11月1日

NHK紅白歌合戦の中森明菜「I MISSED “THE SHOCK”」その姿はため息が出るほどの美しさ!

31
0
 
 この日何の日? 
中森明菜のシングル「I MISSED “THE SHOCK”」発売日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1988年のコラム 
バブルの象徴「MZA有明」と ポーグスの酔いどれボーカル、シェイン・マガウアン

ポール・マッカートニーのルーツ、いつだってそこにはリトル・リチャードがいた

魁!!男塾、アニメの放送が『打ち切られちまった悲しみに…』!?

感情喪失を歌った中森明菜のダークソング「アイ・ミスト・ザ・ショック」

浅香唯「メロディ」アイドル絶頂期の傑作メッセージソング 

EPICソニー名曲列伝:岡村靖幸「だいすき」が好き過ぎた平成最初の夏

もっとみる≫




紅白で歌った「I MISSED “THE SHOCK”」


“Best Performance on NHK 紅⽩歌合戦” における「I MISSED “THE SHOCK”」は、昭和最後の年を飾る、中森明菜のパフォーマンスが見られる貴重映像だ。放送は1988年12月31日、『第39回NHK紅白歌合戦』である。中森明菜は連続6回目の出場で「I MISSED “THE SHOCK”」を歌った。

といっても他の出場回に比べ、ちょっと意外な選曲である。過去5回の歌唱曲を見ても、いずれ劣らぬその年の代表作であり、大ヒット曲ばかりである。常に派手なパフォーマンスやパワフルな楽曲、あるいはドラマチックな作品が選ばれているのだが、「I MISSED “THE SHOCK”」はこの年の11月1日にリリースされたばかりの新曲なのだ。

ファンはともかく、まだ世間に浸透していない段階において『紅白』で歌われたことが珍しいのだ。当初は、前作の「TATTOO」が歌唱曲の候補に挙がっていたところ、明菜本人が「I MISSED “THE SHOCK”」を歌うことを熱望したのだという。『紅白』の歌唱曲は、この時代NHK側が決めることが多かったので異例のケースといえるだろう。

1980年代後半の明菜サウンド


この「I MISSED “THE SHOCK”」は中森明菜22作目のシングルで、シンガーソングライターの福士久美子がQUMICO FUCCI名義で作詞・作曲を手がけており、アレンジは前作の「TATTOO」に続きEUROXが担当している。

EUROXは元TAOの関根安里らを中心としたバンドで、ニューウェイヴ的なサウンドながら関根のバイオリンをフィーチャーした独特の音楽性に根強いファンがいる。明菜が1986年に発表した異色アルバム『不思議』も共同プロデュースしており、彼らのニューロマンティック的で妖艶な音作りは、1980年代後半の明菜サウンドの1つの軸であった。

タイトな打ち込みの音、起伏の少ないメロディーながら、明菜の歌唱法はAメロでは淡々と、Bメロではアクティヴかつ官能的に歌い上げ、全体に冷ややかな手触りの中、主人公の孤独と絶望が浮かび上がるかのようだ。後半に向かってサウンドは分厚くなり、「♪I MISSED “THE SHOCK”」のフレーズが何度もリピートされていくうちに、歌声は次第に熱を持ちはじめ、聴き手を巻き込んでいく。前半のクールさと終盤のエモーショナルな表情の対比が鮮やかで、メロディー、サウンド、歌唱法のいずれも中森明菜の新境地と呼べる楽曲だ。



異質な素材をぶつけ合う明菜のパフォーマンス


本番での中森明菜は、トップアイドルひしめく中での7番手で登場。大きな王冠を被り、ヨーロッパの王女のようなデコラティブな衣装を纏っている。そのビジュアルに加え、あまり動きのないパフォーマンスはオルゴール人形のようで、表情を動かさずに淡々と歌い上げる姿は、ため息が出るほどの美しさである。

ブルーのライティングを基調に、背後の壁面には何十台ものモニターが配され、都会的でクールな演出がクラシカルな衣装と独特のマッチングとなっている。「DESIRE -情熱-」での着物&ボブのカツラ、「TATTOO」でのジャングルビート&ボディコン衣装など、あえて異質な素材をぶつけ合う明菜のパフォーマンスがここでも活かされているのだ。

レコード音源と同じく、何度も何度も「♪I MISSED “THE SHOCK” 」のフレーズを繰り返しながら、最後は 「♪SHOCK!」と一言でバッサリとカットアウトする様が、むちゃくちゃカッコいい。歌唱は全体的にあっさりとした印象もあるが、逆に衣装のインパクトは絶大だった。視聴者もこういうタイプの中森明菜は新鮮だったのか、『紅白』出演後、すなわち翌1989年に入るとセールスが伸び始め、結果として1988年にリリースした「AL―MAJI」「TATTOO」よりもセールスは上回った。



ここまで6回連続の出場を果たした中森明菜も、いったんこの年で出場記録が途切れる。ちなみに松田聖子や小泉今日子など、1980年代のアイドル戦線を競った仲間たちもこの年を最後に、一度『紅白』の舞台を去っている。単に昭和最後の年という区切りだけでなく、一つの時代の終焉を目前にした、シンガーたちの輝きがこの年の『紅白』にはあった。

▶ 中森明菜のコラム一覧はこちら!



2025.05.06
31
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
馬飼野元宏
コラムリスト≫
56
1
9
8
3
J-POP界の開発屋、なぜ角松敏生はいつも早すぎるのか? vol.5
カタリベ / @0onos
19
1
9
8
7
BOØWY シングルレビュー ②:大衆に迎合せず大衆を制した「マリオネット」
カタリベ / 古木 秀典
101
1
9
8
4
オリコン最高位2位、中森明菜「北ウイング」チャート集計期間のあやで泣いた名曲
カタリベ / かじやん
26
1
9
8
0
4月29日は昭和の日!80年代の女性アイドルに平成生まれの若者はなぜ憧れるのか?
カタリベ / 松林 建
35
1
9
9
0
平成 J-POP 幕開けイントロ、四六時中ずっと聴きたいサザン「真夏の果実」
カタリベ / 藤田 太郎
92
1
9
8
3
中森明菜のターニングポイントは84年!アイドルとアーティストの狭間で生まれた傑作
カタリベ / 鈴木 啓之