確か1985年の初夏の頃だったと思う。いつものようにタワーレコード渋谷店(宇田川町)に寄ると、見たことのない黒人女性のジャケットのアルバムが大量に並べられていた。
その時は「やたらとスタイルの良いネエちゃん」という印象だけがインプットされ、しばらくすると、音楽仲間の間で「最近デビューしたディオンヌ・ワーウィックの姪っ子が凄いらしい」という噂が流れてきた。
ディオンヌ・ワーウィックとは「ウィ・アー・ザ・ワールド」にも参加している黒人女性シンガー。
「小さな願い」「哀愁の花びら」など、20世紀最大の作曲家と言われるバート・バカラックの作品でヒットを連発した後、スピナーズと共演した「愛のめぐり逢い」で初の全米No.1を獲得。その後も「涙の別れ道」や「ハートブレイカー」をヒットさせた。
つまり、それなりに大物だ。
そこでようやく繋がった。この間のスタイルの良い黒人女性がディオンヌ・ワーウィックの姪っ子だったということに(後に姪ではなく従姉妹だということが判明)。そして、これがホイットニーのデビューアルバム『ホイットニー・ヒューストン』だった。
僕はアルバムを購入し、レコードに針を落とした。すると、スタイルの良さとか、七光り的なバックグラウンドとか、そういった先入観はすぐに消えて無くなった。それだけクオリティが高かったのだ。
10代半ばで既に高い評価を受けていた彼女は、万全なデビューを飾るべく5年もの間レッスンに励んでいたと言われている。実際、このアルバムはいきなり爆発的人気を獲得し、リリース翌年の86年にビルボードで合計14週に渡って1位を記録した。
また、収録曲のうち「すべてをあなたに」「恋は手さぐり」「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」の3曲が全米No.1を獲得。この時点で、従姉妹であるディオンヌ・ワーウィックをセールス面で追い越してしまったことになる。
ところで、このデビューアルバム。日本では『そよ風の贈りもの』という邦題が付けられて発売されたが、ジャケット写真は原版で裏面に掲載されたものが表に持ってこられ、曲順も変えられていた。一体何のためにそうしたのだろう???
脚注:
■ Dionne Warwick
「小さな願い」(67年12月9日4位)
「哀愁の花びら」(68年2月24日2位)
「愛のめぐり逢い」(74年10月26日1位)
「涙の別れ道」(79年10月20日5位)
「ハートブレイカー」(83年1月15日10位)
■ Whitney Houston
「すべてをあなたに」(85年10月26日1位)
「恋は手さぐり」(86年2月15日1位)
「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」(86年5月17日1位)
2016.05.09
YouTube / whitneyhoustonVEVO
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