歌手として健在であることを再び証明してみせた「AKINA NOTE」
“明菜は生きてたぞ〜!”
5月1日発売の中森明菜のニューアルバム『AKINA NOTE』をひと足早く聴いて、私はあらためてそう感じた。昨年4月、大分で開催された音楽フェス『ジゴロック2025〜⼤分 ”地獄極楽” ROCK FESTIVAL』に2日連続で出演した明菜。1曲目「DESIRE -情熱-」を歌ったあと、詰めかけたオーディエンスの前で発した第一声はこうだった。
「盛り上がっていますか~? 明菜だ! 生きてたぞ~!」
あの本人による “生存証明” から早や1年。今回の『AKINA NOTE』で、明菜は自身のシングル曲をジャズアレンジでセルフカバー。歌手として健在であることを再び証明してみせた。『ジゴロック』のときも “声が出ていない” だの “別人みたい” だの、表面的な部分だけをとらえてあれこれ言う人がいたが、全然わかっていない。明菜は、頂点を極めた人間しかわからない孤独だったり、苦悩だったり、そういったさまざまなものを乗り越えて、あのステージに立ったのだ。
おそらく、今回の『AKINA NOTE』に対しても、同様に上っ面な評価をする人がいるかもしれない。だがこのアルバムには、年齢を重ねたことによる自身の変化を “進化” と捉え、昔とは違う今の自分を心から愉しんでいる明菜がいる。そこを聴きとってほしい。ようやく心のゆとりを取り戻し、昭和・平成の自身とは違った “令和の中森明菜” を創り上げようと、再び表舞台に戻って来たのだ。思えば彼女は、デビュー時からずっとチャレンジャーだった。そんな、挑む心が甦ったことが同世代の私にとっては何より嬉しく、だからこそ思う。“明菜は生きてたぞ〜!”
フルアルバムとしては約8年6カ月ぶり
7月に行われる東京・大阪・名古屋の3会場で行われる20年ぶりのライブツアーも楽しみでならないが、その予告編とも言える『AKINA NOTE』。フルアルバムとしては約8年6カ月ぶりとなるこの作品は、2024年4月、明菜が自身のYouTubeチャンネルで始めた、往年のシングルヒットをジャズアレンジでカバーする企画がベースになっている。2枚組の『デラックス・エディション』はすでに配信された13曲に、新録5曲を加えた全18曲で構成。通常盤は全14曲(ワーナー時代のシングルカバーのみ)で曲順はどちらも同じだ。どの曲も “今の明菜” を堪能できる曲ばかりで、以下『デラックス・エディション』をもとに、内容について触れてみたい。
少女時代の恋の記憶を回想しているように聴こえる「スローモーション」
DISC1の1曲目が、デビュー曲「スローモーション」(1982年)。オリジナル版は突然訪れた恋の予感と戸惑いを16歳の初々しい声で歌っているが、還暦を迎えて歌った今回のジャズ版では、テンポや間がよりスローになり、まるで少女時代の恋の記憶を回想しているように聴こえる。愛犬を連れて海辺を散歩する男性を見て、たちまち恋に落ちる、その一瞬を歌った曲が、カバーでは時間の幅が加わり、40年超の時を経て、あらためて噛みしめる恋の喜びを歌った曲に昇華しているのだ。ここですでにグッと来てしまった私がいる。
“中森明菜の自分史” が歌に投影されている「北ウイング」
続いて2曲目が「北ウイング」(1984年)。通算7枚目のシングルで、明菜は18歳にして自ら “この人に書いてもらいたい” と作曲家・林哲司を指名。大人のシンガーへと向かう転機になった曲である。ピアノソロのイントロで始まり、明菜が淡々と語るように歌うジャズ版は、このアルバムの中でも屈指のセルフカバーだ。特にこの部分ーー
日付けが塗りかえてゆく
苦しいだけのきのうを
あなたが住む霧の街が
雲の下に待つのね
この「♪苦しいだけのきのう」を歌うときの声の震え! もしかすると、歌いたくても歌えなかった辛い日々が、本人の頭の中にオーバーラップしたのかもしれない。ああ、また涙腺が緩む…… 年齢を重ねて味が出た、というレベルの話じゃなく、これまで紆余曲折あった “中森明菜の自分史” が歌に投影されているのだ。だからこのカバー集は、単に懐かしいだけじゃない。いろんなものを乗り越えてきた、今の明菜だからこそ表現できる思いが詰まっている。そこをぜひ聴いてほしい。
可愛らしい歌声でソフトに歌っていく「サザン・ウインド」
続く3曲目は、今回新規にレコーディングした玉置浩二作曲「サザン・ウインド」(1984年)。この新アプローチには驚いた。エッジの立った力強いボーカルで押すオリジナルとは対照的に、可愛らしい歌声でソフトに歌っていく明菜。“こういう声で歌うと、また違った曲に聴こえるでしょ? フフッ” といたずらっぽく微笑む明菜の顔が見える。こういう遊び心も復活したんなら、もう大丈夫だ。
こんなふうに、頭っからいろんな感情を揺さぶってくれる『AKINA NOTE』。全曲について触れていきたいが、長くなるので、今回新録された5曲の中で特筆すべき曲をもう2曲だけ紹介しておこう。
酸いも甘いも噛み分けた大人の女がそこにいる「SOLITUDE」
まずはDISC1の7曲目「SOLITUDE」(1985年)。作詞・湯川れい子、作曲・タケカワユキヒデのコンビによる通算15枚目のシングルで、恋に疲れた女性が、現実からしばし離れて高層ホテルの一室に泊まるというアーバンな曲だ。
この頃から明菜は、本格的に楽曲のプロデュースにも関わるようになった。本曲をシングルに推したのも明菜自身で、本人お気に入りの曲である。私はこの曲を初めて聴いたとき「♪探さないでね 醒めちゃいないわ」という部分が妙に引っかかった。ちょっと投げやりな感じにも聴こえて、この曲の主人公のように、明菜はどっかに行っちゃいたいのかなと、ふと思ったのだ。実際、明菜はその後アーティストとしての高みを目指すあまり、その要求に誰もついてこられなくなり、SOLITUDE=孤独な状況へ陥っていくことになるのだが……。
しかし、いろいろ乗り越えた今、あらためて歌う「SOLITUDE」は凄味すら感じる出色の出来になった。まるで “孤独って、愉しむためにあるものよ” とでも言いたげな、酸いも甘いも噛み分けた大人の女がそこにいる。曲全体に漂う妖しくエロティックなムードは、明菜のボーカルが醸し出したものだ。41年経って、この曲がいかに名曲かを再び思い知らされるとは……。
聴き手を圧倒する、今の中森明菜ならではの「TANGO NOIR」
もう1曲、ぜひ聴いてもらいたい新録曲が、DISC2の1曲目「TANGO NOIR」(1987年)だ。デビュー間もない頃 “私は洋服を選ぶとき、無意識に黒を選んでしまう” と語っていた明菜。“NOIR(ノワール)” はフランス語で “黒”であり“闇” だ。この曲は黒=闇をつい愛でてしまう明菜のテーマでもある。
冷たい指で手首つかまれて
踏み出した黒い繻子(しゅす)の靴から
終わりの来ない夜 始まったの
Pas de deux noir
その男と付き合ったら破滅を迎えることがわかっているのに、情熱の赴くまま恋の闇に墜ちていく主人公。
もうひき返せない
美しい悪魔に 魅入られて 愛して
いたぶられるままに
歌の中の女性になりきって、心の奥から言葉を吐き出すように歌う明菜…… 聴き手を圧倒するこのボーカルは、さまざまな人生の闇を経験してきた今の明菜ならではのものだ。
まずは自身の足跡を振り返りつつ、新たな解釈で歌い直すことから再出発した明菜。7月のツアーでは、このアルバムで見せた新境地を生歌でどう表現してくれるのか? 楽しみでならない。そして、令和というこの混沌とした時代にこそ、中森明菜の歌は “映える” と私は思う。次は彼女でないと歌えない新曲を、若い優秀な作詞家・作曲家と組んでどんどん世に送り出してほしい。歌手・中森明菜の歴史は、いよいよ新章がスタートしたばかりだ。
▶ 中森明菜のコラム一覧はこちら!
2026.05.01