1977年 4月8日

いま蘇る幻のベネフィットコンサート、ローリング・ココナツ・レビュー

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「ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977」が開催された日
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2018年7月25日。『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』という14枚組の CD ボックスセットが発売になった。

これは、日本、アメリカ、カナダのミュージシャン30組が出演し、1977年の4月8日から10日にかけて、晴海にあった東京国際見本市会場で開催されたベネフィットコンサートを収録したライブアルバムだ。

41年も前に行われたこのコンサートのことは、今や知らない人の方が多いんじゃないかと思う。なぜなら当時でさえ、大々的にメディアで報道されることもなく、一般的には知る人ぞ知るイベントだったのだから。

しかし、改めて振り返ってみれば『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』は、いろいろな意味で画期的な、実現したのが奇跡とも言えるイベントだった。実を言えば、僕もスタッフの片割れだったこのコンサートついて、ごく簡単に振り返ってみよう。

青山にあった輸入レコードショップ、パイド・バイパー・ハウスに、ある日、日本語のできるアメリカ人青年がやって来たところから話は始まる。彼らは、ドルフィンプロジェクトという環境保護団体のメンバーで、日本とアメリカのミュージシャンによるクジラやイルカの保護を訴えるベネフィットコンサートを東京で開きたいから、力を貸してくれないかと言うのだ。

アメリカ人青年は、自分たちには運動に賛同してくれるジャクソン・ブラウンなどのアメリカのアーティストやウッドストック・フェスのプロデューサー、マイケル・ラングとのコネクションもあり、大物ミュージシャンを連れてくることが出来ると言う。

最初は信用していなかった日本サイドも、彼が極端に凝り固まった反捕鯨主義者ではなく、柔軟な考え方ができることを知り、少しずつ青年の夢に乗ってみてもいいかなと思い始める。そして、単純な反捕鯨ではなく、海の環境を総合的に考えることを開催テーマとすることで、コンサート実現に向けた「ドルフィン・プロジェクト・ジャパン」がスタートすることとなった。

当時、日本ではベネフィットコンサートは行われたことがなかったが、アメリカでは、ジョージ・ハリスンが主催した『バングラデシュ・コンサート』(1971年)をはじめ、ロックミュージシャンなどが大規模なベネフィットコンサートを行うようになっていた。“自分たちの手で、日本初の大規模なベネフィットコンサートが実現できるかもしれない” という誘惑は魅力的だった。なにより単純に、ジャクソン・ブラウンをはじめとする大物ミュージシャンが集まるステージを観てみたかった。

コンサート名は、1975~76年に、ボブ・ディランが行った『ローリング・サンダー・レビュー』にあやかって、『ローリング・ココナツ・レビュー』となった。

しかし、実現までの道のりは困難を極めた。メンバーには海外アーティストの招聘業務も行っていた麻田浩など、音楽業界の人間もいたが、すべてボランティアとしての参加で、発揮できるパワーも限られていた。なにより、あらゆることについてアメリカサイドとの間に考え方のズレがあって、その調整や認識を共有するための作業にエネルギーを費やさなければならなかった。

なかなか決まらないアメリカ側の出演者を睨みながらの日本側アーティストへの出演交渉、出演者が決まらないためチケットの販売タイミングも遅れていった。現在のように SNS も無い時代だったから、プロモーションも困難だった。役所やマスコミも素人集団の動きをなかなか相手にしてくれなかった。そうした日本サイドの事情を、アメリカサイドはなかなか理解できずに、アメリカでのやり方で通そうとしてきた。

それでも出演を快諾してくれたミュージシャンをはじめ、協力してくれる人たちも少しずつ増えていった。最終的には、日本サイドの主要スタッフが渡米して話を詰め、出演の意志表示をしたミュージシャンを連れて帰国し、ギリギリで開催にこぎつけることができた。

今思えば、決定的に時間が足りなかった。コンサートには、ジャクソン・ブラウン、ジョン・セバスチャン、J.D.サウザー、フレッド・ニール、エリック・アンダースン、デヴィッド・リンドレー、スタッフなど当時のビッグネームが来日し、日本からも泉谷しげる、イルカ、岡林信康、久保田麻琴と夕焼け楽団、細野晴臣など多くのアーティストが参加してくれた。そして、4月8~10日にかけて4回行われたステージには、延べ15000人以上が集まるという、当時としては上々の結果だった。

それでも、コンサートの収支は大幅な赤字だった。もう少し、参加ミュージシャンやコンサートの意義をしっかり伝える時間があれば、動員ももっと増やすことができただろうとも思う。結果的に、当時は今のようにベネフィットコンサートに協賛してくれる企業もなく、赤字は「ドルフィン・プロジェクト・ジャパン」のメンバーが負担するしかなかった。そして、『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート』は幻のコンサートとなり、ステージを本格的な16チャンネルマルチレコーディング機材で録音したテープも、スタッフの手元で眠り続けることとなった。

これまでにも何度か、そのテープを CD 化しようとする動きはあった。しかし、いつも実現までには至らなかった。今回ようやく CD 化が実現した背景には、時代の変化もあっただろう。CD 自体の地位が音楽産業のなかで低下してきたことで、逆に大きな売り上げをノルマとせずに企画を実現させる機運が生まれているという気がする。

今回の CD ボックスには、コンサートのすべてが収録されているわけではない。ジャクソン・ブラウンなどが参加した9日のステージは許可が出なかったためレコーディングされていない。音源があるミュージシャンでも収録許可が得られたものだけが今回 CD 化されている。それでも、これだけのボリュームで、幻のベネフィットコンサートを再現することができた。

この早すぎた『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』が、80年代以降の大型フェスや、1987年に始まった『広島平和コンサート』などのベネフィットコンサート、チャリティコンサートの源流のひとつになったという見方は、必ずしも荒唐無稽なものではないと思う。



CD Data
■ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977
■14枚組 CD ボックス
■ディスクユニオン
■18,000円+税

2018.07.31
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  YouTube / pampa777
 

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