5月22日

デヴィッド・ボウイのバンド「ティン・マシーン」底まで落ちたセールスの後に…

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ティン・マシーンのファーストアルバム「ティン・マシーン」が英国でリリースされた日
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photo:Warner Music Japan  

没後5年、デヴィッド・ボウイの “再評価されない時期”


テヴィッド・ボウイが亡くなってから、早いもので5年。この間にBOXやら再発、リマスター、発掘音源などが次々とリリースされ、その度に再評価の波がうねる。その一方でまったく再評価されない時期もある。1989~91年のボウイ。そう、ソロアーティストとしてではなくバンド、ティン・マシーンとして活動していた時期だ。

1989年というと、筆者は大学4年。当時からボウイ信者ではあったが、ティン・マシーンのファーストアルバム『ティン・マシーン』を一聴して、違和感を覚えたことは否定できない。しかし、ジャケのスーツ姿の4人に不思議と共感したのは、就職活動中ゆえにリクルートスーツを着るようになったから。スーツは大人の基本だ。

ティン・マシーンの結成に、盟友イギー・ポップの刺激あり


1980年代にボウイは、『レッツ・ダンス』『トゥナイト』『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』と、コマーシャリズム寄りの派手な音作りを推し進めてきた。が、後にこれらのアルバムを発表したことを後悔するようになる。折しも、R.E.M.やピクシーズといった若いバンドが台頭し、カレッジチャートを席巻。シンプルだが力強い彼らのサウンドにボウイは大いに触発された。

奇しくも1988年、ボウイの盟友イギー・ポップはシンプルなハードロックに回帰したアルバム『インスティンクト』を発表して、ギタリスト、ベーシスト、ドラマーの3人のみを従えたライブを敢行。これもボウイには刺激になったのだろう。これまでの路線から脱却すべく、バンドを結成。ギターのリーヴス・ガブレルスと出会ったのを契機に、イギーとの仕事が縁で知り合ったベースのトニー・セイルス、ドラマー、ハント・セイルスの兄弟を迎え、ティン・マシーンは結成される。

アルバム「ティン・マシーン」に詰まった面白さとは?


1989年の日本はバブルのピークに向かってまっしぐらの時期…… と聞けば、就職も楽だろうと思われるかもだが、着なれないスーツをまとってぎこちなく就活していた筆者には悪戦苦闘以外の何物でもなかった。上からモノを言ってくる学校の就職課の職員にイラっと来て口論して以来、スーツを着ることはなくなった。ティン・マシーンのメンバーにはなれそうもない。

面白いことに、この頃から、最初は違和感を抱いた『ティン・マシーン』がかっこよく聴こえ始めた。そもそも “違和感” はどこからきたかというと、何より、非常に騒々しいこと。ボウイのボーカルがギターの轟音に埋没してしまうようなカオス。かといって、R.E.M.やピクシーズと似ているわけでもなく、エコーがギンギンに効いている。

しかし、何度も聴いていると『ジギー・スターダスト』の頃のグラム臭も漂ってくる。ハードロックと思ったら、一方ではパンクのような曲もある。ジョン・レノン「労働階級の英雄(Working Class Hero)」のブルージーなカバーも聴き返すほどシミてきた。ガブレルスのギターのリフもイカすし、リズム隊のタイトな感じもイイ。とにかく、このアルバムにはロックンロールのフリースタイルの面白さが詰まっていた。

ソロアーティストとして、ティン・マシーンとして来日公演


翌1990年、ボウイはソロアーティストとしての活動を総括して過去を葬り去るべく『サウンド&ビジョン』ツアーを敢行。東京ドームでの来日公演も開催されたが、就活に失敗して、さてどうしたものか…… と暗中模索していた自分は行けなかった。過去の名曲が次々と繰り出されたこのときのライブを見逃したことは、正直後悔している。
 
1991年、ボウイはティン・マシーンの活動に戻り、セカンドアルバム『ティン・マシーンⅡ』を発表。やはり騒々しくて、とっちらかった感じのテイストが気に入り愛聴した。翌年早々、バンドは来日公演を果たし、テレビに出演もしていた。当時の日本はバブル崩壊の真っ只中だったが、自分はなんとか出版社で契約社員となり、忙しさゆえにこの公演も見逃してしまう。これまた後悔。

エッジが効いていてグッとくる、ティン・マシーンも再評価されるべき!


単純にセールスだけで見ると、ボウイのピークは『レッツ・ダンス』で、以降は下がり続けて、ティン・マシーンでは落ちるところまで落ちていた。しかし、この思い切った冒険があったからこそ、90年代のボウイは野心的な作品を次々と生み出すことができたのではないだろうか。

ちなみにギターのガブレルスは今やザ・キュアーの正式メンバー。加入からすでに9年、世界中でライブ活動を行なっているが、まだ新譜はリリースしていない。ガブレルスのギターを刻んだ、キュアーの新しい楽曲が待たれる。

スーツを着ない社会人となって早いもので30年以上が経過したが、ティン・マシーンを聴くとそんな社会人初期のフリースタイル追求の記憶が甦ってくる。ボウイの迷期と揶揄されることもあるティン・マシーンだが、今聴いてもエッジが効いていてグッとくる。そろそろ再評価されてもいいのではないだろうか?



2021.01.10
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  David Bowie


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カタリベ
1966年生まれ
ソウママナブ
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