12月

スーパーボウルはヒップホップがお好き? シカゴベアーズが歌ったラップナンバー

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シカゴ・ベアーズのシングル「スーパーボウル・シャッフル」が米国でリリースされた月
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年に一度のスポーツの祭典、スーパーボウルの楽しみ方と注目ポイント


私の職場がある六本木では毎年2月上旬の週明け月曜、朝の雰囲気がいつもとちょっと違うことがある

―― スーパーボウルの開催日だ。

場所柄スポーツバーも少なくないから、店の前を通りかかると時折その時間帯に似つかわしくない歓声が聞こえてくる。こちらはこれから仕事だというのに、アメリカ本国は日曜のゴールデンタイムの真っただ中なのだから無理もない。

多くのアメリカ人にとって “スーパーボウルサンデー” は世界中どこにいようときっと特別な日に違いないのだ。いつか自分も贔屓のチームがスーパーボウルに進出した暁には、休みでも取って、ハンバーガーとビールで月曜の朝を迎えてみたいものだと思う。

開催地はフロリダやルイジアナ、テキサスに集中?


今年のスーパーボウルの対戦カードはシンシナティ・ベンガルズ対ロサンゼルス・ラムズ。開催地はラムズの本拠地であるロサンゼルスとなっているが、実は今年はAFC側のホームゲームとして実施されることが決まっており、NFC王者であるラムズはホームスタジアムでありながら、ビジター側としてプレーするという妙なねじれが生じている。

これはスタジアム建設が遅れ、昨年フロリダ州タンパと開催地を入れ替えたことが理由なのだが、そもそも開催地をホームとするチームがファイナルまで勝ち上がることはかなり珍しく、これも昨年開催したタンパを本拠地とするタンパベイ・バッカニアーズが初めてだったとのこと。

これも何かの巡りあわせなのだろう。開催地は4年も前に各地の持ち回りで行われるよう決まっている。年に一度のスポーツの祭典を地域経済の活性化に生かそうという発想はいかにもアメリカらしい。ただ実際は季節柄気候が温暖なフロリダやルイジアナ、テキサスなどが好まれるようで、どうしてもアメリカ北部東海岸や西海岸の大都市にフランチャイズを構えるチームが多いNFLではどうしても確率論的にこの付近をホームとするチームが勝ち進むとは限らない。そもそもこういったジンクスが生まれやすい背景はあるのだ。

気になる国歌斉唱とハーフタイムショーのキャスティング


ところで、スーパーボウルで音楽絡みの話題といえば “ナショナルアンセム” 国歌斉唱とハーフタイムショーのキャスティングだったりする。ハーフタイムショーに関してはNFLが目玉として力を入れ始めたのは90年代に入ってからで、ここで扱うにはネタが最近過ぎる(?)気がする。これはハーフタイムがトイレ休憩となるため、利用者を分散させたい水道局対策という話もあるが、要は視聴者をテレビの前につなぎとめて、CMの広告価値を上げようという主催者の企てだったのだ。

国歌斉唱はその年の顔であったり、開催地にゆかりの人物であったり、様々な理由はあれど、少なくとも歌唱力が高くないと誰であっても相応しくないものだ。中でも湾岸戦争の戦時下で行われた1991年のホイットニー・ヒューストンの歌唱は当時の国威高揚も相まって今でも語り草となっている。

単に歌唱だけに注目するのであれば、もっと素晴らしいものもあったかも知れない。だがあれを上回るものはなかったと思う人は私だけではないだろう。社会的な背景、歌唱スタイルや演出、そしてゲームの内容。すべてが揃ってこそ劇的な効果が生まれ、伝説となって残るものだと思う。1991年がまさにそれであった。

ホイットニーの歌いっぷりはまるで子供が唄うように気負いがなく、それでいて堂々としたものだった。おそらく後の歌い手… 例えばジェニファー・ハドソンやビヨンセ、レディ・ガガ達ですら、それを超えようと息巻くほどリスナーの期待値から離れていく、と私はそう思っている。

伝説として語り継がれる1991年のスーパーボウル


そして特筆すべきはそのゲーム内容だ。この年の勝者はニューヨーク・ジャイアンツ。シーズン半ばでエースQB(クォーターバック)をケガで欠きながら、史上屈指ともいえる強力なディフェンス陣を軸にして辛くもファイナルまで上り詰めた。だが序盤は前評判に勝るバッファロー・ビルズが終始先行するシーズンさながらの苦しい展開。

ジャイアンツは僅差で食らい付きながら第4Q(クォーター)の最終シリーズを迎える。攻撃中何度も4thダウンのピンチを切り抜け、ボールコントロールオフェンスでじわじわと陣地を奪回し、終了間際のフィールドゴールでわずか1点差の逆転勝利を収めるという、まるでスポ根マンガを地で行くようなストーリーが描かれたのである。

アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNの人気投票では今でもスーパーボウル史上最高のゲームとして挙げる人も少なくない。1991年のスーパーボウルには全てが揃っていた。そしてやはりスポーツの祭典において、伝説の主役は何といっても選手たちであるべきだと思うのだ。

前代未聞!? 現役プレーヤーによる公式ラップパフォーマンス


かつてはゲームの主役たるその選手たち自らがエンターテインメントしてしまった場合もあった。

―― 1985年シーズンのNFCチャンピオンとしてスーパーボウル進出を果たしたシカゴ・ベアーズである。

この年ベアーズは、先のジャイアンツ同様に圧倒的なディフェンス力を発揮して、レギュラーシーズンを15勝1敗という圧倒的な強さで制すると、プレーオフの2試合を何といずれも完封して勝ち上がってしまう。シーズンを全勝で終えた例はそれまで1972年のマイアミ・ドルフィンズのみ。

ベアーズの全勝を阻止したのはそのドルフィンズであったのだが、このゲームではエースQBをケガで欠くという事情があった。ディフェンスにはMVPとなるTE(タイトエンド)リチャード・デントとDT(ディフェンシブタックル)に冷蔵庫男ことウィリアム・ペリー、MLB(ミドルラインバッカー)にもマイク・シングレタリーというタレントが揃い、オフェンスにはNFLマン・オブ・ザ・イヤーにその名を遺す名RB(ランニングバック)のウォルター・ペイトン、そしてWR(ワイドレシーバー)には1983年、かのカール・ルイスと共に世界陸上で400mリレーの金メダリストとなったウィリー・ゴールトを配するスター軍団を、今なおNFL史上最強チームとして推す声も多い。

「スーパーボウル・シャッフル」で沸いたシカゴの街


そして1985年といえば、海のこちら側では阪神タイガースの日本一で大阪の街が “六甲おろし” の大合唱で溢れかえっていた頃。同じくアメリカ第2の都市シカゴの街も大いに沸いていたというわけだ。その狂騒曲の象徴こそがチームメンバー自らがマイクを握ったラップナンバー「スーパーボウル・シャッフル」である。

この楽曲がレコーディングされたのは12月3日。もちろんスーパー出場がまだ決まっていたわけではない。しかもシーズン唯一の黒星を喫した翌日で、下手をすると「調子に乗りすぎ!」との批判にさらされかねない最悪のタイミングである。実際収録に難色を示した選手もあったが、結局彼らは前向きに自らのマインド向上に取り組む選択をする。

そのリリックは時折ユーモアを交えながらも自慢一色!言うなれば「… 俺たちゃベアーズ、稲妻のように速く、機関車のように強い。このままスーパーまで駆け上がるぜ!皆、束になってかかって来い…」的な、もちろん訳は違うが、概ねこんな内容と思って間違いない。読者諸兄であれば、かの『魔法使いサリー』のエンディングテーマ「♪俺たちわんぱくトリオだぞっ~」をイメージしてくれればよいだろう。

確かに笑ってしまうほど強かったのも事実で、そんな批判をも一蹴し、本当に残りのゲームを完勝して年明けのポストシーズンへなだれ込んでいったのである。

1985年のシカゴ・ベアーズ、快進撃の根底にあった “反逆者マインド”


そのイメージリーダーとなっていたのは “悪童” と異名をとったエースQBのジム・マクマーンである。とにかく道理に合わないとか筋が通らないことを嫌い、事あるごとにヘッドコーチやオーナー、挙句の果てにコミッショナーにまで盾突く言動を行ってファンの喝采を浴び続けた選手であった。

そのプレースタイルは大胆不敵。ピンポイントでラインの隙間を見つけては強烈な縦パスを放つことを好み、敵ディフェンスに対しても、決して怯まず、時折ボールキャリアとなって身を挺してのダイブも厭わない… 胸のすくようなプレーぶりにファンからの支持も厚かったが、一方でケガも絶えなかった。

なるべく無事にシーズンを戦ってもらいたいコーチ陣からはスタイルを改めるよう、再三にわたって忠告されるも受け容れず、鍼灸師の帯同や治療法をめぐり、しばしばチームや連盟側と衝突していたという背景があったのである。

スポーツとの相性もバッチリ! ストリートから出てきた反逆児RUN DMC


80年代半ばといえばRUN DMCがメジャーシーンに登場。ヒップホップがストリートから表舞台へ躍り出て大きく変わろうとしていた。下流のアングラなイメージから脱却して中流階級へと広まり、ファッションとも強く結びついていった。表現スタイルもニューエラのキャップやアディダスのスニーカーを一種のアイコンとして用いていたから、スポーツとは相性も良かったのだろう。

NFLのプレーヤーといえばスポーツマンの中でもエリート中のエリートであるが、ストリートから出てきた反逆児のイメージは、時代感的に見事にハマったとも言える。

「スーパーボウル・シャッフル」はベアーズがスーパーボウルを制すると、ビルボードチャートで41位まで上昇するヒットとなり、1987年のグラミー賞R&B部門にもノミネートされた。ちなみに同年同部門にはRUN DMC「レイジング・ヘル」がノミネートされている。

また驚くべきはその完成度でもある。ギターにドラムス、キーボードにサックスにいたるまで、すべてスタンドイン無し、プレーヤー本人たちによるもので、そのパフォーマーとしてのポテンシャルには舌を巻かざるを得ない。

多芸多才の在り方に見るアメリカと日本の “二刀流” 観の違い


考えてみればNFLのシーズンは4か月程度と他のスポーツに比べると短い。もちろん選ばれたものとして、世間からはシーズン以外でも社会的責任を果たすことが求められるが、長いオフを生かして芸事に励むこともあるかもしれない。元より成功者はオンとオフを大切にし、あわよくばその能力をふんだんに生かして、アメリカ流の二刀流に取り組もうという選手もいることだろう。中にはNFLとMLBの両方に所属し、スーパーボウルとワールドシリーズの両方に出場した記録を持つ選手さえ存在する。

NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンが一時シカゴ・ブルズを離れ、MLBにチャレンジしたことを記憶されている方も多いことだろう。アメリカの子供たちは家庭でも学校でも複数のスポーツに取り組むことが是とされる。日本では幼少期はそうでも、有望な子供たちほど早いうちに選択を求められる傾向がある。自分の持つ能力を生かして様々なことにチャレンジするのがアメリカ流で、夏と冬で別のことに取り組むそれをスポーツの二期作とするなら、ひょっとするとエースで4番、同じ種目でも異なる能力を生かしてこなす二毛作が日本流、大谷翔平クンの二刀流なのかも知れない…。

だからこそ双方に異質の驚きをもって彼らの挑戦に胸を躍らせるのだろう。折しも東京から北京の空へと飛翔を果たしたスノーボードの平野歩夢選手の金メダルの快挙を眺めながら、ふとそんなことを考えた。

かの「スーパーボウル・シャッフル」から36年、今年のスーパーボウルのハーフタイムショーでは、ケンドリック・ラマーをはじめヒップホップ界のスーパースターが一堂に会すことが明らかになっており、サブカルチャー的であった当時からすれば、まさに隔世の感があるが、今ではそれもまた今年のスーパーボウルの楽しみとなっている。

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2022.02.14
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