2016年のクリスマス、ジョージ・マイケルが主の御許へと旅立ってしまった。この「リマインダー」にも哀悼の言葉が並んでいることだろう。
もちろんジョージ・マイケルといえば『ラスト・クリスマス』であり、「ワム!」であり、80年代に彗星のように登場しポップスターの頂点を極めたことは、もはやここでは触れない。
エイティーズのアイコンになった彼が90年代の幕開けに放ったまさかのタイトルのアルバムが『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1』である。
『聴け。偏見を捨てよ』とんでもない題名だ。前作『FAITH』で、この人は単なるアイドルではない、と誰もが知ったのだが、『FAITH』は彼のポップな顔とアーティスティックな側面がバランスし、全世界で2,500万枚も売れた。
だが、このアルバムで彼はジャケットにすら自分の肖像を使わせなかった。写真は、ウィージーという愛称で知られるアーサー・フェリグの、ニューヨークのコニーアイランドの海水浴場に集う人たちの古い作品だ。ウィージーは社会問題を捉え続けた写真家だ。なぜこんな写真がジャケットなのか、誰にもわからない。すべてにおいて先入観なしで聴いてもらいたい、そんな姿勢がここにも現れている。
結果、アルバムで大儲けする目論見が外れたレコード会社と彼は、長年にわたる裁判に突入する。この事実こそが、彼がこのアルバムを世に問うた意味を象徴している。
「偏見なく聴け」と問われるいきなりの一曲目『Praying For Time』。彼は歌う。YouTubeにもアップされ、もっとも再生されたのは「歌詞のみ」のビデオだ。ぜひ読んでほしい。
貧しき人と すべてを買える人間の時代
富める者は自らを貧しいと言い張り
どれだけ物を持っても それが必要なのかさえわからない
神は裁くことを諦め 裏口から出て行ってしまった
愛することはむずかしく 憎むことはたやすい
もう遅すぎるのか 祈るしかないのか
この険しさはどうだ。この厳しさはどうだ。魂の底が震えるような罪への意識はどうだ。神の裁きを待つ諦めは、その静かさはどうだ。贖いとは何か。祈りとは何か。
このアルバムが出た1990年、それは人類が最も幸福だった80年代が終わり、グローバリズムが世界を覆い始め、人間の心が自由を失い、精神の統合がはかれなくなる、終わりの始まりの年だった。
だが、2曲目の『Freedom!’90』を続けて聴き、そしてジャケット写真にもう一度目をやってほしい。そこに集う人間、人間、人間の表情。そしてどうすれば自分たちの自律を、個を取り戻すか。ジョージは全力の序破急を私たちに提示する。これは2017年にこそ、聴かなければならないアルバムだ。あれから四半世紀を経て、わたしたちの戦いは、より一層困難になり、わたしが誰であるか、あなたは誰であるか、そこに人間はいるか、それは統合されているのか、確かめることは険しさと厳しさを増している。
ジョージ自身が「偉大な作品を作りたかった」と率直に述べたこのアルバムを、のちにリアム・ギャラガーは「彼の中にジョン・レノンがいる」と言い、スティーヴィー・ワンダーは「神がくれた贈り物だ」と語っている。
ジョージは裏口から出て行った神を追いかけて去ってしまった。私たちの手にはそのバックドアからかすかに聴こえるこのアルバムが残されている。偏見を捨てよ、耳を澄ませと。
2017.01.15
YouTube / georgemichaelVEVO
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