その曲を聴くと、特定の人を思い出すことはないだろうか…
JR鎌倉駅西口は江ノ電に乗り継ぐターミナルになっており、その駅前には小さなロータリーがある。今はもう無くなって久しいが、ロータリーを挟んだ反対側に一軒のパチンコ屋があった。名前はうろ覚えなのだが、確か「パチンコ・テアトル」だったような気がする。
そのパチンコ屋の二階が「テアトル鎌倉」という小さな映画館になっており、それが市内唯一の映画館であった。
しかし残念ながらこの映画館は1988年に閉館してしまった。隣接する商店街もいつしか銀座通りから御成通りと名前を変えていた。
1986年、私は大学生になっていたのだが、この商店街の福引きで映画のペア鑑賞券が当たった。上映中の映画は『スタンド・バイ・ミー』だった。
当時、どうしてその映画を一人で観たのか記憶にないが、ペア券の片方を姉にあげたことは記憶に残っている。
『スタンド・バイ・ミー』という映画は、アメリカの片田舎に住む12歳の少年4人が、列車に轢かれた死体を探しに冒険に出るというストーリーであった。
私も主人公同様に12歳の時、アメリカの片田舎に住んでいた。12という年齢はまだまだ子どもで、その歳からタバコを吸うような不良も、ペーパーバックをいつも読んでいるような真面目な子も、気が合えば分け隔てなく一緒に遊んでいた。
そんな経験をした私は、映画の中の四人組が、アメリカの片田舎のどこででも見られるような光景であることを知っていた。
当時、家族ぐるみで付き合っていた “カート” という男の子がいた。青い眼をして、鼻頭と頰にソバカスがあり、私よりチビであった。彼は英語が不自由な私を何かと世話してくれた。
ある日彼の家に泊まりに行った晩、二人でお父さんのシーバス・リーガルを盗み飲みしたことが記憶に残っている。わずかキャップに一杯ずつであったが、彼と私のちょっとした冒険であった。
その後、私は日本に戻ったのだが、しばらく彼とはエアメールで文通をしていた。しかしいつしかそれも途絶えてしまった。
あれからもう40年近くが経つが、映画の主題歌であったベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」(1961年)が流れてくると、12歳のカートの事を懐かしく思いだす。
もし、その片田舎を再び訪れる機会があれば、私は彼の実家を訪ねてみようと思っている。
2018.04.18
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