先日、見世物学会(別名「ニセモノ学会」)で「グロテスク」をテーマにしたイベントをやった。場所は1969年設立のアングラ芸術の拠点、美学校。僕は『GGアリンの見世物的糞便学(スカトロジア)』(※1)という何とも臭い立つタイトルの発表をした。
というわけで今回はその報告がてら、ちょっと尾籠な話をしたい。
このGGアリンというパンクロッカーについてどれぐらいの知識を皆様持っているだろうか? 自他ともに認める「アンダーグラウンドの帝王」で、主な活動期間は80年代だが、とりわけ91年から没年の93年までのライヴパフォーマンスの奇矯ぶりは伝説になっている。
全裸で流血した GG がライヴ中に糞をひり、体に塗りたくり、客に投げつける... と書けば大体察しが付くかと思われる。大ファンだったカート・コバーンも怖くてライヴに行けなかったぐらいに恐ろしく、汚らわしいものだったらしい。
阿呆っぽいが、ほとんど「スペクタクル」(※2)と化してしまったロックミュージックのショービズ世界で、GG だけがそれを撥ね付ける「見世物」をやっていた。その意味でやはり偉人だ。「見世物」は下降し、転落していく芸術であり、無様な生き様そのものなのだとしたら、GG ほどそれを体現したものはいない。
GG は死に様も凄い。オーバードーズで死んだ際、股間につけたジョックストラップを友人たちが剥ぎ取り、その矮小な股間をカメラで撮影したというのだから、死んでもなお「見世物」だった。
さて、タイトルに『糞便学』なんて名付けたからには、ちょっと真面目ぶったことも言おう。
GG のパフォーマンスの特徴は「境界侵犯」である。度々ステージから飛び出してフロアの客に殴りかかる GG に、ステージの「上」とか「下」とかいう境界は存在しない。事ほど左様に「内」に秘められた大便が「外」に飛び出すことも、肛門という境界を突破せんとする意志なのである。
そして境界線を踏み越えるということは、システムを転覆させるということだ。人前で糞をひる GG は世界で最も汚らわしい革命家である。
これまで糞をひるように、ブリブリと穢い文章をひってきたが、もう少しまともな言葉で歌人の結崎剛さんがこの発表のことをブログ(※3)に書いてくれている。
氏曰く「ウンコしているときの沈黙が興味深かった」という。確かにウンコするときに笑ったり騒いだりする奴はいないという当たり前ながら、中々皆さんが気づかないポイントに GG は眼を向けさせてくれる。要するにウンコとは真剣そのもの、という逆説的な真理。そうなのだ、GG は緩下剤で糞が出やすいように調整し、「バイト・イット・ユー・スカム」という彼の最高の持ち歌で絶対に糞を垂れる真面目ブリなのだ。
ところで発表を終えたあと、「四国からはるばる来たんです♨」と話しかけてくれたスカトロジストのおじさんのパッションを僕は忘れられないでいる―― ただ「今日から食べなよ♨」というハードコアな問いかけは、未だ宙づりのままだ。
脚注
※1:美学校 見世物学会
「見世物の拡張 / GG アリン(パンク)と石井輝男(映画)のグロテスク」
※2:スペクタクル
高度資本主義社会が生みだす「まやかし」を、シチュアシオニストのG・ドゥボールが名付けたもの。下手な英語辞書で「スペクタクル」を引くと「見世物」と出てくるが、小沢昭一的な「見世物」とショービズ的な「スペクタクル」はまったくの別物だ。見世物は実存主義、スペクタクルは商業主義といえば通りがいいかもしれない。
※3:歌人・結崎剛さんのブログ
タレーラン=ペリゴールの仔豚「歌う括約筋の静かさ」
2018.06.19