昭和の時代、夕方の娯楽番組といえば、音楽、ファッションの先取りとお笑いをミックスした番組が多かったように思う。
70年代、「ロキシーファッション出演者募集」という企画でキャロルを輩出した『リブ・ヤング!』や、このキャロルが後にレギュラーとなった『ぎんざNOW』が真っ先に頭に浮かぶ。
また、82年には、この二つの番組の色合いを踏襲した『アップルシティ500』などがあり、いわゆる流行の発信源を目論んだ制作者のセンスが随所に表れていた。
ちなみに『アップルシティ500』には、なめ猫の発案者である津田覚氏がプロデュースしたM-BANDやロッカーズ解散後、小林旭のカバー曲「陣内の自動車ショー歌」でソロデビューを果たした陣内孝則がゲスト出演していた
しかし、『夕やけニャンニャン』はこれらの番組と比べても別格だった。この番組こそが、テレビの前の僕らを傍観者から当事者へと昇華させた「夕方5時の革命」といっても過言ではないだろう。
85年4月1日に番組がスタートし、瞬く間に日本全土を席巻したおニャン子クラブは、これまでのアイドルと一味も二味も違っていた。
おニャン子以前のアイドルと言えば、僕の世代では、小泉今日子、中森明菜、松本伊代、早見優など、いわゆる「花の82年組」なのだが、彼女たちが、よそいきの服でイメージを固めた高嶺の花だったのに対し、当時渋谷で行列を作っていたポップなアパレルブランド『セーラーズ』のトレーナーやスタジアムジャンパーを着て微笑む彼女たちは、等身大のまさにとなりの席の女のコだった。
当時、高校2年生で、中高一貫の男子校に通っていた僕らにとっても、彼女たちの動向はカワイイの一言で終わるものではなく、「新田と国生は本当に仲が悪いのか」など、素の彼女たちの内面までもが、僕らの日常にすんなりと溶け込んでいった。そして、「今日は夕ニャン見るから帰るわ」というのが合言葉のようになっていた。
つまり僕らは、夕方5時にテレビの前に座ることで、女のコの同級生のいる別の放課後の当事者として番組にのめり込んでいたのだった。
この状況が顕著に表れていると思ったのは、クラスメイトたちがファンになるメンバーは、アイドル然とした河合その子、新田恵利といったルックス先行ではなく、永田ルリ子や富川晴美などの控え目なタイプのほかに、後に演歌歌手としてデビューする城之内早苗にまで及んでいることだ。
「河合や新田じゃ勝ち目がないな」と悟り、自分だけのアイドルを探す。まさに傍観者が当事者になる瞬間である。そして、次々とソロデビューを果たし、着飾り、よそゆきの顔をした彼女たちを初めて知ったときの感激もひとしおになるのだ。メンバーになるためのオーディション企画「アイドルを探せ」もこのような意味合いが含まれていたのかもしれない。
そんな『夕やけニャンニャン』から思い出すのが、80年年代後半を生きる少年少女の青く流線形のように尖った儚い心象風景を、当時を象徴する場所、人物、音楽を背景に描く中森明夫氏の名著『東京トンガリキッズ』だ。
レベッカのNOKKO、甲田益也子、雑誌『MCシスター』のモデルとして人気を誇っていた根本聖子、戸川京子などが登場するなか、この物語の中には当時のおニャン子を登場人物の背景として描いた「たそがれグッドモーニング」という章がある。
「新田恵利の妙に舌たらずな声質が三半規管に引っかかって目を覚ました。午後5時。おはようの時間だ。セットされたタイマーが作動してボクの部屋のTVモニターの中でおニャン子が踊っている。」
こんな出だしで始まるこの物語の主人公はいじめで学校へ行かなくなり、今でいう「引きこもり」なのだが、誰にも会うことのない生活の中で『夕やけニャンニャン』がいかに重要であり、彼の生活のなかで当事者になれる唯一の瞬間であることが切なくも説得力を持って語られていた。
これは男子校に通う僕らにしても同じことだった。決して会うことはない彼女たちに思いを馳せて確立される仮想空間が、リアルな日常よりもよほど重要だったような気がする。それは当時、リアルに彼女ができても同じことで、30年以上経った今でも鮮やかに蘇ってくる。
この仮想空間を「劇場型アイドル」として進化させたのがAKB48である。
しかし、リアルに会うことが出来る彼女たちとは違い、近くても遠い等身大のおニャン子クラブのメンバーたちが、僕らをオトナにさせてくれたのだと思う。
引用文:
中森明夫著 / 東京トンガリキッズ(宝島社)
2017.08.09
YouTube / アイドル懐かしみ隊
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