私は妄想探偵。以前、この場にてマイケル・ジャクソンとピンク・レディーの関係を紐解くことに成功した。今回もまた新たにエイティーズの謎を追うことになる。
事件の発端は、今回もまたマイケルであった。2009年6月25日、マイケル・ジャクソンは自宅にて心肺停止状態に至り死亡、世界中が悲しみに暮れた。そして一年半が過ぎ、生前の未発表曲を集めたアルバム『マイケル』が発表される。その中の或る1曲に注目が集まったのである。82年の大ヒットアルバム『スリラー』に収録する予定で録音されていただけに、いかにもマイケルらしいアレンジが加えられている。
だが、ちょっと待て! この曲のイントロ、電子音の感じ、過去に聴いたことがある。またしても私は強烈な “デジャヴ” に襲われてしまうのであった。
「あ!… コレ、YMOじゃねーか!」
お分かりだろうか? その曲名は「ビハインド・ザ・マスク」。イエロー・マジック・オーケストラの代表曲である。これをクインシー・ジョーンズが気に入り、マイケルが歌詞とメロディを追加したということなのだ。
さて、そのYMOだが、初のワールドツアー「トランス・アトランティック・ツアー」(1979年)をロンドンからスタートさせると、その独特なスタイルと演奏で一気に注目される存在となる。よってクインシーのような有名プロデューサーの目にとまることは必然であった。YMOとマイケル、当時この究極とも言える音楽的融合が果たされることなくお蔵入りしたことは非常に残念であるが、実は著作権の問題が絡んでいたのだという。まずは、ラジオ番組での教授(坂本龍一氏)の証言を紹介しておこう。
「作詞作曲の版権の50%をよこせとマイケル側が言ってきた。聴かせてもらって成程、マイケルヴァージョンがこういう風に変わっているのかと、納得できればそれで良いんですけれど、テープを聴かせてくれと何度も言ったんですがダメで(未発表曲をリリース前に外に出せないと言われて、その結果)それで壊れちゃったんです。」※文面は要約してあります。
しかし、YMOの名曲だけにこんなところで終わるはずもなく、4年の月日を経てこのマイケルヴァージョンは、エリック・クラプトンのアルバム収録曲となるのである。
では、何故クラプトンの元へ楽曲が渡ったのであろうか。私は「ビハインド・ザ・マスク」のその後を追跡することにした。同曲はマイケルの手を離れるとクインシーの参謀ともいうべきグレッグ・フィリンゲインズの2ndアルバム『Pulse』(1984年)に収録される。マイケルほどの大物ではなかったので、権利関係のハードルも低かったのかもしれない。
そして、ここからが面白い。フィリンゲインズは、あまり日本では有名とは言えなかったが、当時米国でNo.1のキーボード奏者ではないかと言われるほどの人物であった。後期TOTOのメンバーと言えば分る人もいるだろう。彼は音楽人生のほとんどを数多のミュージシャンをサポートすることで過ごしてきた。彼の仕事をさらに詳しく調査していくとスティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ボズ・スキャッグス、ドナルド・フェイゲン、ライオネル・リッチー等々、大物の名前ばかりが挙がってくる。
そして1980年代半ば、彼はエリック・クラプトンの元に身を寄せる。当時、クラプトンはフィル・コリンズをプロデューサーに迎え、新しい音作りを模索していた。コリンズとの2枚目のアルバム『オーガスト』(1986年)の収録曲に「ビハインド・ザ・マスク」が選ばれたのはサポートメンバーに加わっていたグレッグ・フィリンゲインズのお蔭と言えるだろう。
「なぁ、グレッグ。何かいいフレーズないかな?」
「こんなのはどうだい?」
ビハインド・ザ・マスクの印象的なイントロをキーボードで奏でるフィリンゲインズ。弾きやすいリフの部分に呼応してクラプトンがギターを爪弾き合わせていく。
「イイ感じのロックンロールじゃないか! この曲、アルバムに入れようぜ!」
私は『オーガスト』のジャケットを眺めながら、こんないかした会話がなされたのではないかと思い浮かべて、ついニヤニヤしてしまった。そして、私の頭の中では最後に決まってフィリンゲインズがこう言うのである。
「フィル、版権の方は頼んだぜ!」
さて、妄想探偵の追跡調査、いかがでしたでしょうか?
2017.01.09
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