南こうせつは “夏フェス” の功労者
今でいう “夏フェス” の楽しさを日本人に体感させたアーティストのひとりが南こうせつだ。
そのきっかけとなったのは、今からちょうど50年前、1975年8月2日から3日にかけて行われたオールナイト野外コンサート『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』である。吉田拓郎、かぐや姫(註:この時点でかぐや姫は解散していたため、かぐや姫としてのステージだけでなくメンバーのソロステージも行われた)、そして山本コウタロー&ウィークエンドが参加したこのコンサートには60,000人以上もの人が詰めかけた。
南こうせつは、その後も積極的にコンサート活動を行っていったが、『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』のようなオールナイトコンサートを自分の故郷である九州で実現したいと、1981年7月に熊本県阿蘇郡の “卑弥呼の里” で『サマーピクニック』を開催した。ところがコンサートがスタートして間もなく激しい雷雨に見舞われ、ゲストミュージシャンもほとんどがライブを行えないまま中止となった。
しかし、このアクシデントが南こうせつに火をつけた。当初は1回限りと考えていた『サマーピクニック』だが、雷雨が上がった後、たった1人でステージに立ったこうせつは、残っていた参加者に向かって “10年続けるぞ” と宣言したのだ。そしてその後、熊本、福岡、大分など会場を変えながら宣言通り10年間のオールナイトコンサートをやり抜いた。

そんな『サマーピクニック』には、松山千春、吉田拓郎、長渕剛、井上陽水らのフォーク系アーティストだけでなく、サザンオールスターズ、アルフィー、チゃゲ&飛鳥、BOØWYなどをはじめ、ジャンルも世代も越えたアーティストが出演して会場を盛り上げた。そして、この『サマーピクニック』と並行して1980年代に南こうせつが主催した大型フェス形式のイベントが『広島ピースコンサート』だった。
「広島ピースコンサート」のきっかけはライヴ・エイド?
『広島ピースコンサート』のきっかけとなったのは1985年7月13日に世界規模で行われたアフリカの飢餓救済を目的としたライブイベント『ライヴ・エイド』である。このイベントは、アイルランドのロックバンド、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフの提唱に応えて世界中のトップアーティストが集結。12時間にわたって世界中継されたチャリティイベントだった。もちろん日本でも中継放送されるとともに、オフコース、佐野元春、矢沢永吉、LOUDNESSの演奏が世界中継された。そんな『ライヴ・エイド』中継の司会役を務めたのが誰あろう、南こうせつである。
『ライヴ・エイド』の成功によって、日本でもチャリティイベントの機運は盛り上がっていった。そして翌年、“広島でコンサートをやらないか” と南こうせつに山本コウタローから電話があったという。こうせつは以前から、広島・長崎の原爆被災をテーマにした活動をしたいと考えていたが、ほぼ同じ時期に開催される『サマーピクニック』をスタートさせていたため、スタッフにアイディアだけを伝えて準備は任せ、彼自身は『サマーピクニック』を終えた直後に広島に入り、8月5、6日に広島修道大学で行われるステージに出演するという形で1回目が行われた。
平和がいいに決まってる!
第1回の『広島ピースコンサート』は “平和がいいに決まってる!” をキャッチフレーズに、THE ALFEE、ラッツ&スター、財津和夫、さだまさし、LAUGHIN’ NOSEなどのジャンルを越えた日本のアーティストと、カーラ・ボノフ、グラハム・ナッシュ、J.D.サウザー、デヴィッド・リンドレーなどの海外アーティストが参加して大盛況で終了した。
しかし、コンサートとしての理想ばかりを追求した結果、収支的には8,000万円の大赤字となり、原爆の被災者への援助を目的とするチャリティとしては大失敗に終わり、南こうせつも含めた主催スタッフが赤字分を負担することになった。その反省から、南こうせつも本気でチャリティを成功させるためにはアーティストを総花的に出演させるのではなく、確実な動員力をもったアーティストに出演してもらう必要があると考え、直接アーティストの事務所を説得していった。
その結果、翌1987年の8月5日〜6日に広島サンプラザホールで行われた第2回『広島ピースコンサート』では、尾崎豊、HOUND DOG、安全地帯、佐野元春、THE BLUE HEARTS、久保田利伸ら多くの人気アーティストの出演もあり、7,000万円を超える寄付ができる収益を上げることができた。

山本コウタローの参院選出馬に対する反発
チャリティコンサートとして定着しそうだった『広島ピースコンサート』は、翌1989年に再び危機を迎える。コンサートの発起人でもあった山本コウタローが参議院選挙に出馬することになると、これに対して反発が起き、出演を拒否するアーティストが現れたのだ。
この事態に対し、南こうせつはプロデューサーとして責任をとるために『広島ピースコンサート』から離れるという思いを伝えた。しかし、これに対して関係者全員が “それはダメだ。こうせつがいなくなったらこの企画自体が崩壊する” と反対。その結果、南こうせつとHOUND DOGの大友康平が責任者としてイベントを続けていくことになった。
こうした事情もあって第4回の1989年から新体制で開催され、オフコース、氷室京介、忌野清志郎、泉谷しげる、徳永英明、小田和正などが出演。第10回の1995年まで収支的にも毎回寄付が計上できる形で進められている。
南こうせつとさだまさし、今なお続く平和への思い
『広島ピースコンサート』は1995年で一応終止符を打ったが、南こうせつと広島の原爆被災者との関係はそこで終わってはいない。2000年からはカトリック教会の世界平和記念聖堂に会場を移して2009年まで「平和祈念コンサート」が続けられ、収益はすべて教会に寄付。その後も毎年8月6日には大友康平らと広島原爆養護ホームで歌うという活動を続けている。まさに南こうせつのライフワークのひとつになっており、2025年現在もその活動が止むことはない。
もうひとつ、1986年の第1回『広島ピースコンサート』に出演したさだまさしの動きにも触れておきたい。さだはその後の『広島ピースコンサート』には出演していない。その代わり、翌1987年から『夏 長崎から』と題した野外コンサートを故郷の長崎でスタートさせている。このコンサートは2006年まで無料で続けられ、戦後80年を迎えた今年(2025年)、19年ぶりに復活する。
Updated article:2025/08/05
Previous article:2022/08/06
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2025.08.05