6月16日

ファルコが歌う「ロック・ミー・アマデウス」モーツァルトはパンクだった!

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モーツァルトの生涯を破天荒に語った「ロック・ミー・アマデウス」


おそらく僕が初めて聴いたラップミュージックは、アフター・ザ・ファイヤーが1983年にヒットさせた「秘密警察(Der Kommissar)」だと思う。まだラップという言葉さえ知らなかったが、エレポップなリズムに合わせてトーキングスタイルに歌われるこの曲は、当時やけに新鮮に響いたものだった。

ホテルのラウンジを舞台にスパイと思われる女性が登場するミュージックビデオも秀逸で、今でもときどき口ずさんでしまう。

実はこの曲がオーストリアのアーティストのカヴァーだと知ったのは、2年後に作者自身の曲がアメリカで大ヒットしたことがきっかけだった。神童と呼ばれたクラシックの作曲家、モーツァルトの生涯を破天荒に語り尽くしたその曲を聴いたとき、僕の心臓はバクバクと音を立てた。

 彼はパンクだった
 大都会に住んでいた
 ウィーン、そうウィーンだ
 彼はそこでやりたい放題
 借金まみれの酒浸り
 でも、女たちは彼を愛した
 そして口々に叫ぶんだ
 こっちに来てよ、あたしをロックさせてよ
 アマデウス

ファルコの「ロック・ミー・アマデウス」。アマデウスとは、モーツァルトのミドルネームである(本名=ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)。前年、ブロードウェイの舞台を映画化した『アマデウス』が大ヒットし、世間はちょっとしたモーツァルトブームに沸いていた。しかも、この映画が翌年のアカデミー賞で作品賞を含む8部門を独占したことで、ブームはさらに拡大。「ロック・ミー・アマデウス」は、こうした世相にも見事にはまったわけだ。

ドイツ語と英語が交じり合うラップ、アメリカのヒップホップとはまるで別物!


この曲にはいくつかのヴァージョン違いが存在する。僕が一番好きなのは、12インチシングルで発売されたものだ。このヴァージョンをエディットしたものがミュージックビデオにも使用されたので、耳にしたことのある人も多いと思う。映像には映画『アマデウス』のシーンがふんだんに使われている。

とにかくユニークな曲だった。ドラムの音が鳴り、女性コーラスがそこに被さる。ギターとファルコのラップによるイントロダクション。やまびこのような「アマデウス!」の合唱の後、奇声を合図にどこまでも登り詰めていくようなリフがスタートする。この瞬間の高揚感は格別だ。

ドイツ語と英語が交じり合うファルコのラップは、キザで、冗談めいていて、世間をあざ笑うかのような不遜さが伝わってくる。このプライドの高さ、倒錯したユーモア感覚が、実にヨーロッパ的だ。同じラップを特徴にもつアメリカのヒップホップとはまるで別物と言える。

その後、ファルコが歌う「秘密警察」のオリジナルヴァージョンや、「ロック・ミー・アマデウス」の別ヴァージョンを聴いたことで、僕はファルコというアーティストの独特な個性と、人の目を惹きつけずにおかないスター性に気づくことになる。

けれども、そこまでだった。「ロック・ミー・アマデウス」の大ヒット以降、ファルコの名前を聞く機会はほとんどなくなり、僕も彼のことを次第に忘れていった。今でもファルコといえば「ロック・ミー・アマデウス」。それ以外のことは何も思い浮かばない。

母国オーストリアでは大スター、ファルコは一発屋じゃない!


1998年2月、ひとりのアーティストの訃報が届いた。亡くなったのはヨハン・ヘルツェル。それがファルコの本名だった。死因は交通事故。享年40。

その死をきっかけに、僕はファルコが母国オーストリアで押しも押されもせぬ大スターであることを知った。生前にリリースされたアルバムはすべてチャートの上位にランクインし、死後は伝記映画が作られ、銅像まで建てられた。今も彼の曲は多くの人に愛されているという。「ロック・ミー・アマデウス」しか思い浮かばないなんて…。僕も随分と失礼なことを言ったものだ。

「ロック・ミー・アマデウス」を初めて聴いたときのことを思い出す。ゾクゾクして、すごく新鮮だった。でも、ファルコにしてみれば、あれは軽いジョークだったのかもしれない。自国の英雄であるモーツァルトへの敬意とユーモアを込めて書いた曲が、うまく時代の波に乗って予想以上に売れたけれど。今となっては、そんな気もするのだ。


※2018年2月8日に掲載された記事をアップデート

2020.06.16
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カタリベ
1970年生まれ
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