9月3日

ジョージ・マイケルが生み出した傑作!音楽的才能と課題解決能力の最大公約数

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ジョージ・マイケルのアルバム「リッスン・ウィズアウト・プレジュディス Vol.1」が英国でリリースされた日
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photo:georgemichael.com  

アーティストにもビジネススキルは必要?


こんにちは。49歳、中間管理職です。私にも若手~中堅層の部下が4人おり、皆、優秀で仕事熱心。私が彼らと同世代だった頃のいい加減さを思い出すと、恥ずかしくなる。よく分からないけど、ごめんなさいと謝らせていただきたい。

そんな私の大切な仕事のひとつが、部下のマネジメントをすること。とりわけ、若手を育成し、組織としてのパワーアップを図っていくことが重要視されている。

こうした状況において、私が注力している人材育成は “課題解決能力” のある人材を育てることだ。現状を的確に把握し、その中から課題を抽出し、解決するための具体的な方策を考え、実行していく人材。こうした人材だらけの組織なら、仕事もスムーズに進むはず。課題解決能力は間違いなくビジネスパーソンに求められる必要不可欠なスキルなのだ。ちなみに私の部下4人は、私の期待以上に順調にスキルアップしており、私の上司(部長)からも彼らの成長は高く評価されている。

さて、リマインダーで取り上げられるミュージシャンはビジネスパーソン型の人間というよりは、音楽的才能と閃きによって素晴しい作品を生み出す芸術家肌の人がほとんどだろう。溢れる才能やアイデアを整理・分析し、有効に機能させることで、作品の質をさらに高め、より大きな成功を手に入れることも可能になるだろう。そう考えるとアーティストにも、ビジネススキルは必要なのではないだろうか。

課題解決事例1:音楽性の充実によるアイドル色の払拭


前置きが長くなってしまったが、ここからが本題。本稿の主題は、1963年6月25日に誕生し、健在なら58歳となるジョージ・マイケルだ(2016年12月25日に帰らぬ人となったが…)。彼の音楽活動を見ていると、その課題解決能力の高さによって短期間で作品の質を高め、自分が求めるアーティスト像を手に入れてきたように感じられる。

ワム! としてデビューした時、大人から押し付けられる責任や良識に対して、「そんなつまらないもの、俺たちには関係ねーよ!俺たちはやりたいようにやるだけさ!」というアティチュードを提示し、若者から圧倒的な支持を集めた。その結果、彼らはデビューアルバム『ファンタスティック』(1983年)で一躍トップアイドルの地位を手に入れたのだ。

しかし、ジョージは、アイドルを目指していたわけではない。大人の良識に縛られない価値観の提示という戦略は見事に成功したものの、アイドル人気の爆発は彼にしてみれば予想外の展開であり、むしろ誤算だったのではないだろうか?

アイドル扱いされる状況を改善すべく、ワム! はセカンドアルバム『メイク・イット・ビッグ』(1984年)でモータウンの一連のヒット曲をモチーフにしたナンバーを作り、アイズレー・ブラザーズをカバーし、音楽巧者的側面を強くアピールした。

この戦略により、ファーストアルバムの頃にささやかれていた音楽制作における影武者疑惑も晴れ、ジョージの音楽的才能を疑う声はなくなっていった。しかし、音楽的実力も兼ね備えたスーパーアイドルとしての地位はさらに強固なものとなったのだ。

音楽性の充実により、アイドル色の払拭を目指したジョージだが、彼が考える以上にワム! のアイドル性は巨大なものになっていた。ワム! の音楽はジョージそのものなのに、アイドルとしてのワム! は彼のコントロールが及ばないほど巨大なものになっていたのだ。こうした状況がワム! の解散を決意させる原因のひとつだったのではないだろうか?

課題解決事例2:ワム!の解散によるソロキャリア育成


ワム! の解散表明後、ラストアルバム『エッジ・オブ・ヘブン(Music from the Edge of Heaven)』(1986年)がリリースされる。この時点で制作されていた楽曲に加え、ジョージのソロ名義での曲、ライブ音源など寄せ集めて、やっつけ仕事のように作られた内容からも、ジョージの興味はワム! からソロへと向かっていたことは一目瞭然だ。ソロとして、アイドルではなく一人のアーティストとしてのキャリアを手に入れることがジョージの喫緊の課題となっていたのだろう。

そして、満を持してソロデビューアルバム『フェイス』(1987年)がリリースされる。この作品では、よくぞここまで様々なタイプの楽曲を揃え、しかも高いクオリティをキープできたものだと素人ながらに脱帽するほどに傑曲ぞろいのアルバムだ。また、アレンジについてもゴージャスなのに80年代特有の装飾過剰でダサくなるところが一切ない。すでにリリースから34年になろうとする現在の耳で聴いても超一級品のポップミュージックであり、タイムレスな名盤と言えるだろう。

セールス面では全世界で2500万枚以上を売り上げ、ビルボード誌の年間アルバムチャートでも1位を獲得。グラミー賞では、アルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得している。

この頃のジョージは、無精髭で素肌に革ジャンというワイルドなファッションに身を包み、アイドル的なイメージを払拭しようとする意図が強く感じられる。しかし、『フェイス』での巨大な成功は、彼をアイドルという範疇を越えた、時代を象徴するスーパースターへと君臨させることになったのだ。

課題解決事例3:実力派アーティストとしての意思表示


『フェイス』に続くセカンドアルバム『リッスン・ウィズアウト・プレジュディスvol.1』(1990年)がリリースされる。セカンドアルバムで、ジョージは大成功した『フェイス』での必勝パターンを捨て、シンガーソングライターとしての作品づくりに取り組んだ。

前作に比べて派手さには欠けるものの、楽曲のクオリティはとても高く、アレンジも堅実で、聴き込めば聴き込むほどに魅力を増す所謂 “するめアルバム” を作り上げた。アルバムタイトルは “偏見を捨てて聴いてくれ” という意味であり、歌われている内容も、自己の内面を見つめたものや社会情勢に対する意思表示が含まれ、メッセージ性を持つシンガーとしての一面も感じられる。

そして何よりも、単なるヒットメイカーでは終らない真のアーティストとしての魅力と、ソングライターとしての絶好調ぶりを余すところなく伝える大傑作であり、私個人の意見としては、ワム! 時代も含めたジョージ・マイケル作品の最高傑作と断言させて頂きたい。

本作においてジョージは、スーパースターとしての地位よりも、実力派アーティストであることを世間に知らしめることを課題として掲げ、表現者として充実した作品を作ることで、見事に課題を解決させたのだ。

課題解決事例4:人生の難局を乗り越えるための…


全世界で800万枚のセールスを上げた本作ではあるが、『フェイス』の実績を下回る結果となってしまう。このセールス実績に対し、当時の所属レーベルのCEOは、本作を失敗作と酷評しており、これに憤慨したジョージはレーベルとの法廷闘争へと打って出る。

また、私生活においては、本作リリースの翌年、ブラジル人男性と出会い、交際をスタートさせる。しかし、交際を始めて間もなく、恋人はHIV合併症により亡くなっている。この恋人アンセルモはジョージの生涯で最愛の恋人だったことはよく知られており、ジョージは心に大きな傷を負うことになる。さらに、1998年には公衆トイレでの公然わいせつ行為による現行犯逮捕やゲイであることのカミングアウト、深刻なドラッグへの依存など、音楽とは別のゴシップネタで話題になることが多くなってくる。

ソロになってからのサードアルバム以降の『オールダー』(1996年)や『ペイシェンス』(2004年)は、恋人の死やゴシップにより傷ついた心を癒すことを目的としたような物悲しい作品になっており、残念ながら、それまでの音楽の力で自らのキャリアを切り拓いていくようなダイナミズムが感じられない作品になってしまった。

しかし、ジョージにとっては音楽による自己セラピーとしての機能を備えた作品であり、彼の人生における難しい局面を乗り越える糧となっていたのではないだろうか?

ジョージ・マイケルから学ぶ課題解決能力とその弊害


アーティストとしての評価、商業的な大成功… ミュージシャンとして考えられる成功の頂点に達したジョージ・マイケル。特にソロになってからのセカンドアルバム『リッスン・ウィズアウト・プレジュディスvol.1』までのキャリアにおいては、自己の置かれた状況を的確に把握し、そこから課題を見つけ、その解決方策を実行し、ことごとく高い成果を生み出してきた。

彼は、ひとつの課題を解決すると、次の課題を見つけ出し、その解決に全力で取り組むことで、さらに高い次元の表現を手に入れてきた。こうした課題解決の上昇ループを音楽で実践してきたアーティストなのだ。しかし、こうした音楽制作の方法は、大きなプレッシャーを伴うはずで、彼を消耗させていったのではないだろうか?

こうした状況に追い打ちをかけるようにレーベルとの法廷闘争や私生活での苦悩、スキャンダルが相次ぎ、消耗の度合いはさらに増していったことは容易く想像できる。絶対的なスーパースターであるジョージ・マイケルも、我々と同じひとりの弱い人間だったのだ。

もし、彼が存命なら90年代半ば以降の人生の難局を乗り越えた先に素晴しい作品を作ってくれたかもしれない。そう思うととても残念ではあるのだが、彼の残した素晴しい作品は、これからも決して色褪せることはなく、今を生きる私たちへ無理なく自分をブラッシュアップさせ、人生を切り開いていくことの大切さを教えてくれている。


追記
私、岡田浩史は、クラブイベント「fun friday!!」(吉祥寺 伊千兵衛ダイニング)でDJとしても活動しています。インフォメーションは私のプロフィールページで紹介しますので、併せてご覧いただき、ぜひご参加ください。


※2020年12月25日に掲載された記事をアップデート


2021.06.25
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カタリベ
1972年生まれ
岡田 ヒロシ
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