共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.61
NOTORIOUS / Duran Duran
80年代を代表するようなヒットソングを残したアーティストといえば、マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンスといったスーパースタークラスやシンディ・ローパー、フィル・コリンズといった80年代を象徴するような、限られたアーティストの名が挙げられるのではないだろうか。
そんな中、カルチャー・クラブやワム!(ジョージ・マイケル)らと切磋琢磨しながら、第2次ブリティッシュ・インベイジョンの中心的存在だったデュラン・デュランを忘れるわけにはいかない。
「ザ・リフレックス」(84年1位)、「美しき獲物たち(A View To A Kill)」(85年1位)といった全米ナンバーワンを筆頭に、「プリーズ・テル・ミー・ナウ(Is There Something I Should Know)」(83年4位)、「ワイルド・ボーイズ」(84年2位 / 「
デュラン・デュランとナイル・ロジャース、蜜月時代の始まりは?」参照)といったトップ10級を多数輩出、デュラン・デュランは80年代を象徴するヒットメイカーだった。
そして80年代59番目に誕生したナンバー2ソングが、デュラン・デュラン「ノトーリアス」(87年1月2位)だ。
グループが絶頂期を迎えた84年直後、メンバーのアンディ&ジョン・テイラーはロバート・パーマーやトニー・トンプソン(シック)とパワー・ステーションを、サイモン・ルボン、ニック・ローズ、ロジャー・テイラーはアーケイディアを、それぞれ別プロジェクトとして成功させており(85年)、デュラン解散がささやかれる中リリースされたのが「ノトーリアス」だった。結果としてアンディとロジャー・テイラーが脱退、サイモン、ニック、ジョンのトリオ編成での再出発だったものの、見事なヒットを記録したわけだ。
「ザ・リフレックス」から関わってきたナイル・ロジャースがプロデュースを担い、さらにブラック・ミュージックへのアプローチを試みた新生デュラン・デュラン。昨今の “ブギー・ムーヴメント” の立役者でもあり、ダフト・パンク「ゲット・ラッキー」(13年)以降様々な場面で脚光を浴びているナイルとの蜜月関係を既に30数年前に築いていたなんて、これはもうデュランの慧眼としか言いようがない。ドラマーにスティーヴ・フェローン(アヴェレイジ・ホワイト・バンド)を抜擢したのも、今考えれば絶妙なさじ加減な人選だ。
今だ現役バンドとして実に息の長い活動をしているデュラン・デュラン。それが実現しているのも、ナイル・ロジャースの尽力あってのことではないだろうか。
2019.05.08