5月20日

眩しかった1983年の洋楽シーン!MTV黄金時代と第2次ブリティッシュ・インベイジョン

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今からちょうど40年前、1983年の洋楽シーン


えーと、今は2023年でしたっけ?

…… と、つい確認したくなる50代後半、初老の筆者。昨夜何を食べたかも思い出せないくらいに日常は記憶に残らないが、どういうわけか好きでたまらないものに関しては、何十年前だろうと記憶に残っている。まあ、オタクの記憶力とは、そういうものだろう。というワケで、本コラムは今からちょうど40年前、1983年の洋楽シーンについて書いてみようと思います。

振り返ると、1983年ほど洋楽にワクワクした年はない。当時マナブは17歳。中学の頃になんとなく興味を持ちだして、いわゆる全米トップ40モノをチェックするようになり、1982年に高校生になるとUKロックにのめりこむ。当時のUKチャートはデュラン・デュランやカルチャー・クラブが台頭し始めた頃。アメリカのロックのマッチョなイメージって、なんか自分とは違うよなあ…… と思い出していた16歳の貧弱な小僧には、ビジュアルこそナヨナヨしているが、音楽にビシっと筋があり、インテリジェンスも感じさせるUKバンドの方がしっくりきた。

“第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン” の到来


マッチョ大国アメリカにも、そんな思いを抱いている音楽ファンが多かったかどうかは知らないが、1983年にはこれらのイギリスのバンドがビルボードのチャートを席巻しはじめる。いわゆる、“第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン” の到来だ。マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』が爆発的に売れていた一方で、カルチャー・クラブ「君は完璧さ」とデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」がほぼ同時期の3月にトップテン入りを果たし、プリテンダーズの「チェイン・ギャン」がこれに追随。一時はこれらがトップ5に同時にランクインしたことも。が、この頃はマイケルの「ビリー・ジーン」が7週連続ナンバーワンに君臨し、英国勢がトップに立つことはなかった。






しかし、英国からはさらに矢が飛んでくる。4月に「ビリー・ジーン」をトップから引きずり下ろしたのはデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの「カモン・アイリーン」。これは1週のみでマイケルの「今夜はビート・イット」に首位の座を明け渡すも、猛攻は止まらない。5月にはデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」がトップに立ち、さらにカルチャー・クラブ「タイム」も最高位2位を記録。



7月にはポリスの「見つめていたい」が首位に立ち、7週続けてポジションを守って、この年のもっとも売れたシングルとなった。ちなみにこの曲が2週目の1位となった7月15日付のトップ10は、じつに7曲が英国勢。ポリスの他にはエディ・グラント、キンクス、カジャグーグー、マッドネスなどがチャートインしていた。その後も8月にユーリズミックスが「スウィート・ドリームス」で首位となり、10月にトップに立ったボニー・タイラー「愛のかげり」は4週連続でその座をキープする。年末にはマイケル・ジャクソンをデュエット相手に迎えたポール・マッカートニー「セイ・セイ・セイ」が頂点に上り詰めた。

後のアメリカのチャートを預言していた全英チャート


この頃のビルボードを見ていて面白いと思ったのは、イギリスのヒットチャートの動向が3〜6か月遅れでアメリカに反映されるような感じだったこと。「カモン・アイリーン」や「君は完璧さ」は前年の秋に全英チャートの首位に立っていたし、デュラン・デュランにしてもこの年の全米ヒット曲の多くは前年に英国でヒットした曲だ。「スウィート・ドリームス」は全英で2位になってから4か月後に全米を制した。つまり、この時期の全英チャートは、後のアメリカのチャートを、ある意味、預言していたのである。

それにしても、この年に売れたUKロックは実に多彩だ。カルチャー・クラブのブラックミュージックを消化したダンスミュージック、デュラン・デュランのエッジの効いたニューロマンティックの香り、デキシーズ〜のアイリッシュ民謡のような親しみやすさ、プリテンダーズやポリスのソリッドなロックサウンド。ボウイやマッカートニーはもちろん、キンクスやローリング・ストーンズ、再結成したホリーズらベテランも奮闘した。

そして、彼らの台頭の背景には言うまでもなくMTVの存在がある。アメリカのアーティストに比べて、イギリス勢の当時のそれはファッショナブルで、またアーティスティックでもあった。デュラン・デュランのMVは毎回凝っていたし、ユーリズミックスのMVのシュールさは、意味はわからないものの目が吸い寄せられるに十分だった。



映像先行型のMTV時代の音楽シーンの在り方


話は逸れるが、マイケル・ジャクソンがビッグヒットを飛ばしたのも、ビジュアルの重要性を理解していたからだろう。MVではつねにキレッキレのダンスを盛り込み、「スリラー」のように、ときに映画のようなストーリーで観る者を魅了する。アメリカ勢では他に、アイリーン・キャラの「フラッシュダンス」がビッグヒットを飛ばしたが、ご存知のとおり、同名映画の主題歌ということもあって、こちらも映像に裏打ちされていた。

映像先行型のMTV時代の音楽シーンの在り方に対して、意見はいろいろあるだろう。しかし、それもまた文化。1980年のアイルランドを舞台にした青春映画の傑作『シング・ストリート 未来へのうた』では、人気音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」の放映の翌日、主人公の学生たちの服装が前夜にテレビで見たアーティストのファッションにモロに影響されている…… という描写がある。

この気持ちは、すごくよくわかる。音楽はもちろん頭にこびりついているが、同時に “あー、スティングをまねた髪型の同級生いたなあ” とか、“あいつはケヴィン・ローランドのダンスの真似が上手かったなあ” とか、ビジュアル的な魅力を裏打ちする記憶も付随してくる。1983年の洋楽シーンは、それほど眩しかったのだ。

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2023.02.14
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カタリベ
1966年生まれ
ソウママナブ
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