尺八の音が流れた後、わずかな間をおいてワクワクするようなホーンのフレーズが鳴り響く。
ピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」は、80年代で最も印象に残っているヒット曲のひとつだ。そして、なぜだか忘れた頃に僕の前に現れる曲でもある。
スレッジハンマーとは、大きなかなづちのこと。つまり、サビで歌われる「僕は君のスレッジハンマーになりたい」というのは、いささかセクシャルな意味あいを含んでいる。
ピーター・ガブリエルは、70年代に5大プログレバンドのひとつと称されたジェネシスのリーダーだった人だ。演劇的な要素を大胆に取り入れた音楽性は高く評価されたが、1975年にバンドを脱退し、ソロアーティストとなった。
「スレッジハンマー」がリリースされた1986年といえば、かつてのバンドメイトだったフィル・コリンズが全盛期を迎えていた頃だ。エンターテイナーとしての天性の素質とコマーシャルな曲を書く才能によって、彼はジェネシスをプログレバンドからポップバンドに変え、それ以上にソロアーティストとして大ヒットを連発していた。
そんなフィル・コリンズの活躍を、ピーター・カブリエルがどう思っていたかはわからないが、4年振りにリリースされたアルバム『SO』は、風変わりで個性的ながら、いつになくポップな要素を含んだ作品だった。中でも「スレッジハンマー」は飛び抜けてポップな曲だった。
この曲は1986年4月にリリースされると、秀逸なミュージックビデオの効果もあり、じわじわとチャートを上昇していった。そして7月には、奇しくもジェネシスの「インヴィジブル・タッチ」を蹴落とす形で全米ナンバーワンを獲得した。
友達とオートバイレースを観に鈴鹿サーキットへ向かう途中、『全米トップ40』というラジオ番組の公開放送があったので立ち寄った。そのときの第1位がちょうど「スレッジハンマー」だった。友達も僕も好きな曲だったから、一緒になって喜んだのを覚えている。
僕がなにより感心したのは、ピーター・ガブリエルがこの大ヒットを、いとも簡単にやってのけているように見えたことだった。あれだけアーティスティックな人が、「ヒット曲なんてちょろいもんだよ」と、僕らが喜びそうな曲を作って、ひょいと差し出してきたように思えた。実際、「スレッジハンマー」は、斬新なアーティスト性とコマーシャリズムが見事に溶け合い共存している曲だった。
このヒットの相乗効果で、アルバム『SO』は全米だけで500万枚を売上げ、チャートでも第2位を記録した。1988年9月にはアムネスティー・インターナショナル主催のコンサート『ヒューマン・ライツ・ナウ』のメンバーとして来日。そのときのステージで、僕は生の「スレッジハンマー」を聴いている。
時は流れ1998年。ひとり暮らしをしていた六畳一間のアパートでのこと。テレビをつけたまま雑誌を読んでいると、突然「スレッジハンマー」の冒頭に流れる尺八が聞こえてきた。
雑誌を置いて画面を見ると、とんねるずの番組だった。ゲストがお互いの嫌いな食べ物を言い当てるコーナーで、この曲の尺八部分が効果音として使われていたのだ。番組自体も面白かったので、その後もときどき見る機会があったのだが、尺八の音色が流れるたび、僕は「スレッジハンマー」を想い出した。
時はさらに流れ2010年。かつて読売ジャイアンツのファンだった僕は、長い逡巡の末、横浜ベイスターズのファンになっていた。その年、北海道日本ハムファイターズからひとりの外国人選手が移籍してきた。彼の名前はターメル・スレッジといった。
ある日、以前よりはいくらか広くなった自分のアパートで、僕はプロ野球のナイター中継を観ていた。読売ジャイアンツ対横浜ベイスターズの試合。スレッジ選手に打順が回ってくると、スタジアムにあのワクワクするようなホーンのフレーズが鳴り響いた。
スレッジハンマー!
反射的に僕の胸は高鳴った。そして、なぜか笑った。後で知ったことだが、スレッジ選手のニックネームは「スレッジハンマー」だった。これは長距離バッターということで、セクシャルな意味あいはないと思う。打席に向かうスレッジ選手を観ながら、僕は24年前のとても暑かった夏の日のことを想い出していた。
友達と行った鈴鹿サーキット。走り抜けるオートバイ。耳をふさぐようなエンジン音。そして、その前に立ち寄った『全米トップ40』の公開放送のことを。アシスタントDJの女性が、こんな風に曲に合わせて歌っていたことを。
アイウォナビー、スレッジハンマー♪
2017.05.03
YouTube / Genesis Channel
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