今年の夏は暑い。今年の夏も、と言った方が正しいかな… 今の日本は亜熱帯だからね。でもね、ちょうど34年前の今日、西武球場も凄く暑かった。そして、とても熱かった。
1984年8月11日、『スーパーロック’84イン・ジャパン』の東京公演の初日。僕たちはアリーナのほぼ中央に陣取った。開場は昼12時だったのでまさに炎天下だ。今のドーム球場のように屋根は無いしね、とにかく暑かったのを覚えている。当時はまだ熱中症という言い方はあまり聞かず、熱射病とか日射病という言い方をしていた気がする。若い僕らはみんな無防備で、アリーナでも倒れて運ばれていく奴らが結構いたね。主催者側が用意(販売)していたかち割り氷を何回買っただろう。
当時はまだ珍しかった真夏の祭典。この日は僕がとても大切にしている、そして忘れることができない80年代でもっとも “熱かった日” だ。
『スーパーロック’84イン・ジャパン』は、日本初のハードロック / ヘビーメタルの今でいうフェスだ。よくこれほどまでの大物バンドを集められたと思うよ。このイベントの存在を知った時、僕は全身鳥肌が立ちまくりだった。8月4日の名古屋を皮切りに、全部で6回の公演だった。
会場
■8月4日(土)名古屋(名古屋球場)
■8月6日(月)福岡(福岡スポーツセンター)
■8月8日(水)大阪(南港)
■8月9日(木)大阪(南港)
■8月11日(土)東京(西武球場)
■8月12日(日)東京(西武球場)
出演バンド
■アンヴィル(Anvil)
■ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)
■スコーピオンズ(Scorpions)
■マイケル・シェンカー・グループ(The Michael Schenker Group:MSG)
■ホワイトスネイク(Whitesnake)
上記が11日の東京公演初日の演奏順だ。さすがに34年前で記憶も曖昧だけど間違いないと思う(名古屋、福岡、大阪は違うかもしれません)。ちなみに12日は、MSG とホワイトスネイクが入れ替わっているので、主催者側の気遣い(苦労)が感じられて実に 面白い。
僕が観に行った11日の公演は、まさに宝物のような1日だった。スコーピオンズや MSG、ホワイトスネイクを舞台裏からヘッドバンキングしながらファン目線で観ていたアンヴィルは前座扱いとしても、デビューアルバムの大ヒットで、すでに日本では大人気だったボン・ジョヴィの初来日はこの時で、そのライブは実に爽やかですばらしかった。彼らがロックの殿堂入りを果たすその片鱗に触れられたことは幸せだった。
また、僕が一番好きなヴォーカリストであるデイヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイクも、この時のメンバーは豪華絢爛。コージー・パウエルのドラムソロに聴き惚れ、ジョン・サイクスの華麗なギターと美しい容姿にうっとりしたりしてね。ジョン・ロードが既に脱退していたのは残念だったけど。
でも、僕にとって最もエキサイティングだったのは、MSG とスコーピオンズの競演だ。ご存知ない方もいると思うので簡単に紹介すると、我が神マイケル・シェンカーのギタリスト人生はスコーピオンズから始まっている。スコーピオンズの創設者でありリーダーはマイケルの実兄であるルドルフ・シェンカーだ。
つまり、海外のフェスではよくあるシェンカー兄弟の競演がこの日本でも観られるのだからたまらない。そう、マイケル・シェンカーのファンなら絶対期待したはずだ。MSG が「ドクター・ドクター」を演奏している時に、飛び入りで参加するスコーピオンズのルドルフとクラウス・マイネ(スコーピオンズのヴォーカル)の姿を。僕は神様にお願いした。僕が行く11日にこの夢のステージが観られますように、と。
その夢のステージは実現した。
「ドクター・ドクター」の演奏が始まった時、自分たちの演奏を終えたばかりルドルフとクラウスが MSG のステージに現れた。僕はヘッドバンキングも忘れて、この夢のような約10分間を瞳に焼き付けた。
興奮した。涙も出た。そして誓ったんだ! この競演を絶対に忘れないぞと――
東京公演の2日目(12日)には、この競演は行われていないようだ。東京以外の公演でも行われなかったのではないだろうか。
Re:minder のカタリベである
中塚一晶氏も福岡公演のコラムを書かれているけど、特に触れていないし。中塚さんどうでした? 読者の方で、他の日に行かれていた方、是非情報をください。
最後に『スーパーロック’84イン・ジャパン』について、どうしても言いたいことがある。
実はこの時の MSG は、ゲイリー・バーデンが急遽脱退してしまい、ヴォーカルが不在という緊急事態だったんだ。急遽あてがわれたレイ・ケネディは歌詞を覚える暇もなく、ほぼぶっつけ本番だったとのこと。彼は、散々酷いと叩かれた。確かに酷かったよ。でもね、僕は思うんだ。彼がいなかったら MSG の参加は無かったし、MSG が参加しなかったらイベントそのものも無くなっていたかもしれない――
それを救ってくれたのはレイだし、彼のヴォーカルが心もとなかったからこそ、マイケルはいつもより多めのインストゥルメンタルでその鬼気迫るようなギターソロを聴かせてくれた。ルドルフとクラウスの飛び入りだって、レイをサポートする意味だってあったはず。だから、僕のレイに対する感情はみんなとは逆で “感謝” なんだ。
レイ・ケネディは2014年2月に亡くなっている。ありがとうレイ… 安らかにお眠りください。
2018.08.11