佐野元春ブレイクのきっかけ「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」そして「SOMEDAY」
1982年3月21日から5月21日の間に何があったか。
そう、3月21日には大滝詠一、杉真理との共作、『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』がリリース。当時、まだまだ認知度が低かった元春がブレイクしたきっかけがここにあります。
そして、その2か月後、5月21日には元春初期三部作の集大成ともいわれる『SOMEDAY』が満を持してリリースされます。
その後の人生の伴走者になる素晴らしいアルバムというのは、数回聴いただけでは理解しえない…。その素晴らしさというのは、5年かけて、いや10年、20年かけて身体に沁み込んでくるものだと思っています。『SOMEDAY』は、初のセルフプロデュース作品でありながらAORに傾倒したバラッドや、当時のビリー・ジョエルやスプリングスティーンの影響も垣間見られ、直情的なロックンロールが主体となっていたファースト、セカンドアルバムとは一線を画した音の厚みがあります。
佐野元春が描くリリックの世界、「自由で、身軽であれ、しかしブレずに」という本質
しかし、それ以上に元春の描くリリックに心を突き動かされました。特に「ハッピーマン」「ダウンタウン・ボーイ」の二曲が十代のささくれ立った青い心を飽和し、“何がカッコよくて、何がカッコ悪いか” の定義がここで決まったような…、そんな思いにさせてくれました。
カシミアのマフラーにイタリアン・シャツ
仕事も適当に みんなが待ってる店まで
Hurry up, hurry up!
と歌われる「ハッピーマン」の中で「まともな暮しが苦手だと誰もに言われている」主人公は、「ただのスクラップにはなりたくないんだ」と、世界中のインチキ、つまり日々の暮らしに重くのしかかる虚構と矛盾に対して疑問符を投げかけながら、それでも “ブレずに生きる” と決意表明しているわけです。
身軽で洒落ていて、一見信条がない主人公が都市の中で自分を失わずにどのように暮らし、どのように生きていくのかという、この曲が投げかける「自由で、身軽であれ、しかしブレずに」という本質は、リリースされてから37年経った今でも自分の中にあります――。そして、「ダウンタウン・ボーイ」の中では、
すべてをスタートラインにもどして
ギアを入れ直してる君
オールナイト・ムービー
入り口の前では
くわえタバコのブルー・ボーイ
たったひとつだけ残された
最後のチャンスに賭けている
そこに広がる世界には、傷つき、悩み、それでも精いっぱい格好つけて、ちっぽけな自分にとっての真実を探し求める十代の等身大の姿が美しく投影されていました。
「ロックンロール・ナイト」で歌われている一つの矛盾
僕は元春がデビュー当時から掲げてきた「荒廃した都市の中に息づくイノセンス」というテーマを見事に集約した名曲だと思っています。そして、もう一曲――、そんなイノセンスを壮大なバラッドで語りかけ、当時の元春のツアータイトルにもなった「ロックンロール・ナイト」。この曲の中で元春は、また一つの矛盾を歌っています。
たどりつくといつもそこには
川が横たわっている
それはいつか幼い頃どこかで
見たことのある川なのさ
と始まる楽曲で、元春がラスト近く、
Rock & Roll Night
Rock & Roll Night
今夜こそ
Rock & Roll Night
たどりつきたい
と歌うのです――。たどりついた場所に今はたどりつくことができない。そこは、元春の歌うすべてのギヴ&テイクのゲームにさよならしたときに初めて降り立つ場所であり、十代の時に出会ったキラキラしたロックンロールの初期衝動に他ならない。
ラジオのチューニングを合わせて、思わずボリュームを上げた音楽との出会い。また、音楽に限らず、過去も未来もいらない。今一瞬、ずっとこのままでいたいと思わせる恋人との出会い。そんな無垢な一瞬にたどりついた時こそ、そこに人生の全てがあるのではないか――。僕らはそんな情景をいつの間にか忘れて、淡々と毎日を過ごすようになっているかもしれません。
もしかしたら、そこにあった清らかな世界にたどり着けないことを元春は知っていたのではないか。そんな思惑を絡めながら、いまだにこの曲と僕は対峙しています。
歌詞引用:
ハッピーマン / 佐野元春
ダウンタウン・ボーイ / 佐野元春
ロックンロール・ナイト / 佐野元春※2018年5月20日、2019年5月21日に掲載された記事をアップデート
アルバム「SOMEDAY」リリース40周年☆特集 Early Days 佐野元春
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2022.06.08