共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol. 44
Material Girl / Madonna
80年代が生んだスーパースターといえば、プリンス、ホイットニー・ヒューストン、そしてマドンナ… この3人に異論をはさむ人はほぼいないだろう(マイケル・ジャクソンは70年代からのスター)。
特にホイットニーがブレイクした85年以降、マドンナとの高い次元でのトップディーヴァ争いは、見応え充分な華々しいものだった。80年代だけでもこの二人が残した全米ナンバー1シングルはそれぞれ7曲を数え、マイケル・ジャクソンの9曲に次ぐ。ヒットソングの多さでは12曲のホイットニーに対して20曲のマドンナに分があり、下積み時代を経た叩き上げシンガーが、鳴り物入りのサラブレッドへの意地を見せた形になっている。
77年からニューヨークでの下積み時代を経て、82年に歌手デビューを果たしたマドンナだが、当初はアンダーグラウンドなダンスミュージック界での活躍に留まっていた。83年、奇才ジェリービーンがプロデュースしたフロアアンセム「ホリデイ」がナショナルヒットして以降、「ラッキー・スター」、「ボーダーライン」(84年)が立て続けにトップ10ヒットとなり、ファーストアルバム『バーニング・アップ(Madonna)』はアメリカだけで400万枚のセールスを記録、スターダムへと登りつめる。
“次の作品で一気呵成のスーパースターになるのでは” という雰囲気が充満した中、84年11月に投下されたのがシングル「ライク・ア・ヴァージン」(84~85年6週1位)、そしてシングルと同名のセカンドアルバムだった。マドンナにとって初の頂上制覇作品にしてメガヒットとなった「ライク・ア・ヴァージン」は、結果80年代を代表するヒットソングになっている(共有感は限りなく100%に近い!)。
世間の期待に見事応えたマドンナも天晴れだが、重圧をはねのけて極上のダンサブルポップなマスターピースを作り上げたプロデューサー、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ(シック)の手腕も評価されて然るべきだろう。
上述の通りマドンナにとって大ブレイクのきっかけになった楽曲が「ライク・ア・ヴァージン」になるわけだが、メガヒットシングルの次の作品こそが、その後スーパースターの道を歩むか否かを決定づける試金石になるのは、ポップミュージックの歴史上よくあること。まさしくその作品が、80年代42番目に誕生したナンバー2ソング「マテリアル・ガール(Material Girl)」(85年3月2週2位)だった。
「ライク・ア・ヴァージン」に負けず劣らず、ポップでコケティッシュな魅力に溢れた「マテリアル・ガール」は、マドンナのパブリックイメージを設定する役割を果たした側面もあったりして、結果として見事な連続メガヒット輩出となっている。
後年に放たれた80年代6曲のナンバー1ソングにも匹敵する共有感を誇るのが「マテリアル・ガール」であり、同曲は、その直後にリリースされる初のバラードにして2曲目の全米制覇曲「クレイジー・フォー・ユー」と共に(映画『ビジョン・クエスト 青春の賭け』にサントラ収録、このタイミングでのバラードは絶妙!)、マドンナ “スーパースター化” への重要な布石となったのだ。
レベッカ「ラブ イズ Cash」に影響を与えただけではない!?
Billboard Charts
■Holiday(1984年 16位)
■Borderline(1984年 10位)
■Lucky Star(1984年 4位)
■Like A Virgin(1984~85年 6週1位)
■Material Girl(1985年3月 2週2位)
■Crazy For You(1985年 1位)
※2018年1月4日に掲載された記事をアップデート
2019.01.23
YouTube / madonna
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