1985年、アポロ・シアターで叶ったダリルとジョンの夢
1985年5月23日、ホール&オーツはアポロ・シアターのステージにいた。
バンドの強烈な演奏が始まると、ダリル・ホールは興奮した声でこう叫んだ。
「いいかい、ここからがスペシャルなショーの始まりだ。最高にスペシャルなゲストを呼ぼうじゃないか。オリジナル・テンプテーションズ! ミスター・エディー・ケンドリックス!」
そして、次の曲のイントロで今度はジョン・オーツがこう叫んだ。
「アポロ・シアターではもうお馴染みだよな! 誰もが愛する声の持ち主! デヴィッド・ラフィン!」
エディ・ケンドリックスとデヴィッド・ラフィンは、偉大なソウルコーラスグループ=テンプテーションズの元メンバーである。そんな彼らとの共演は、ソウルボーイとして育ったダリルとジョンにとって、夢が叶った瞬間だったのかもしれない。
1980年代を代表するヒットメーカー、ダリル・ホール&ジョン・オーツ
ホール&オーツは、1980年代を代表するヒットメーカーだ。とりわけ1981年に「キッス・オン・マイ・リスト」が全米ナンバーワンを獲得してからの5年間は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。この間に彼らが全米トップ40に送り込んだナンバーは16曲。そのうち12曲がトップ10入りし、5曲がナンバーワンを獲得している。同じ時期に彼ら以上にヒットを連発したアーティストは皆無だ。
そんな絶頂期にホール&オーツは活動休止を発表する。解散はしないが、しばらくの間お互いのソロ活動に専念するというのだ。そして、その区切りとして2人が選んだのは、自らのルーツに立ち返ることだった。アルバム『ライヴ・アット・ジ・アポロ』は、そんな時期の2人の記録だと言える。
ルーツはソウルミュージック、お気に入りはテンプテーションズのライヴ盤
ホール&オーツのルーツといえば、ソウルミュージックに他ならない。かつてダリル・ホールは「ティーンエイジャーだった頃の僕は完全なソウルボーイで、ロックにはあまり興味がなかった」と語っている。60年代のモータウンやアトランティック、そして地元フィラデルフィアのソウルミュージシャンこそが、ダリルとジョンの憧れだった。そして、あるインタビューで好きなアルバムを訊ねられたとき、彼らはテンプテーションズの1968年のライヴ盤をあげているのだ。
アポロ・シアターはブラックミュージックの殿堂のような場所だ。そこにテンプテーションズの2人をゲストに迎える。これ以上の区切りなど考えようもない。何度聴いても痺れてしまうし、ときに涙さえ出そうになる。憧れの人のバックでコーラスをつけて歌い踊る2人のなんと楽しそうなことか! 音楽愛に溢れた最高の瞬間だ。
JFKスタジアム「ライヴ・エイド」でも披露されたスペシャルショー
そして2ヶ月後、フィラデルフィアのJFKスタジアムにおいて、このときと同じシーンが再び披露されることになる。『ライヴ・エイド』だ。きっとご覧になった方も多いのではないだろうか? 考えてみると、アルバム『ライヴ・アット・ジ・アポロ』がリリースされたのはその後なので、僕が初めて伝統的なソウルレビューを目撃したのはこのときになる。今も僕の胸を締めつけて放さないソウルミュージック。その楽しさを最初に教えてくれたのが、ホール&オーツの2人だったのだ。
それともうひとつ。アポロ・シアターにて。4曲のテンプテーションズ・メドレーの後、今度はテンプスの2人をバック・コーラスに従え、ホール&オーツはソウルフルなオリジナルナンバー「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」を演奏する。当時この曲はポール・ヤングが歌って全米ナンバーワンを記録する大ヒットとなっていた。
演奏を始める前に、ダリル・ホールがはにかみながらこんなことを言う。
「最近、イギリス人のアーティストにカヴァーされたんだけどね。これがオリジナルだよ」
と。ソウルを継承した者の誇りが感じられて、すごくかっこよかった。
THIS IS THE ORIGINAL!
※2017年3月21日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更
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2021.05.23