イエスの「ロンリー・ハート(Owner of a Lonely Heart)」を初めて聴いたのは、13歳の冬だった。1983年12月、学校から帰宅し、クッキーを食べながらテレビを観ていたときに、この曲のミュージックビデオが流れたのだ。
階段から転がり落ちるようなドラムの音。静寂を切り裂くようにして鳴り響くエレクトリックギター。カメラが上空からハイウェイを映し、次に群衆の中を歩く男をズームアップする。その彼が2人組の男に捕われるところから物語は始まる。ジョン・アンダーソンが神秘的な声で歌い出す。「自分から動き出せ」。
ビデオはストーリー仕立てに進んでいくが、その内容はかなり抽象的だ。しかし、白黒の映像にはアート映画のような趣きがあり、ひんやりとしたサウンドからはヒリヒリした空気が伝わってきた。シリアスな曲だと思った。
男は精神を病んでいるのか、何度も幻覚に襲われ、そのたびに虫や爬虫類が画面に現れた。「なんだか気持ち悪いなぁ」と思い始めたところで、問題のシーンが…。
男が小さなミミズのような虫で顔を洗うのだ。さらに、男の目の上でその虫の塊がうごめくのだ。
それを見て僕はすっかり食欲をなくしてしまった。クッキーはおろか、その日は夕食もあまり食べる気になれなかった。翌日学校へ行くと、友人たちが口々に同じことを言った。「俺、飯が食えなかったよ」。
それでも、慣れとは恐ろしいもので、2度3度と観ているうちに、ビデオが流れても普通に食事ができるようになり、曲の持つ独特の暗さやアヴァンギャルドなポップセンスに魅了されるようになっていった。
特に随所で鳴らされる唐突な効果音は、聴く者に強い印象を与えた。この音はすぐに80年代を席巻し、様々な曲で聞かれるようになる。日本で一番有名なのは、中森明菜の「サザン・ウインド」での間奏部分だろうか。
イエスが70年代に活躍したプログレッシヴロックのバンドだということは、後から知った。バンドは一度解散するも、メンバーを一新して再結成。「ロンリー・ハート」は、そんな新生イエスのファーストシングルだった。尖鋭的だけどコンパクトで聴きやすく、プログレというよりはポリスに似ていた。
かつてのイエスとは一線を画したコマーシャルなサウンドが、昔からのファンには賛否両論あったようだが、曲は順調にチャートを駆け上り、翌年1月にはポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソンの「セイ・セイ・セイ」を抜いて全米1位を獲得している。1984年のビルボード年間チャートでは第8位。
孤独な心のオーナー
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「ロンリー・ハート」には適度な異物感があり、それが喉の奥に刺さった魚の小骨のように気になった。その感覚はミュージックビデオによって増幅された。攻撃的な音像と不気味な映像の組み合わせが、聴く者にインパクトを与え、もう一度聴きたいと思わせるのだ。
今でもこの曲を聴くと、あのビデオを思い出す。よくあんなビデオを作ったものだと思う。でも、これが当たったのだから凄い。音楽と映像がこれまでになく密接に結びついた時代に、イエスの「ロンリー・ハート」は、屈折した光で僕らの中にある異物を照らし出しのだった。
2018.04.19
YouTube / Hammid Bin Tariq
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