1977年 4月5日

追悼:大橋純子の本流は “美乃家セントラル・ステイション” 北島音楽事務所の慧眼!

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実は大橋純子の変化球だった「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」


2023年11月9日、シンガーの大橋純子ががんのために永眠した。

大橋純子と言えば「たそがれマイ・ラブ」(1978年)や「シルエット・ロマンス」(1981年)を思い浮かべる人が多いだろう。もちろんこれらの楽曲が彼女の代表曲であることは間違いない。しかし、個人的にはこの2曲は大橋純子の本流というよりも、実は変化球だったんじゃないかと感じている

「たそがれマイ・ラブ」は作詞:阿久悠、作曲:筒美京平、「シルエット・ロマンス」は作詞:来生えつこ、作曲:来生たかおが手掛けているが、大橋純子の本流はやはり人生のパートナーでもあり、美乃家セントラル・ステイションのメンバーだった佐藤健とのコラボレーションによる、より洋楽色の強い音楽にあるんじゃないかと思うのだ。



1960年代から70年代初期の音楽シーンは、圧倒的だった歌謡曲の勢力と、新たに台頭してきたフォークやロック勢とが、極端に言えば対立する形で展開していった。けれど、1970年代に入ると絶対に相容れないように思われたこの二つの流れの中間に位置するようなアーティストが現れていく。

例えば1971年にデビューしたペドロ&カプリシャス、1974年にデビューした太田裕美などは、ポジション的には歌謡曲的フィールドに居ながらも、その音楽性でロック、フォークのファンにも一目置かれる存在になっていった。そして、大橋純子もそうしたフィールドを越える存在感をもったアーティストだった。

デビューのきっかけはヤマハ音楽振興会でのアルバイト


大橋純子は、1950年に北海道の夕張に生まれた。実家は食堂を営んでおり、人の出入りも多かったようだ。子ども時代の彼女は歌が得意で、店のテーブルに上がって客の前で流行りの歌謡曲を歌って大人たちの喝采を受けていた、と本人に聞いたことがある。

明るく元気で音楽好きだった大橋純子はその後、札幌の女子大に進学して札幌の音楽仲間と交流するようになる。この頃は洋楽のロックやポップスをレパートリーとしてシンガーとして注目されるようになっていく。

ここまでのキャリアを見ると、ほんの少し運命が違えば大橋純子は演歌歌手としてデビューしていても不思議ではないと思う。しかし、歌手を目指して上京した彼女のデビューのきっかけになったのはヤマハ音楽振興会でのアルバイトだった。

ヤマハ音楽振興会は、楽器メーカーのヤマハが日本の音楽文化の発展に寄与するために設立した財団法人で、各種音楽教室の運営やイベント主催、アーティストのマネジメントや音楽出版なども手掛けていた。多くのアーティストを輩出したポプコン(ポピュラーコンテスト)もヤマハ音楽振興会が手掛ける事業のひとつだった。

当時、ヤマハ音楽振興会の制作部門には、編曲家の萩田光雄、船山基紀、佐藤健などがいて、ポプコンなどのためのアレンジや音源制作を行っていた。そうした音源制作の現場で大橋純子はアルバイト歌手として勤めていたのだ。

ポプコンの大会に出場してはいなかったけれど、日本の音楽史大きな意味をもったこのイベントを成立させるために大橋純子も貢献していたというのも興味深い。そして、この時の佐藤健をはじめとする音楽仲間とのセッションが注目されて彼女がデビューすることになるというエピソードも、音楽業界における大橋純子独自の独特のポジショニングを暗示しているようだ。

大橋純子を形づくる2枚のアルバム「フィーリング・ナウ」「ペイパー・ムーン」


大橋純子は1974年6月にシングル「鍵はかえして!」(作詞:なかにし礼、作曲:井上大輔)とアルバム『フィーリング・ナウ』でレコードデビューした。本作には「鍵はかえして!」などオリジナル曲もあったが、大半はスタイリスティックス、ホリーズ、カーペンターズ、メルバ・ムーア、フィフス・ディメンション、グレン・キャンベル、ロバータ・フラック、ビル・ウィザースなどの洋楽曲を英語や日本語詞でカバーしたもので、大橋純子がソウルやロック色の強い洋楽系統のシンガーであることを示すアルバムだった。



これに対して、大橋純子のセカンドアルバム『ペイパー・ムーン』(1976年)は全編オリジナル曲で構成されているが、林哲司、萩田光雄、佐藤健など、大橋純子の音楽仲間といえる作家陣を積極的に起用して制作されている。演奏にも、村上 “ポンタ” 秀一(Dr)、岡沢章(B)、松木恒秀(G)などのトップセッション・プレイヤーが参加している。ファーストアルバム『フィーリング・ナウ』で示された洋楽のテイストを、自分たちのフィールドで消化して提示したのが『ペイパー・ムーン』だったと言えるだろう、



僕にとっての大橋純子のイメージはこの2枚のアルバムで形づくられている。コンテンポラリーな洋楽テイストを日本のフィールドに翻訳するスタイルのサウンド重視型シンガーというイメージだ。

自分の目指す音楽性を追求するために結成された美乃家セントラル・ステイション


大橋純子がサウンドを重視するシンガーだというイメージをさらに強固にしたのが、『ペイパー・ムーン』以降のバックバンドとなる、美乃家セントラル・ステイションを本格的にスタートさせたことだった。

美乃家セントラル・ステイションは、佐藤健(Kb)、土屋昌巳(G)、見砂和照(Dr)らが在籍していたことでも知られるが、大橋純子が自分の目指す音楽性をバンドとして追求するために結成されたもの。

バンド名のモデルとなったのは名ベーシスト、ラリー・グラハムが率いたアメリカのファンク・バンド、“グラハム・セントラル・ステイション” 。美乃家は土屋昌巳が愛用していた電気店の名前だったというが、当時の洋楽ファンは、このバンド名を聞いただけで、大橋純子がどんな音楽を目指していたのかを推察することができた。



洋楽をベースに新しい日本のサウンドを生み出すべく奮闘しているバンド


余談だが、1980年には “竹野屋セントラルヒーティング” というセッションバンドが結成されている。メンバーは桑田佳祐(G)、ダディ竹千代(G)、世良公則(B)、竹内まりや(Kb)、山下達郎(Dr)で、FM放送のために臨時で構成されたバンドなのだが、意外な顔合わせということもあって話題となった。

竹野屋セントラルヒーティングというネーミングもふくめて、あくまでも “遊び” なのだけれど、このエピソードから当時のミュージシャンたちに、美乃家セントラル・スティションが、洋楽をベースに新しい日本のサウンドを生み出すべく奮闘しているバンドとして一目置かれていたということも感じられる。

彼らが美乃家セントラル・ステイションの先にグラハム・セントラル・スティションを意識していただろうことは言うまでもない。ちなみに竹野家は竹内まりやの実家である旅館の名前だ。

これ以降、大橋純子は美乃家セントラル・スティションとしての作品とソロ名義の作品を交互にリリースしていくようになる。その背景として「たそがれマイ・ラブ」や「シルエット・ロマンス」などのヒットによって広がっていった感動的なバラードを聴かせるシンガーというイメージと、彼女が目指すファンクやソウルをベースとしたサウンド志向アーティストとのギャップがあったという気がする。あくまで音楽性を追求していきたい大橋純子と彼女にヒット曲歌手でいてもらいたい “大人” の意向との兼ね合いが、その後の大橋純子の足跡をつくっていったのだという気がする。

大橋純子が北島音楽事務所に所属していた理由とは?


もうひとつ僕が大橋純子について印象に残っているのが、1970年代後半から80年代にかけて、彼女が北島音楽事務所に所属していたことだ。

大橋純子が歌謡曲寄りの歌手と見られることが多いのは、この北島音楽事務所所属というイメージも大きかったのではないか。けれど、北島音楽事務所時代に美乃家セントラル・スティションで活動していたことを考えると、その先入観はちょっと違うのではないかとも思う。一度、北島音楽事務所の方に大橋純子について伺ったことがあるけれど、「ジャンルは関係なくその音楽性の高さを認めて迎え入れた」ということだった。

同じ時期、もんたよしのりも所属していたことを考えると、演歌に特化しているように見えて、実は北島音楽事務所の懐の深さ、そして音楽を見る目は相当なものがあったのだと思う。そんな視点から、あの時代の日本の音楽シーンを見直してみるのも興味深いだろう。

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2023.12.05
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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