12月4日

矢沢永吉「It's Just Rock'n Roll」その先にある、まだ見ぬ新境地へ

43
3
 
 この日何の日? 
矢沢永吉のアルバム「YAZAWA It's Just Rock'n Roll」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1982年のコラム 
時代劇エイティーズ!影の軍団と伊賀忍法帖、忍者はバラードがよく似合う

あざとくて何が悪い?竹内まりやが描く河合奈保子「Invitation」の世界

すべて40年前に登場!後の時代を席捲する1982年エンタメランキングTOP10

若き日のサザンがそこにいる!羨ましいぐらいに青春してる「バラッド '77〜'82」

リリース40周年!松田聖子が歌う珠玉のクリスマスソング「金色のリボン」

ミッキーとトニー・バジル、東京ディズニーランド開演直前のヒット曲

もっとみる≫



photo:YAZAWA CLUB  

矢沢永吉が長者番付で1位を獲得した78年に刊行された矢沢永吉激論集『成りあがり』は80年代になっても、多くの不良少年の魂の導火線として、多大な影響を与え続けた。そして、ここに書かれている生き様は、彼が率いたキャロルのロックンロールと同じく、初期衝動の熱さをそのままに、センチメンタルでドリーミーだった。

キャロルは、72年、イギリスで起こったロックンロールリバイバルのムーブメントを日本に持ち込むかたちでデビューした。

革ジャン、革パン、リーゼントというグラマラスなスタイルで長髪のミュージシャンが溢れる日本の音楽業界に風穴を空けるように。

内田裕也、ミッキー・カーティスに見出されてデビューした彼らは、73年に5ヵ月連続シングルリリースなどの快挙を成し、75年4月13日の日比谷野外音楽堂のステージを最後に解散。

4と13。この最悪な数字が並ぶ日をサイコーのステージにと矢沢はベースに日本酒を吹きかけステージに登ったという。

ほぼインプロビゼーションの演奏が続く中で、最年少メンバー内海利勝のブルースフィーリング溢れる前のめりなギターは冴えまくり、キャロルもうひとつの顔、ジョニー大倉は、これまでの活動を述懐するように「もう一度踊ろよ」とロックンロールの本質である初期衝動を見せつけ、一発かました。

切なくもメロディアス。リーゼントと革ジャンというベールでは隠し切れない内面を持ち合わせたキャロル。そして、そのルックスは、反逆の象徴であったことは言うまでもない。

そんな矢沢が、ファンの前に再び姿を現したのは75年9月21日。デビューから5か月後のことである。デビュー曲は「I LOVE YOU OK」。キャロルのイメージからは大きくかけ離れた、タキシードを着てバラードを歌う矢沢の姿があった。

キャロルで終わらなかった矢沢。「キャデラックに乗って10メートル先のタバコ屋にハイライト買いにいくことが夢です」と語った矢沢。

70年代後半から80年代の不良少年にとって、なによりのバイブルだった『成りあがり』。どんな自己啓発本やビジネス書を束ねても、これに勝るものはないと僕は今でも思っている。

ファンは、美しい矢沢のメロディの中で、『成りあがり』のサクセスストーリーに思いを馳せる。

そして、矢沢は80年代、再び勝負にでる。日本人アーティスト初の武道館単独公演を成功し、長者番付1位を獲得した後も、矢沢の夢の続きは終わらなかった。

海外進出を視野に入れて、それまでの CBSソニーから、ワーナーパイオニアに移籍。この時まだ弱小だったレコード会社に移籍してゼロからのスタートを始めた。

当時の矢沢は、トレードマークであったリーゼントの姿はなく、頬に髭をたくわえていた。服装もジーンズにTシャツといったシンプルなものをよく見かけた。余計な贅肉をすべて削ぎ落し、真向から勝負に出る矢沢。その内面が精悍な顔つきに表れていた。

そんな中、82年10月9日にリリースされた「ROCKIN’ MY HEART」も衝撃だった。そこには、タキシードを着て甘いバラードを歌う矢沢の面影は微塵もなかった。

82年といえば、まだまだ、ドメスティックなニューミュージックや、花の82年組と称されたアイドルが全盛だった時代。そんな時代に海外に目を向けて、楽曲の中に取り込んでいった代表が沢田研二と矢沢永吉だろう。

沢田研二がアダム・アントやストレイキャッツなどのイギリスニューウエィブをお茶の間に持ち込み、「ストリッパー」や「晴れのちブルーボーイ」などのヒットを放つ中、矢沢はドゥービー・ブラザーズのジョン・マクフィーらをプロデューサーとして迎え、この曲が収録された海外発売向けアルバム『YAZAWA Its just ROCK’N ROLL』を発売。より骨太なアメリカンロックを取り入れた。

驚くべきところは、このアルバムの中に収録されている「ROCKIN’ MY HEART」が矢沢が手掛けた楽曲ではないということ。自分の楽曲しか歌わないという印象が強い矢沢だが、あえてソングライティングを本場のプロに任せ、新たな挑戦を試みたところに懐の深さを感じる。

躍動感あふれるキャッチーなメロディ、アメリカの生活の中で洗練され、LAの乾いた風と大陸的なスケールの大きさを感じられるこの曲は、日本のロックという小さな枠ではくくれない、新しい扉を僕らに見せつけてくれた。

そして、飽くなき挑戦を続ける矢沢の “成りあがり” 伝説は現在進行中だ。矢沢の夢の続きは、僕らの夢の続きだ。

14歳で『成りあがり』を手にしたその日から、困難が立ちはだかった時、「矢沢ならどうする?」というのが脳裏をよぎる。だから、今日も僕はカバンの中に『成りあがり』を忍ばせる。まだまだ、これからじゃないかと自分に言い聞かせるために。

そして、ロックンロールの先にある、まだ見ぬ新境地にたどり着くために。

(敬愛を込めて敬称略。これが流儀だと思う)


※2017年6月12日に掲載された記事をアップデート

2019.09.14
43
  Apple Music


  YouTube / gatchaman1201a
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1968年生まれ
本田隆
コラムリスト≫
77
1
9
7
9
黄金の6年間:ジュディ・オング「魅せられて」シルクロードブームの源流を辿る道…
カタリベ / 指南役
16
1
9
8
2
HOUND DOG「涙のBirthday」もう一度、あのシャウトを聴かせてくれ!
カタリベ / ミチュルル©︎たかはしみさお
21
1
9
8
2
子供ばんどの「サマータイム・ブルース」我が家にも暑い夏がやって来る
カタリベ / 時の旅人
48
1
9
8
0
イントロクイズで答えたい! 船山基紀が編曲を手掛けた知る人ぞ知る名曲♪
カタリベ / 藤田 太郎
52
2
0
2
3
クリエイション【竹田和夫インタビュー】③ 内田裕也が日本のロックシーンに果たした功績
カタリベ / チャッピー加藤
20
1
9
8
4
LAメタルのいぶし銀、カヴァーも達者なグレイト・ホワイト
カタリベ / DR.ENO