。
黙々といろんな音を作っていく細野さん。特に口出すでもなくその作業を見守るメンバーたち。スピーカーから流れる音以外静かで、まるで厳粛な儀式のような数時間が過ぎると、そこにはユニークで魅力的な、音の建造物が立ち上がっていました。
クレジットは「制作協力:チャーハン細野」になっています。なんでチャーハンなのかは忘れました。チャーハンのように、あっという間に美味しい音楽を作ってくれたからでしょうか。
2017.06.01
YouTube / Carlx6
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